彼女たち
俺は駅のホームでかれこれ30分くらい電車を待っていた。朝から車両点検のため大幅にダイヤが乱れているとの構内放送が絶え間なく流れていた。振替輸送のアナウンスが聞こえてきたので、俺は焦りと苛立ちから、足早に別のホームへと急いでいた。階段を降り、構内を歩いていたら、女子高生の肩とぶつかってしまった。
「「すみません」」
お互い、前を見ていなかったようだが、そこまでの衝突ではなく、同時に謝罪をしすぐに立ち去った。ぶつかった女子高生の隣にいた友達が、
「大丈夫?」
と声をかけているのを背中に、二人の女子高生は話しながら遠ざかっていく。そんな後ろ姿を見て、ふと思い出した。
「あいつら、元気かな」
なぜ、そんな言葉が出てきたのか。たぶん、二人の女子高生が来ていた制服が、地元の高校の制服に似ていたからかもしれない。
俺は幼い頃から完璧に作られたロボットよりも、傷ついたロボットが好きだった。誰もがかわいいという整った顔や形の完璧なぬいぐるみよりも、例えば、ボタンが目になっているぬいぐるみの縫い目や目の位置が少しずれているぬいぐるみのほうが少し歪んでいるのがなぜか好きだった。
それは大人になった今でも変わらなかった。こんなこと、誰に言うわけでもない。ただ、自分はちょっとずれているんだなと思うくらいだった。子供の頃は、普通に友達と遊んだりしていたので、いじめにあうこともなかったし、がたいが良いせいか、不良にからまれることもなかった。しかし、特定の友人ができなかったので、中学、高校、大学時代は一人でいることのほうが多かった。
その日も俺は授業をさぼって非常階段で昼寝をしていた。そこに、一人の女子生徒が現れた。
「はー、どうしよっかなー」
大きなため息とともに漏れ出る声。
「はー、もー、本当にやんなっちゃう。あーあ、あんなことしなきゃよかった」
独り言にしては大きすぎる。誰が聞いているのかもわからないのに。とはいっても今は授業中だから誰もきいているわけがない。俺をのぞいては。大きな独り言をいう女はずっとしゃべっていた。本当に一人なのかってくらい。俺は寝ていたが、あまりのうるささに目が冷めてしまい、一言文句を言おうと声をかけることにした。一体どんなやつなんだ。
「誰だよ。この世の終わりのような声をしているやつは」
少し低音と怒った口調で発声した。
「すみません」
俺の耳に届いた声は、思ったよりも低音で、ぶっきらぼうな謝罪だった。容姿は、例えるなら、まるで主人公のクラスの隅にいるような、目立たない女子だと思った。そして、決して授業をサボらないような地味な生徒の一人のような。
「人がせっかく昼寝していたのに、一人反省会の声がでかすぎて夢見悪くてどうしようかと思ったわ」
俺は、あくびをしながら階段を降り、そいつの目の前に立つ。
「先輩、すみませんでした。次からは気をつけます」
近くに立つと小柄だったが、俺に対して全く物怖じしない返答がかえってきたので、拍子抜けしてしまった。大抵の女子はすぐに逃げ出してしまったりするのだが。
「あの、もしかして、私の一人反省会、聞こえていましたか?」
彼女は友達が告白をしたのだが、相手の一言に腹を立て、自分は関係ないのに相手を責め立てたという。
「別に全部聞こえていたわけじゃない。でも誰かの話し声がしたから目がさめただけだ。でも、察するにお前が悪かったみたいだな」
「そうみたいですね」
「まあ。気にするな。あと1ヶ月もしたらクラスも変わるんだし」
「……そうですね。少しの間我慢してみます。先輩、アドバイスありがとうございます」
俺の言葉に少し間があったが、落ち込んでいた声からだいぶ復活しているようだったので、少しはアドバイスになったのかと思った。すくっと立ち上がり、くしゃっとなっているスカートの裾を手で払ってまっすぐにし、立ち去ろうとしていた。この女子生徒はもうここには来ないかもしれないと思って、俺はとっさに名前を聞いた。
「お前、名前は?」
「私ですか?伊藤ですけど」
伊藤のぶっきらぼうな口調は、俺に全く興味がないんだろうなとはっきりわかってしまう。しかし、それもまた俺にとっては好感度がよかった。
「俺は、高木」
「じゃあ、高木先輩、アドバイスありがとうございました。失礼します」
伊藤は丁寧にお辞儀をして階段を降りていった。また会えればもう少し伊藤のことを知りたいと思った。
その後、伊藤はちょくちょく非常階段に来て、他愛のない話をしていた。伊藤が話すことは友人のことばかりだった。友人は自分と違って容姿も性格もいいと話していた。確かに伊藤のぶっきらぼうな態度を許せる友人がいることにも驚いたが、友人のことを話す伊藤は饒舌だった。そして本当にどうでもいいことだった。
小さい頃、家族同士のつきあいで一緒にでかけて仲良くなったこと。一緒にアイスを食べて、ふたりとも落としてしまい大泣きしたこと。些細なことで喧嘩した次の日には仲直りにアイスを食べにいったこと。お気に入りの漫画の話など。俺はうなずきもせず、ただぼんやり雲を眺めたり本を読んだり。昼寝していたが、よくしゃべるやつだと思った。
「あ、高木先輩、またサボりですか?こんにちは」
「お前もだろ」
俺の言葉を待たずして、伊藤は話し始めた。
「高木先輩はここがお気に入りなんですね。ひとけもないし、静かでいいですね。あの、一度、聞いてみたかったんですが、私がいたら邪魔ですか?」
「何を今更。別に」
伊藤に一言だけ告げて寝転んだ。
不思議と居心地の悪さを感じなかった。伊藤はおしゃべりだが、悪口などをいうタイプではなかった。友人の話ばかりしていて、もしかしたら、友人のことが好きなんじゃないかってくらい。
「伊藤、お前さ、あれからどうなったんだ?」
一瞬の間があったが、伊藤は何もなかったかのように話し始める。
「え?別に何もありませんよ。先輩って、以外と優しいんですね。友人が高木先輩と話しているのを知って、大丈夫?って言われました」
「なんだそれ」
俺は自分でも知っているが、俺のイメージは悪いらしい。まぁ、サボっているから仕方ない。
「本当ですよね。失礼ですよね。だから、先輩は優しいよって言っておきました。そしたら、友人がやきもちやいてですね、ふふっ、あの顔はかわいかったな」
伊藤は俺のフォローをしてくれているようで、結局友人の話がしたかっただけなのかもしれない。
「そうか。でもあんまり俺といることを言わないほうがいいんじゃないか。変に噂になっても困るだろ」
「高木先輩って……意外ですね。顔は怖いけど、きっとモテますよ」
「なんだそれ」
「本当ですって。私、優しい人に憧れてるので」
「そうかよ」
何気ないやり取りにほんの少しの心地よさを感じていた。約束をすることもなく、たまたま非常階段にいる二人。伊藤は友人の話を聞いてもらえるだけでいいような感じだったし、俺も聞いていて嫌な感じではなかった。今思えば伊藤は俺に友人がいないことを知っていたからいろいろ話しても、大丈夫だと思ったのかもしれない。
月日はあっという間に流れ、俺は卒業式を迎えた。その日も式をさぼって非常階段にいた。伊藤と話すことももうないかもしれない。そこに、伊藤は現れた。
「高木先輩」
「おう、伊藤か……ってお前!?」
俺は驚いた。伊藤が振り向いた時、伊藤の顔は腫れ上がっていた。口も切れているのか、少し鼻血もでている。どこかにぶつかったのか、いや、誰に殴られたようだった。
「その顔どうしたんだ?」
「あはは、ちょっとごたごたに巻き込まれちゃって。殴られちゃいました。ひどいですよね。女の子の顔殴るなんて。まぁ、でも私が原因だから仕方ないか」
伊藤は、顔を腫らしながら笑っていた。目はまったく笑っていなかった。
「保健室には行ったのか?」
「いいえ、保健室はあまり好きじゃないんで」
俺は伊藤に何か言いたかったのだろうか。自分でもわからない。
「そうだ。先輩、卒業おめでとうございます。先輩は、素敵な恋、してくださいね」
伊藤が俺を見て言った。いつか見たあの歪んだ目で。その目をみた瞬間、俺はとても興奮していた。この感情はなんなのだろうか。俺は伊藤のことを好きなのだろうか。
「お前さ、それ、わざといっているのか?」
俺は伊藤にゆっくり近づいて、自分の右手をゆっくりあげた。伊藤の腫れた右頬に触れようとした、その時だった。
「ゆりに触らないで!」
俺はビクッとして伊藤から離れた。甲高い声が耳に響く。
「しおり」
聞いたことのある名前に俺は振り返ってしおりを見る。伊藤がいつも話題にしていた友人の名前だ。彼女は明らかに俺に敵意をむき出しにしていた。
「ゆりに触らないで。ゆり、私のせいでごめん」
しおりと呼ばれた女子は泣きながら伊藤に近づいて濡れたタオルを伊藤の頬にあてていた。
「ごめん、ごめんね、ゆり」
「別に、大丈夫よ。そんなに泣かないで。悪いのはあいつなんだから。あ、冷たくて気持ちいい。タオル濡らしてきたんだ。ありがとう」
どういうことだ?伊藤はしおりのために誰かに殴られたということなのか?
「伊藤、誰に殴られたんだ?」
俺は伊藤の頬に触れようとしていた右手を下げながら、二人に聞いた。伊藤は俺の方を見ずに、泣いているしおりを見ながら、クラスメイトよと答えた。しかし、すぐにしおりが泣き止むようになだめている。しおりは涙を止めようとしているが、こらえきれておらず、伊藤の手を握ったまま下を向いていた。
「高木先輩、私、しおりが大切なんです。だから、しおりに手を挙げようとしたあいつが許せなくて。そしたら思いっきり殴られちゃいました」
伊藤の目は怒りに満ち溢れていた。ただ、しおりを見るときの目は穏やかで優しい目をしている。まるで別人のようだった。
「先輩、私、変ですか?」
「変じゃない。お前がそうしたかったんだろ。ただ、護身術くらいは覚えておいたほうがいい。というか、お前が友達思いだってことは、俺がよく知っている。俺にはそういう友人がいないからわからないけれど、手を挙げる男には近づくな。それだけは確かだ」
伊藤は俺の方を見ていなかったが、言葉は伝わったようだった。この校舎とも今日でさよならだ。ただ、一つやり残したことができた。俺は再び校内に入っていった。
「でさー、あいつがすごい目で俺を見てきたからイラッとして。ただ、脅すつもりだったんだけど、あいつの友達がいきなり入ってきて、そいつに当たっちゃったわけ。だから不可抗力ってやつだよな」
「お前、あとで刺されなければいいけど」
「あー、たしかにあいつならやりかねないわ。早く別れて他の女の子に乗り換えないとな」
教室で談笑している男子たちだが、内容はなんとも野蛮だった。そしてとっさに理解した。こいつが伊藤を殴った男子だということに。
「おい」
俺は教室の中に入り、話を遮った。
「え?何のようっすか?」
「お前、歯、食いしばれ」
「え」
食いしばれと言った矢先に殴るのは卑怯かもしれないが、とりあえず伊藤が殴られた頬と同じところに一発くらわせた。
「なにすんだよ!」
「悪いな。俺の知り合いがお前に殴られたって聞いたからよ。女に手をだす男は最低だ。覚えておけ」
伊藤を殴った男子とその友人たちは、いこうぜと言いながら教室からでていった。俺は握りしめていた右手の拳を開いて、教室を出た。遠くで女子生徒の笑い声が聞こえた。俺は、伊藤と友人のしおりが笑っている姿を想像していた。伊藤が笑っていればいい。あの歪んだ目に俺にできることがないかと思ったりしたが、伊藤はしおりといる時、とても幸せそうな顔をしていた。俺はなぜかすっきりとした気持ちで学校を去った。
あれから彼女たちとは会っていない。
「3番線ホームに電車がまいります」
構内アナウンスが耳に届く。
「あいつら元気でやってればいいな」
柄にもなく昔を思い出し、重い足取りと憂鬱な気分だった朝の通勤時間が少しだけ軽くなった気がした。