01_選ばれなかった王女
よろしくお願いいたします…!
婚約者のヴィンスは、妹のエスターと愛し合っていた。
ベルナール王国を統治するアントワール王家には――女しか生まれない。というのも、王家はその昔、精霊たちを支配しようと湖の下に広がる精霊の国を――滅ぼしたことがあり、それ以来王子がめっきり誕生しなくなったのだ。
女王を立ててなんとか王権を維持してきたものの、他の国々からは『精霊に呪われた王家』と密かに揶揄されている。
そんな王家に、ノルティマは第一王女として生まれた。王位継承権は一位であり、次期女王として幼いころから厳しい教育を受けてきた。
ヴィンスは筆頭公爵家の子息であり、従兄弟に当たる。そして、将来女王を支える次期王配――ノルティマの婚約者だ。
ある日、一日の王太女教育を終えたノルティマが講義室から自室へ移動していると、応接間から聞き覚えがある男女の声がして、廊下の途中で立ち止まる。
「んっ……ヴィンス様ったら、扉が開いているのにだめよ。誰か来るかもしれないわ」
「許してくれ、こんなにかわいらしいエスターが目の前にいて、自制が利かないんだ。人が来たら見せつけてやればいい。――愛している」
わずかに開いた扉の隙間から、ヴィンスがチェストの上に座るエスターの頬に手を添えて、口付けをしているのが見えた。恥ずかしげに頬を朱に染めて身じろぐ彼女の腰を攫って、逃げられないようにした上で、もう一度唇を押し当てる。
エスターも満更ではなさそうに、うっとりした眼差しで彼を見上げていた。
(嘘、どうして……)
――バサリ。驚いたノルティマは、抱えていた本の山を床に落とした。
その音に気づいたふたりがこちらを振り返り、どきっと心臓が跳ねる。
「あー、お姉様? もしかして今の……見てた?」
彼女はくすっと可憐に笑って、チェストの上から降りる。ヴィンスの腕に自身の腕を絡ませ、ぴったりと隙間なく身を寄せながらこちらに歩いてきた。
エスター・アントワール。彼女はこの国の第二王女であり、ノルティマの妹だ。
桃色のふわふわしたウェーブのかかった髪に、くりっとした青い目の愛らしい風貌。そして、大人しくて控えめなノルティマと違って明るくて愛嬌がある。
「実はね、私はヴィンス様と愛し合っているの」
にこりと微笑む妹に、不審感を抱く。次期女王の婚約者と浮気しておいて、どうして平然としていられるのだろう。その神経が全く理解できない。
「だから――邪魔者は消えてくれない?」
「…………はい?」
一瞬、耳を疑った。将来の王配と不義理を働いたのはエスターなのに、何も悪くないノルティマの方がなぜ消えなくてはならないのか。
エスターの愛らしい笑顔に威圧が乗り、一歩後退する。彼女は自分の思い通りにならないときや機嫌の悪いとき、底意地の悪さを全面に押し出したこういう顔をする。
「な、何言ってるのよ。ヴィンス様は廷臣たちの話し合いで決まった王配となるお方。私だって、あなたの恋を叶えるために消えることなんてできる立場ではないのよ」
ノルティマは第一王女だ。いつか女王になって、この国は民衆を守っていかなければならない。
なけなしの平常心をかき集めてきわめて冷静に諭していると、ヴィンスが口を開いた。
「いっそ――お前が死んでくれたらいいんだがな」
「なんですって?」
「ずっと気に入らなかったんだ。面白みも愛想もなくて、お前には女としての魅力を一切感じない。エスターはお前とは真逆で、明るくてこんなにもかわいらしい。心移りするのも無理ないだろう?」
婚約者からの『死んでくれたらいいんだがな』という言葉に、頭をがつん、と殴られたような衝撃を受ける。
ノルティマはただ、次期女王にふさわしくあるために頑張っていただけだ。
王族の威厳を保ち、品行方正でいようと努めていたことをどうして、そんな風に責められなくてはならないのだろう。……これまで一生懸命やってきたことが全て否定された感じ。
「お前が消えれば俺だけではなくみんな喜ぶだろうな!」
「本当にそう。お姉様のことが好きな人なんて、王宮にも、この国のどこにもいないもの」
婚約者は、ノルティマではなく妹を選ぶという訳か。
ふたりは、早く死ねと言わんばかりに追い詰めながらくつくつと肩を揺らし、愉悦に浸っている。
彼らの悪意をつぶさに捉えたノルティマは、拳をぎゅっと固く握り締め、玲瓏とした声で答えた。
「分かったわ」
「「えっ……」」
「あなた方のお望み通り――消えて差し上げましょう」
まさか承諾するとは思っていなかったらしいふたりは、拍子抜けした顔をする。
ノルティマが消えれば、王位継承権一位の座はエスターに渡り、そして彼女はヴィンスと婚約を結び直すのだろう。
これまでノルティマが築き上げてきたものが、みるみる崩壊する音がする。
でも、これでいいのかもしれない。ノルティマだって望んで王太女になったわけではないのだから。
生まれたときから自由を奪われ、国のために働かされてきた。ヴィンスや女王、廷臣たちに散々仕事を押付けられ、ノルティマは常に目の下にクマができており、やつれている。
現女王の王権は、ノルティマという奴隷の支えによってなんとか成り立ってきたのだ。
ノルティマがいなくなれば、役目を引き継ぐエスターたちはさぞかし困ることになるだろう。けれど、もう知らない。それを望んだのは、紛れもなくこのふたりなのだから。
冷たい眼差しで妹とヴィンスのことを見据え、唇の前に人差し指を立てながら、地を這うような声で告げた。
「――ただし。私を追い出したこと、後悔しても知らないわよ?」
こちらの底冷えしそうな目に、ふたりは背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
当惑する彼女たちを無視して、全てを手放す意思表示をしたノルティマは踵を返し、自室へと向かうのだった。