いつも婚約者に冷たい美貌の公爵令息の甘い企み
祈念祭。秋の豊作を祈る夏の祭りだ。国の天文占星術師たちが決めたその年の夏至から十日前後で、最も神へ祈りが届きやすいとされた日に、夜を徹して行なわれる祭事である。
グランバートル王国内の各地でその祭は開かれる。民たちも夜を通して歌い踊り、飲み明かし、神へ豊作を祈りを捧げるのだ。
そうして。この夜通し開かれる祭りでプロポーズをして結ばれた男女は生涯幸せな結婚生活を送れると言われており、そういった意味でも大切な祭りとなっている。
王都では昼に大神殿での祭事が開かれ、日が暮れてからは王宮にて毎年豪華な夜会が開催されることになっている。
そうして今年もまた、贅を競うように華やかな衣装を身にまとった貴族たちが王宮内のボールルームへ集っていた。
「ビクタス公爵家オルロフ様、シノロン侯爵家ロザリア様、ご入場です」
ネームコールを受け、その場にいた者が皆一斉に入場口へと無言で礼をとった。
夜会は爵位の低い順からボールルームへと招き入れられる。
公爵家嫡男であるオルロフとその婚約者であるロザリアが呼ばれたのは、最後から二番目だ。王族を除けば後は自分の親である公爵家当主夫婦のみ。
会場はすでに熱気で溢れ、注目の的となっている。
しかしオルロフはプラチナブロンドと紫水晶のような瞳という涼やかな見目から受ける印象そのままに、人々の熱い視線をまるで感じていないようにまっすぐ前を向いて歩いてゆくのみだ。
横でエスコートしている筈の婚約者との身長差も、その小さな足が華奢な靴を履いている事も、どっしりとした練絹の広がる裾へ己の瞳の色そのもののような紫水晶が銀糸で縫い付けられている豪奢なドレスのずっしりとした重みにも自分で贈っておきながらまったく気が付くことなく、見つけた己の友人たちがいるその場所へと一直線に大股で歩いていく。
ロザリアはそんな配慮の無い態度を取られようとも、婚約者に恥をかかせぬよう笑顔を浮かべたまま必死について歩く。
夜会にふたりで出席すれば、これが常のことであるためだろうか。どれだけ取り繕おうとも滑稽であるのだろう。
すまして歩くロザリアの背を、くすくすと哂う声がどこまでも追いかけてくる気がした。
「ロザリア姫君。本日も麗しい」
この善き日に本日初めて、そういってロザリアの手を取りその指先へと唇を寄せたのが、婚約者ではなくその友人である侯爵令息ラス・ロインであることに、ロザリアはほんの一瞬だけ表情を歪めた。
目の前の男が、そのロザリアの表情に気が付いている様子なのも気に入らない。
なによりも、反対側の手をエスコートしたままの婚約者の表情が、一切変わっていない事にも腹を立てている。
表情を表に出してしまったのは、ほんの一瞬だけだったにも拘らずラスがにやりと唇の端を持ち上げたのも癪にさわったがそちらに関しては貼り付けた笑みで受け流せた。
「ありがとうございます。男性方で積もるお話もございましょう。ダンスが始まるまで、わたくしも友人のところへ行ってまいりますね」
前半は左手に挨拶を受けたロスへ、後半はエスコートをしてくれている婚約者に向けて告げる。
ここまで一直線に向かう途中、友人の顔もチラホラと見かけたので彼女らと合流して、心を落ち着けておきたかった。
もうすぐビクタス公爵夫妻が入場してきてしまう。そうして招待客がすべて入場してしまえば、次は王族の入場が始まる。それから移動するのは不敬となってしまう為、その前に友人たちの元へ向かいたかった。
貼り付けた笑顔のままエスコートの腕を外そうとしたのに、何故だか上手く手を取り返せない。
エスコートした手を、腕にしっかりと巻き込んでいて抜けそうになかった。
ロザリアよりもずっと上にある婚約者の整い過ぎた顔を見上げれば、ロザリアに構わず隣に立つ友人と話し込んでいるようで、そもそもロザリアの言葉など聞いていなかったようだ。
ロザリアの髪の色の服といえば聴こえはいいが、ただ黒のシンプルな夜会服なだけの腕を、外してくれるようにそっと抑える。
淑やかにみえるよう何度か叩いてみてもまったく反応してくれなかった婚約者にロザリアは焦れた。
いっそ力任せに引き抜いてしまおうと力を籠めた所で、婚約者の紫水晶のような瞳がぞっとするほど冷たく、ロザリアを見下ろしていることに気が付いた。
「どうした?」
「……男性方のお話の邪魔にならないように、わたくしも友人の元へ行こうかと思いましたの」
胃の奥がむずむずするような落ち着かない感覚に襲われながらも、できるだけ表情に出さずに、ロザリアはまだ自分の手を取り返そうとした。
「くすくす。ロザリア姫君ったら、またあんな」
「しぃっ。言っちゃ悪いわ」
ロザリアに辛うじて届くような笑う声に背中から刺されて、羞恥に頬が染まりそうだ。
けれども懸命に表情には出さないように、ぐっと背を伸ばしてオルロフの温度を感じさせない紫水晶の瞳を見返した。
「残念だったな。もう王族が入場してくる」
いつの間に、ビクタス公爵夫妻は入場していたのだろうか。
未来の義両親に気が付かなかったという手痛い失敗に、表情が固まる。
なるほど、会場ではシャンパンの入った盃が配りはじめられていた。
王族の入場が始まる前にそれは配り終えられたなら、祈年祭の始まりを告げる王族の入場だ。
完全に、逃げ遅れた。
諦めてその場で乾杯の盃を持ったまま背筋を伸ばして腰を軽く落し、王族の方々が入場してくるのを待つ。
くすくすくすくす。
ふたりの後ろで小さな悪意が波のように広がっていく。
その笑い声は、入場を告げる合図となる音楽が始まって王族の方々がお揃いになられても、ロザリアの頭の中でこだましていた。
「それでは、今年も実り多き秋を迎えられるように、今夜は大いに踊り、大いに飲み明かし、大いに神への感謝を捧げようぞ!」
国王陛下の「乾杯」の言葉に合わせ、招待されたすべての人が盃を掲げ、温くなったシャンパンを飲みほした。
「ロザリア。私は、君に、言っておきたいことがある」
あぁ、ついに来た。来てしまったのだと、震え出しそうな身体に力が入る。
ロザリアを見下ろす紫水晶の瞳が、いまは燃えるように力強く輝いている。
思わず一歩下がろうとして、いまだ繋がれたままの手が枷となり、逃げることは叶わなかった。
「好きだ。だいすきだ。早く結婚したい。いますぐに教会に駆け込みたいんだ。なんで君は頷いてくれないんだ」
あぁ、やっぱり。
「あの、だってその……」
ぐいぐいと顔を近づけられて怖い。
やめてよして。綺麗すぎるお顔のアップとか心臓が耐えられない。本気でやめて欲しい。
あっあっ。瞳が潤んで、色気が駄々洩れである。
こんなの、むりぃっ。
「お、オルロフ様と夫婦になるなど。心臓が止まってしまいます。無理」
あぁ、また言わされてしまった。恥ずかしいぃぃぃ。
顔を隠したいのに、片手には空いた盃があって、もう片方の手はがっしりとオルロフに掴まれていてどうにもならない。
「なんてことをいうんだ。ロザリアの心臓が止まったら、俺こそが生きていけない。愛しているんだ、私の唯一」
「あーあ、はじまったよ」
くすくす、くすくす。
「始まりましたわね」
くすくすくすくす。
周囲の生温かい声と視線が居た堪れない。
そう。オルロフはアルコールに弱い。
ジュースに入れ替えて貰っても、周囲にたくさん人がいて、その人たちが盃を干した時に広がるアルコール臭でも軽く酔ってしまうほどに。
いつも特別にシャンパンそっくりに見えるジュースが手配されている筈なのに。
「な、なんでそんなにお顔が赤く? もしかして、ジュースではなく、本物のシャンパンをお飲みになられたのですか!」
慌てて周囲を振り返ると、にやにや顔のラスと目が合った。
「オルロフが、どーーーしてもっていうからさぁ。仕方がなくだよ?」
さぁっと顔から血が下がっていくのが、わかった。
オルロフはアルコールに弱い。それはもう、弱いのだ。
そして、その弱さの表れ方が、問題なのだ。
「ロザリア。君の婚約者は、俺だ。俺といるのに、他の男などに目を向けるなんて。なんて悪い子なんだ。小悪魔で、誰よりも美しい俺の心を掌握する、悪い女だ。俺を悩ませて楽しんでいるのか」
形のいい唇が動く度に、ロザリアを殺す力のある甘い台詞が飛び出す。
「やめ、やめて。く、くちびるが、くっつく……ひゃああぁぁぁっ」
普段しかめっ面をして放置気味の癖に、酔ったオルロフはなぜかこれでもかというほどロザリアを褒めまくり、迫り、口説きまくってくるのだ。
やめてやめて。完璧なご尊顔が色気全開で迫ってくるの、やめてぇ。
「俺の顔に傷をつければいいのか。遠い異国には顔の形を変えてしまう秘術があるという。それを求めて旅立てばいいのか」
「駄目ですっ。オルロフ様のお顔は、この国の至宝。子女が悲しみますわ」
「ロザリア。君以外の女性が悲しもうが俺には関係ない。君は? 悲しんではくれないのか」
「それは……えぇ、勿論、わたくしも、悲しいですわ」
恥じらいつつも素直にそう伝えれば、まるで花が咲いたように、オルロフ様が笑顔になる。
むりぃぃぃ。顔がいいの、無理なのぉ。
「ロザリア。俺の贈ったドレス、とても似合ってる。綺麗だ。ロザリアに、俺との結婚式で着て欲しいドレスと思って選んだから、うれしい。ねぇ、いますぐ結婚しよう? 今日これから、神殿へ行こう?」
きゃー! という悲鳴というより黄色い歓声が周囲から上がる。
無理無理無理無理。何度も首を横に振ったけれど、オルロフ様に抱き上げられてしまってどうにもならない。
無理無理死んじゃう。心臓止まっちゃうもの。
「おー、ついにかぁ! 今夜は夜通し大神殿が開いている特別な夜だからな」
横にいたラスはすっかり面白がっていた。
冗談ではない。公爵家の嫡男と侯爵家の一女の婚姻が、そんな簡易に済まされてたまるものか。
周囲からの反対を待つも、いつの間にかすぐ傍に居たビクタス公爵夫妻も、ロザリアの両親であるシノロン侯爵夫妻までからも、笑顔で「幸せになるんだぞ」「早く孫の顔がみたいものですわ」「えぇ本当ですわ」と見送られてしまい、ロザリアは涙目だった。
「だ、誰か。たすけて」
伸ばした手を取って貰えたと思ったのだけれど、受け取って貰えたのはその手にあった空の盃のみだった。
「俺がオルロフに殺されちゃうでしょ。酷い事いわないでよ、ロザリア姫君」
幸せになれよー、とラスから呑気なダメ押しをされて、ロザリアはそのまま大神殿へと抱えられたまま連れ込まれたのだった。
祈念祭。秋の豊作を祈る夏の祭りだ。最も神へ祈りが届きやすいとされた日に、夜を徹して行なわれる祭事である。
グランバートル王国内の各地で開かれるその祭りでは、人々は夜を通して歌い踊り、飲み明かし、神へ豊作を祈りを捧げる。
そうして。この夜通し開かれる祭りでプロポーズをして結ばれた男女は生涯幸せな結婚生活を送れると言われており、オシドリ夫婦といわれているこの国の公爵家夫妻も、この宴の席で公開プロポーズが行われた一組だ。
周囲に祝福されて婚姻を結び、この言われの通り、生涯を通して幸せに暮らしたという。
お付き合いいただきありがとうございました。
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(2023.07.01)
ロザリアちゃんのこの日のドレスが特別に重い理由など、
伝わっていない部分があったようなので少し台詞を足しました。
よろしくお願いしますー!