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12_旅にハプニングは付き物

 

 二週間ほどさらに移動して、ノルティマたちはシャルディア王国のひとつ隣の小国まで来ていた。


 馬車に揺られながら、ノルティマは夢を見ていた。エルゼとの楽しい旅はほんのひとときの幻で、まだ自分がベルナール王国の王宮に囚われているという……悪い夢。


「ノルティマ、あなたは王太女なのだからしっかりしなさい! 今日の礼拝はまだなの? 早く慰霊碑へ行きなさい。あなたが苦痛から逃れれば、この国の大地は枯れて、わたくしたち一族の失権に繋がってしまうのよ!」

「お姉様はずるいわ。私とは違って健康なんだもの。お姉様が持ってるもの、ぜーんぶちょうだい。ねっ、いいわよね?」

「今日はエスターと観劇に行ってくる。なんだその顔は。僕に不満があるのか? 政務……? そんなの、お前が代わりに俺の分もやってくれたらいいだろう? 病弱でかわいそうな妹を少しでも幸せにしてやりたいと思わないのか!?」


 夢の中でノルティマは首輪をつけられ、どこかに繋がれていた。

 どこにも逃げられない無防備なノルティマに、アナスタシアやエスター、ヴィンスが延々と命じてくるのだ。


 働け、働け、働け……。

 お前に休む暇などない。そんな暇があったら手を、頭を、体を動かし続けろ――と。


 ノルティマの身体は全身傷だらけで、疲弊しきって、ぼろぼろだった。それでもなお馬車馬のごとく働かされる。

 少しでも休んだら、四方から鞭が飛んでくる。


 頭の中に注がれる妹たちの声は収まらずに、ノルティマをどこまでも追い詰めようとしてきた。


「やめて……っ。私はもう疲れたの、少しくらい休ませて……っ!」


 ノルティマは泣きながらうずくまり、両耳をぎゅうと押さえる。


(うるさい、うるさい、うるさい、うるさい……!)


 もう誰にも支配されたくないのに。

 心はとっくに砕け散っていて、思考はおぼつかない。もう何も考えたくない。やめて……!


「ノルティマ! 次期女王としての務めを果たしなさい!」

「お姉様がずるいずるいずるい、だから幸せにならないで」

「俺の仕事をやれ! 働け、ノルティマ」


 頭の中にひっきりなしに響き続ける騒音に、ノルティマは小さく小さく縮こまって、駄々をこねる子どものように泣きじゃくるしかできなかった。




 ◇◇◇




「――マ。ノルティマ」

「ん……」


 降り注ぐ優しい呼びかけとともに目を覚ますと、涙でぼやけた視界が、エルゼの心配した表情を捉えた。

 そっと半身を起こせば、瞳に溜まっていた雫がほろりと頬に溢れ落ちる。それを指で拭っていると、彼がとても心配げに言った。


「ひどくうなされていたから声をかけたんだ。……悪い夢でも見ていた?」

「ええ。とても、悪い夢を……」


 悪夢の名残なのか、ノルティマの手はかたかたと小刻みに震えていて、心臓の鼓動は激しく脈打っている。

 すると彼は、ノルティマの震える手に自身の手を重ねた。


「夢は夢だよ、ノルティマ。ここにあなたを苦しめるものはない。もしそんなものや人がいたとしても、俺が必ず守るから」


 手の甲に感じるずっしりとした手の重み。まだ子どもだと思っていたけれど、実際にこうして触れ合ってみれば、彼の手はノルティマの手よりも一回り大きくて骨ばっていて、れっきとした男の子なのだと分かる。


 たくましい手に包まれて守られているような心地になり、手の震えが徐々に収まっていく。悪夢から意識が現実に引き戻されていく感じ。


「ありがとう。エルゼ。あなたの手は温かいのね。……子どもは基礎体温が高いっていうけれど、本当なのね」

「あ、また子ども扱い」


 ムキになって指摘する彼に、はっとして謝罪する。


「ごめんなさい。つい」

「まぁ、それであなたの手を温められるなら、子どもでも構わないけど」

「ふふっ、何よそれ」


 思わず頬を緩めると、釣られたかのようにエルゼも頬を緩める。


「――やっと笑った」

「え……」

「悲しそうな顔より、あなたは笑顔の方がよく似合う」


 彼はそう褒めてくれるけれど、エルゼの笑った顔も雲間から差した陽光のように眩しく、年相応のあどけなさがあってかわいらしい。けれどまた、あどけないなどと子ども扱いをしたら拗ねてしまう気がして、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。


 すると、エルゼは御者に声をかけて馬車を止めた。馬車から降りたあと、街道の端のベンチに座らされる。

 彼は革でできた水筒をこちらに見せてきた。


「長い移動で疲れているだろうから、ノルティマはここに座って休んでいて。俺は水を汲んでくる」

「あなたばかり色々やらせて悪いわ。私も一緒に――」

「このくらい大したことじゃないし気にしないで。あなたの手を煩わせたくないんだ。すぐに戻ってくるから」

「エルゼ……。あなたって本当に優しくて気が利くわね」

「誰にでも優しい訳じゃない。ノルティマは――特別だから」


 こちらに爽やかに微笑みかけてから、彼はくるりと背を向けて行ってしまった。


「とくべつ……」


 彼が残した言葉を復唱する。

 特別扱いされたのは、生まれて初めてだ。なんだかふわふわとした落ち着かない心地になる。


 水汲みに行くのは基本的にエルゼの仕事だ。彼はいつも、不思議なくらいにおいしい水をどこかから汲んでくる。


 この辺りに水を汲めるような場所はないだろう、というときも、ほんの十分足らずで戻ってきて、革袋にいっぱいの水を入れてくるのだ。彼が行く先には自然と湧き水でも湧いてくるというのだろうか。


(この旅で……なんだかエルゼに甘やかされてばかりな気がするわ……)


 頬に手を添え、贅沢な悩みにため息を零す。


 誰かに甘えるということが、ノルティマにとっては新鮮な感覚だった。それこそこれまで、人のために尽くすことはあっても、誰かに頼ったり甘えたりということをほとんどせず、自分で何でもやってきたノルティマにとって、誰かが自分のために何かをしてくれるということ自体が初めてだ。


 それと同時に、自分よりもまだ若い少年に甘えてしまってもいいのかという罪悪感もある。

 しかしエルゼは、こちらの罪悪感を吹き飛ばすくらい、自発的にノルティマを甘やかそうとし、それが喜びであるかのような殊勝な様子だった。


 彼はまだ若い見た目の割に、ふいに見せる表情が随分と大人びて見えることがある。


(表情だけではないわ。言葉選びや、妙に落ち着きがある振る舞いも、自分よりよっぽど年上と話しているのではないかと錯覚することがあるくらい)


 彼は自分の話をほとんどしてこないが、どういう経緯があって、ベルナール王国に来ていたのだろう。子どもがたったひとりで出かけるにはあまりに遠い場所だ。それに……。


『ノルティマのおかげで、俺は今生きている。俺がシャルディア王国からベルナール王国へ行ったのは――あなたを迎えに行くためだ』


 彼が言った言葉が胸の辺りで、魚の骨のようにずっと引っかかっている。あれはノルティマをからかっただけの冗談なのか、あるいは真実なのか。


 エルゼのことで思いを巡らせていたたとき、不良の青年たち四人が、すぐ近くで小さな犬をいじめているのが目に止まった。


「汚ねえ犬だな。こいつ、耳が片方ないぜ。気持ち悪い」

「片方だけじゃみっともないから、もう片方もちぎってやった方がバランスが整うんじゃないか?」

「ははっ、てゆーかこの犬、臭くね?」


 青年のひとりが犬の耳を引っ張り、犬が悲鳴のような鳴き声を漏らした。


(小さな命に対して、なんて野蛮な……)


 きゃんきゃんと犬が助けを求めるように吠えているのを聞き、ノルティマはベンチから立ち上がる。迷わず彼らのところに駆け寄り、汚れた犬を抱き庇って青年たちを睨みつけた。


「動物をいじめるのはやめなさい。小さくても尊い命なのよ」

「なんだ、この女」

「この子が痛がっているでしょう? くだらないことをするのはやめろと言っているのよ」


 ノルティマの腕の中の犬は栄養不足なのかかなり痩せていて、全身泥まみれだった。加えて、傷や火傷の跡があり、度々いじめられていたことが窺える。


(この白いの、もしかして――蝋燭。あのときと同じ……)


 それだけではなく、蝋燭の溶けたものがべったりと背にくっついている。ノルティマの脳裏に一瞬、昔いじめられていた幼獣を助けたことが過ぎる。

 そして、もうとっくの昔に癒えていたはずの左腕の火傷の痕が疼いた。


 ひどく怯えており、ぷるぷると小刻みに震えていた。唯一、ノルティマのことは味方だと理解したのか、こちらに身を擦り寄せてくる。


 すると、不良たちはノルティマの叱責に腹を立て、顔をしかめる。


「野良犬をいたぶって何が悪いっていうんだ? いいからそいつを返せよ」

「――嫌。絶対に嫌よ」

「あんたもよっぽど痛い目に遭いたいらしいな!?」


 青年のひとりが、火のついた蝋燭をこちらに向ける。やはり、溶けた蝋を犬に垂らして遊んでいたのだと察する。


 粗野な口調で迫られ、脅されても、ノルティマは一切怯まなかった。幸か不幸か、痛い思いをすることには慣れているから。

 毎日毎日、精霊の慰霊碑の前で呆れるほどの苦痛をつぶさに味わってきた。今更、青年の嫌がらせ程度、恐れるに足りない。


「な、なんだその目は……」


 そして、軽蔑を滲ませた眼差しで青年たちのことを見上げ、淡々とした口調で言った。


「幼稚で、つまらない男ね。あなたたち」

「生意気な……っ! その綺麗な顔を台無しにしてやる……!」


 こちらの挑発に耳まで真っ赤にした青年は、ノルティマの小さな顎を片手で持ち上げ、別の青年が火のついた蝋燭を顔の上で傾ける。がっしりと肩を後ろから抑えられ、身じろぎすらできない。


(同じ年頃でも、エルゼとは大違い)


 垂れてくる溶けた蝋を冷めた目で見つめながら、ぼんやりとそんなことを思い出す。


 しかし、ノルティマの顔に予想していた熱の感触が触れることはなく、蝋が肌に落ちる前に、青年の方が後ろへと吹き飛んだ。


「お前たち……。誰に、何をしようとした……?」


 底冷えしてしまいそうな冷たい声。青年を吹き飛ばしたのは、水汲みを終えて戻ってきたエルゼだった。


 そして彼の表情は、いつもの爽やかで優しいものとは――全く違っていた。

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