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12/22

〇2-8

 週末と平日では時間の流れが違う、ように感じる。平日の退屈な授業とかはあんなに長く感じるのに、週末はあっという間に終わるのだから損した気分だ。というわけで今日は月曜日。前回よりさらに三十分早く起きて、オレは朝飯を食べていた。


「あれ、お兄ちゃん今日はもっと早いね。変なの」


「別に変ではないだろう」


「彼女さんとうまくいってるんだ」


「だから彼女じゃないって」


 余裕をもって家を出ると、自転車を走らせる。走らせながら、もし待ち合わせ場所にメルがいなかったらどうしようかと考える。


 先週までだったら強引にでも連れて行こうとした。でも、前回のことがあってから、ちょっとそれは気が引けるというか、なんというか。結局答えは出ないまま、彼女のマンションへとついてしまった。


 メルはいた。今日は寝坊もせずに、待ち合わせの場所にやってきていた。ものすごく不機嫌そうな顔はしてたけど。メルママに強引に連れ出されたのだろうか?


「おはよう」


「……はよ」


 挨拶をくれるメルの顔は眠いやら嫌やらで、しわくちゃの変な顔になっている。


「そうだ。今日はさ、あのリュック持って来てもいいぞ」


「……いいの?」


「ああ。そっちの方が落ち着くんだろ?」


 メルは嬉しそうにマンションへとかけていくと、すぐにリュックを背負って来た。ランドセルみたいなリュックだから、これを背負うと小学生みたいに見えるんだよなあ。


「教科書は?」「入れた」「上履きは?」「入っている」「他に忘れ物は?」「ない、と思うよ」「じゃあ行くか」


 少しだけ機嫌を直したメルと二人して歩いていく。歩く中で、オレはいうかいうまいか悩んでいた。でも、先に伝えておいた方がいいだろう。


「言い忘れてたんだけどさ、今日は教室じゃなくて違う場所で勉強するかもしれなんだ」


「どういうこと?」


 メルが首をかしげる。


「先生が許可を取ってくれれば、の話なんだけど。とりあえず行こう。先生と話せばわかるよ」




 職員室に入ると、オレたちを見つけた先生が手を振って来た。


「許可、下りたわよ」


 三人して職員室を出て、とある場所まで向かう。そこは一階の角部屋、勉強するにはもってこいの場所――図書室だった。


 二十人くらいが座れそうな四人掛けの机、入口近くには雑誌コーナーが設けられている。通路を挟んで反対側には本棚とカウンターがあり、中には司書室と書かれた教室も見えた。


「あー、いらんお節介かもしれないけどさ、先生に相談してたんだ。もしメルが良かったらなんだけど、しばらくここで勉強してみないか?」


「佐竹さんはまず、学校に慣れるところから初めた方がいいと思うの。毎日学校に来て、図書室で勉強して、少しずつ学校に慣れていかない?」


 オレたちの提案に、メルは複雑な表情を浮かべる。そりゃそうだ。学校に来ているのに、みんなと同じように勉強できないっていうのは苦痛だろう。


「もちろん、学校に慣れたらいつでも教室に戻って、みんなと勉強することもできるわよ。でもそれにはちょっとだけ、時間が必要だと思うの」


「どうだメル? しばらくの間、ここがメルの教室になるってことなんだけど」


「うん、ここで勉強する、んだよ」


 メルが納得してくれると、司書室から一人の先生が出て来た。緑色のエプロンを付けたその先生はまだ若く、秋月先生と歳が近いかも知れないと思った。


「有馬先生、おはようございます」


 有馬先生たちは気の知れた様子で二、三会話を交わした後、メルを見やる。


「君が佐竹さんですね。秋月先生から話は聞いています」


「こ、こんにちはっ」


 緊張しがちにメルも挨拶を返す。


「ここの司書を任されている有馬です。よろしくね」


「おねがい、します」


 最近分かって来たことだが、メルは一対一ならぎこちなくても会話可能だ。複数人でも、知っている人がいればある程度の会話はできる。


「私は大体八時には学校にいますので、それ以降だったら図書室に入れますから。あそこの席ならどこでも使って大丈夫です」


 有馬先生は、四人掛けの席を指さす。メルは入口から一つ離れた席に荷物を置いた。


「それじゃあ自己紹介も済んだということで……」


 秋月先生はニコリと微笑むと、さっきから両手に抱えていた大量のプリントを机の上に置いた。


「宿題というわけじゃないんだけど。佐竹さんって、四月からずっと授業を受けてなかったでしょう? だから勉強も色々と分からない部分があると思うの。そこで私、週末にこんなもの作って来たの!」


 先生が作っていたのは確認テスト用のプリントだった。


「国数英社理、五教科七科目。自習でも学習しやすいように、教科書を見れば埋められるような穴埋め形式にしてみたの」


 これを全部自作してくれたのだろうか。


 休日を返上してこんなことしてくれるなんて、うちの担任はすごい先生だ。


「とりあえず、しばらく勉強はこのプリントをやっつけちゃうことにしましょう」


「昼休みに様子見に来るから、それまでメルは勉強していてくれ」


「分かった、んだよ」


 メルとはそこで別れた。図書室を出ると、先生に耳打ちされる。


「ちょっといい? 三嶋君。実はね、図書館で勉強していても、出席日数にはカウントされないのよ」


「え、そうなんですか? 学校には来ているのに?」


「そうなの。うちって出席日数には厳しいから。出席さえしてれれば、あとは補講とかでどうにかできるんだけど……」


 なるほど。じゃあ最終的には、メルはちゃんと教室で授業を受けないといけないのか。


「それって、どれくらいの猶予があるんですか?」


「ちゃんと調べてはないんだけど、四月中には出席しないとマズイわね」


 ということは、二週間ほどといったところか。


「それからね、勉強に遅れが出ている生徒がいると、一部の先生から苦情が来るのよ……。休んでいるせいだって、授業中にもグチグチ言われちゃうかも。そうならないためにも、佐竹さんには授業内容を完璧にマスターしてもらいたいのよ」


 そう言って、先生はいつものように両手を合わせてオレを拝んだ。


「だから三嶋君、お願いね! 何としても佐竹さんの勉強の遅れを取り戻して、彼女をまた教室へと連れてきて!」


「……勉強は苦手なんですよ、オレ。それは先生も知ってますよね?」


 学年テストの結果を先生が知らないはずがない。


「大丈夫、大丈夫! 元気があれば、なんだってできるわ!」


 元気があっても、無理なものは無理だと思う。


「まあ、努力はしますとも」


「それでこそ、私が選んだ男よ!」


 ……なんか先生、オレのこと都合のいい男だって思ってないだろうか?


 まあ、良いんだけどさ。




 四時間目が少し長引いてしまったので、遅れて図書室に入る。図書室はガラガラで、カウンターに座っている生徒を除けば、ほぼメルの貸し切り状態だった。オレを見つけると、安堵の表情を浮かべて手を振って来る。


「どうだ、ちゃんと勉強してたか?」


「もちろん、しっかりやってた、んだよ」


「どれどれ……」


 進捗具合を確認してみるが、あまり進んでいるようには見えない。


 空欄を埋めれば解けるようにしてあると先生は言っていたが、少し問題が難しすぎたか? 勉強を教えてやりたいけど、五教科一七〇点代のオレじゃ戦力にならないし。


「――全然勉強してなかったわよ、その子」


 オレが悩んでいると、どこからかそんな声が聞こえてきた。カウンターに座って読書をしていた女子生徒がコチラを見ていた。


 ツンっとすました顔、その瞳には鋭い眼光が灯っている。茶髪がかった黒髪はウェーブっぽいボブヘアーで、毛先が少しばかり外に跳ねている。カウンターの奥に見える身長は、メルほどではないにしても小さい。でも胸は大きかった。


「その子、雑誌ばかり見て、飽きたら図書室の中ウロウロして全然集中してない。おまけにすぐに休憩に入ってばかりいるんだから。あれで勉強してるって言えるの?」


「そうなのか、メル?」


「そ、そんなことない……んだよ」


「ウソつき。彼が来るまで、ずっとスマホいじってたじゃない」


「あ、あれは分からない部分を検索してて……」


「それにしては空欄なんて全然埋まってないようだけど?」


「うう……」


 あたふたとするメル。視線を動かし、落ち着きがない。こりゃ図星だな。


「それくらいにしてあげなよ、三宮さん」


「四宮です!」


 険悪な雰囲気を感じ取ったのか、慌てて有馬先生が間に割って入った。


 四宮はまた視線を落とし、読書に没頭し始めた。上履きの色から、彼女が一年生だということが分かる。


 てっきり小説でも読んでいるかと思ったが、彼女が開いているのは教科書だった。熟読するように、時に頷き時に唸りながら、彼女は教科書を読み進めていく。昼休みに入っても勉強しているなんて、相当勉強好きなんだな。


 特筆すべきはメルが普通に話せていたこと。一方的に言い負かされた感じはあったけど、これは好機ではないだろうか。


「なあ、四宮って言ったよな? 四宮はさ、もう昼飯とか食べたか?」


 教科書に落としていた視線をこちらに向ける四宮。ツンッと冷たい印象を抱かせてしまいそうな鋭い視線でオレと、それからメルを交互に見つめる。


「いや、まだだけど?」


「だったらどうだ? 一緒に飯、食べないか?」


 オレはコッペパンの入ったコンビニ袋を見せて誘ってみるが……。


「ごめんなさい。私、図書委員の仕事があるから」


 簡単に断れてしまう。


「良いじゃない二宮さん、せっかくだから一緒に食べなよ。どうせ昼休みは借りに来る生徒も少ないし、図書委員の仕事は後回しでいいよ」


「四宮です! まあ、先生がそういうんならそうしますけど」


 一度は断られたが先生に助け船を出されて、なんとか彼女を誘うことに成功する。ということで、オレたち三人は一緒に昼ごはんを食べることになった。


 有馬先生の計らいで、司書室を使わせてもらう。部屋の中央に三人くらい座れる丸い机があり、壁には本棚、それから一台のデスクトップが窓際に置かれていた。


 部屋に入るとすぐに、コーヒーの良い匂いが漂ってきた。よほど凝っているのだろうか? 壁際にはコーヒーメーカーまである。


「飲みたかったら飲んでいいからね」


 メルはさっきから緊張しているようで、一言も発さない。さっきの一件で完全にビビってしまったようだ。ツンツンしている四宮と、オロオロすうメルと三人で机を囲む。


 四宮がカバンから取り出したのは、オレと同じコンビニの袋だった。


「お、四宮もコンビニ弁当か」


「まあね。あんまり時間がないのよ、家」


「オレん家と一緒だな」


 とりあえず、掴みの話題があってよかった。


「自己紹介がまだだったけど、オレは三嶋颯太。そんでこっちが佐竹愛瑠。二人とも、一年三組だよ」


「ふーん」


 あれ、それだけ? 四宮はパクパクと口に弁当を運びながら、もう片方の手で器用に教科書をめくって見せる。まるでこっちには興味なさそうな仕草に、オレはもちろんメルも戸惑っていた。ただし、四宮は話を聞いていないわけじゃなかった。


「二人とも同じクラスなのね」


 弁当を食べることと教科書を読むこと、それからオレたちの話を聞くことの三つを同時並行で処理しているせいか、反応速度が遅れていただけだった。


「私は四宮葉月。一年五組」


 ワンテンポ遅れて、四宮が口を開く。


 四宮葉月? はて、どっかで聞いたような気がするけどどこでだっけ?


「メルって言ったけど、あなた、外国人なの?」


「……パパがイギリス人、なんだよ」


「ふーん」


 興味なさげに「ふーん」というのが、四宮の口癖らしかった。でも、本当に興味がないわけではないらしく、数秒の間を置いたのち彼女の方から色々と質問をぶつけてくる。


「メルって漢字はどう書くの? 佐竹はなんでここで勉強してんの? いじめられているの?」


 ズバズバと鋭いナイフで嫌なところをついてくる。


「も、もう少しオブラートに包もうよ、一宮さん」


「四宮です!」


 口が悪い奴かと思いきや、「その髪、きれいね。ブロンドヘアーって憧れるわ」とか「佐竹のお弁当、とってもおいしそうね」などと、ほめ言葉も伝えている。弁当をほめられたメルは嬉しそうに頬を染めた。


「葉月の髪もキレイ、だよ」


「そう?」


「うん。ふわふわってしてて、もこもこってしてるんだよ」


 すぐ呼び捨て、しかも名前。少し意外に思うんだけど、メルは距離の縮め方が早い。彼女はなんていうか、人見知りで人懐っこいのだ。


 まあ何にしても、メルは四宮葉月に心を開いたようだった。それにしても、四宮葉月……。やっぱりどこかで聞いたことある名前だけど、どこだっけ? 確か入学して最初の方で見たことあるんだけど……。


「思い出した! 学年一位の四宮葉月!」


 一番初めに行われた学力テストで、確か一位として張り出されていたはずだ。


「あんた、私のこと知ってるの?」


 チラリと、やっと教科書から視線を逸らした彼女が見つめてくる。


「当たり前だろ。お前の名前、めっちゃ有名だぞ? 学年一位で張り出されてたからさ」


「何、五宮さんってそんなに頭が良かったの?」


「四宮です!」


 これだけ褒められても、四宮は顔色一つ変えない。当たり前のような顔して、また教科書を読み始めた。


「でもすごいよな。五教科合計で四五〇以上も取るんだからさ」


「四七六点よ」


 さらりと訂正してくる。


「別にこれくらい普通じゃない? だって私、めちゃくちゃ勉強しているから」


 謙遜するかと思ったら、まさかの天才宣言……でもなかった。


 ガリ勉宣言だった。


「平日は八時間、休日は十六時間。風邪ひいてもケガしても、どんなことがあっても毎日それくらいの勉強はしてるわ」


 バケモノかよ……。


「やっぱり好きなのか? 勉強するの」


「はあ? そんなわけないじゃない」


 まるで意味が分からないといったように、四宮は眉をひそめた。


「勉強なんて好きじゃないわよ。こんなの、いい大学に入るために決まってるでしょ?」


 随分と割り切って考えてるんだな。四宮はまた視線を落とし教科書を読み始める。そんな彼女を見て、ふと思いついたことがある。


「なあ四宮、メルの勉強みてくれねーか?」


「はあ?」


 また意味分からんこと言いおって、という感じで彼女が顔を上げる。


「ほらメルってさ、今まで学校休んでたから勉強にちょっと遅れが出てるんだよ。だから頭良い四宮が見てくれたら助かるっていうかさ」


「どうして私が? 嫌よ」


 きっぱりと断られるがオレも簡単には引き下がれない。


「昼休みの時間だけで良いからさ。ちょっとだけ、な?」


「あんたが教えればいいでしょ?」


「オレはさ、その……勉強は得意じゃなくてさ」


「この前のテスト、何点だったの?」


 オレはしばし沈黙したのち、彼女に点数を伝える。


「……一七〇点、くらいかな」


 オレの点数は聞いた彼女は、罵倒することも忘れ口をあんぐり開け驚いた。


「呆れた。その点数って、一教科あたり三五点未満よ」


「まあオレの話は良いからさ。どうだ? 引き受けてくれないか?」


「だから嫌よ。仮にその提案を引き受けたとして、私になんのメリットがあるわけ?」


「あー、内申点! 担任に頼んで四宮の内申点を上げてくれるよう頼むよ! 大学受験にも、内申点って絡むって言うだろ? だからさ」


 オレがどうのこうの言ったところで、四宮の内申点が上がるとは限らないけど。有馬先生もパソコンから目を離して加勢してくれる。


「良いじゃない四宮さん、やって上げなよ。四宮さんがすごく頑張ってくれたって、僕からも言っておくから」


「四宮です! ってあれ?」


 メルがここまで心を開こうとしている相手も珍しい。こんな相手、中々いないぞ。オレが両手を合わせて頼むと、四宮は観念したように「ふんっ」と鼻を鳴らした。


「分かったわ、佐竹の勉強を見てあげる。ただし、条件があるの」


 鋭い視線をメルに向けたので、彼女はビクリと肩を震わせる。これから地獄の底に連れていかれるんじゃいかというくらい不安な顔をして四宮を見つめた。でも四宮の条件はそんなものではなかった。


 メルの前に置かれた弁当箱を指さすと、頬を赤く染め上げた。


「……そのお弁当、少しちょうだいよ」




 翌日、昼休みを告げるチャイムが鳴ると同時にオレは五組へと移動する。メルの勉強を四宮葉月に見てもらうためだ。五組の廊下から四宮の姿を探すが中々見つからない。


「なあ、四宮っているか?」


「四宮さん?」


 話しかけた女子生徒は少しだけ気まずそうに、四宮が方角を指さした。いた。四宮は教室の端っこの方で、一人黙々とコンビニ弁当をぱくついていた。前見た時と同じように、片手で器用に教科書をめくっている。


 オレが近づくと、四宮は険しい視線を向けて来た。


「なんだ、あんたか」


「なあ、メルの勉強見てくれるって約束だったろ?」


「そういえばそうだったわね」


 パタンと教科書を閉じると、弁当容器を手早くビニール袋にしまい、一人で外に出てしまう。慌ててオレもついていく。


「本当は、今日は図書委員の仕事はないんだけど」


「悪りーな」


「いいの、約束したから」


 文句が言いたいのか、なんなのか。判断は難しいが、とりあえず勉強は見てくれるみたいなのでホッとした。一人でズンズンと進んでしまう四宮の背中をオレも速足で追いかける。


 追いかけている途中で、これを聞こうかどうか迷っていた。


「なあ、四宮ってさ……」


「なに?」


 そこまで言いかけて、口ごもる。これを本人に伝えたってしょうがないのにさ。


「いや、なんでもない」


「ボッチでご飯を食べてるのがそんなに不思議?」


 話を遮ったにも関わらず、なんと彼女の方から核心をついてきた。それも、オブラートに包まずに、直接的な表現で。


「いや、そういうわけじゃないけどさ……。他の奴らと食べないのか?」


「食べないわ」


「そうなの?」


「あのね、気を使ってくれてるのか知らないけど、別に私、全然気にしてないの。一人でご飯食べるとか、一人で家に帰るとか、一人でトイレに行くとか。だって好きでもない人と一緒にいても、面倒なだけでしょう?」


「そうかもしんないけどさ」


「別に、積極的に孤独になろうとしているわけじゃないのよ? ただ今回はたまたま同じクラスに気が合いそうな人がいなかっただけ。ただ、それだけよ」


 彼女は毅然として答えた。


「そんなものか?」


「そんなものでしょう、学校生活なんて」


 四宮葉月は、一人でも大丈夫な人間らしい。妙に達観している姿は、少しだけ先輩に似ていると思った。




「子犬みたいね」


 図書室に入った際のメルの反応を見て四宮がそうつぶやく。それはオレも同感だった。尻尾でも付いていれば、フリフリと左右に揺れているのが見れただろう。


 有馬先生に快く許可をもらい、オレたちはまた司書室で昼ご飯を食べる。弁当を広げていると、メルだけがなにやら恥ずかしそうにモジモジしていた。なんだろうかと観察していると、意を決したように口を開く。


「葉月、コレ、持ってきたんだよ」


「何、これ?」


 いつものリュックから、弁当箱を二つ取り出す。初日に比べて圧倒的に小さくなった女の子らしいお弁当箱だ。一つはメルの分、あともう一つは?


「葉月の分。ママが作ってくれた、んだよ」


「私に?」


 うん、とメルが嬉しそうに笑う。色違いのお弁当箱。中身は、ご飯からおかずから詰め方まですべてがお揃い。ボリューム満点、豪華なお弁当なんだけど、どうかな?


 四宮はコンビニ弁当があるし、彼女は教室で半分以上食べていた。どうしたって、この量は多すぎる。断るべきなんだろうけど、でもメルの嬉しそうな表情を見ていると、断りも入れづらいというか。


 オレが助け舟を出すべきだろうと、口を開きかけたが……。


 四宮はさっと自分のビニール袋を隠してメルのお弁当を受け取った。それから、「いただきます」と、何事もないように一口おかずを口に持っていく。


「これ、とっても美味しい。ありがとう、佐竹。でもここまでしてくれるのは、お母さんに申し訳ないから、私のお弁当は今日っきりで大丈夫よ。明日からは、メルのお弁当から少しもらえればいいから」


 メルに気を使わせないよう自分の弁当を隠し、メルを傷つけないよう最初に感謝を述べ、そして自分の意見もちゃんと述べる。四宮は良いやつだ、オレはそう確信した。


「さてと、佐竹は私から勉強を教わろうとしているのよね?」


「うん、そうなんだよ」


「それはいい度胸ね。ねえ、佐竹? やるからには、私、本気でやるわよ?」


 四宮の目つきが変わった。


 メルはごくりと生唾を飲み、決意するようにうなずいた。


「さて、まずは手始めにスマホを貸してちょうだい」


 何をするのかと不思議に思いながら、メルは自分のスマホを彼女に渡す。四宮は慣れた手つきで何やらスマホを操作していく。何をしているのか、オレとメルは顔を見合わせた。


「これで良し、と」


「四宮、それ何してたんだ?」


「佐竹のスマホを使えないようにしたの」


「……え?」


 メルの声音が変わった。


「これで学校にいる間は、スマホで時間を潰すことは出来ないから。大丈夫、安心して。緊急連絡だけは取れるように設定してあるから」


 帰されたスマホを慌ててチェックするメル。


 お気に入りのアプリもインターネットも、開こうとするとトップ画面に『時間を無駄にしないようにしよう!』という文言と共に、起動制限が掛かる。


 他のアプリも、また他のアプリも同じ。ネットサーフィンしようにも、そもそもインターネットにつながらない。メルは顔を青ざめて四宮を見つめた。


「ひどいんだよ……葉月」


「ちょちょっと、それはやりすぎじゃないかな。宮内さん」


「四宮です!」


 有馬先生の言葉にも四宮は姿勢を崩さない。


「いい、佐竹? 勉強に必要なものはね、才能でもお金でも根性でもない。――環境よ。昨日のあんたを観察して分かったけど、佐竹は集中力がなさすぎる。すぐにスマホいじるし」


 うう……とメルが唸り声をあげた。


「まずは集中を削ぐ媒体を排除していくことから勉強は始まるのよ。つまりは環境作りね」


「そんなもんで勉強に集中できるのか?」


「想像してみなさい、三嶋。あんたが逮捕されて牢屋に入れられた状況を」


「牢屋?」


 ……なんか嫌な例え話をされそうな気がした。


「そう、三嶋の容疑はまだ決まっておらず、あんたは牢屋から出られない。四六時中なにもない空間で過ごすことをどう思う?」


「そりゃ嫌だな。やることもないし、暇だ」


「その通り。人はなにもしないことに耐えられない生き物なの。『人間の問題はすべて、部屋で一人静かにしてられないことに由来する』、なんて言葉もあるくらいだからね」


 誰の言葉かは知らないが、まあまあいい線いった言葉だな。まあ、すべてってことは言いすぎだと思うけど。


「話は戻るけど、そんな三嶋の元に看守がやってきて、あんたに数三の教科書だけを渡したら、あんたはどうする?」


「数三? オレ、数学が一番苦手なんだよ。それに数三って三年で習う範囲だろ? そんなもん渡されたって――」


「例え話よ、アホ。よく想像してみて? 何もすることがない牢屋の中で、数三の教科書だけが手元にあるの。どう? 三嶋はそれをどうする?」


 なんか、誘導されているような気もするけど。


「まあ、ペラペラとめくってみるだろうな」


「そこよ!」


 ビシッと、オレの顔目掛けて指さしてきたので思わずのけ反る。


「例え苦手教科でも、暇なら人は教科書を開くのよ。暇よりも苦痛を選ぶのが人間の悲しい性なの。そこから導かれる結論は? 勉強しかできない環境を作り出せれば、たとえ勉強嫌いでも勉強するようになるの。いや、するしかないのよ!」


 これが私の勉強環境理論よ、と四宮は自身の勉強論を話してくれた。


「だいたい、この世は暇つぶしにあふれ過ぎている。家に帰ればゲーム、インターネット、Youtube……スマホ一つで簡単に暇が潰せる。こんな状況で勉強に集中できると思う?」


「まあ、難しいな」


 オレも勉強しようと思った途端、スマホが気になって気づいたら一時間くらい経っていたことがある。


「そうと分かれば、うん」


 今まで黙りこくって会話を聞いていたメルに向かって、四宮は両手を指しだした。四宮には似合わない、満面の笑みを浮かべている。


「通信機器、その他、暇をつぶせるような物は全部出しなさい!」


「ええっ」


 勉強道具の教科書を除いて、メルはお気に入りのリュックごと奪われてしまった。


「うう……ひとい、んだよ」


「あんた、このまま勉強できなくて留年してもいいわけ? これは愛のムチよ。学校にいる間くらい、勉強に集中しなさい。大丈夫、それくらいで死にはしないわ」


「……分かった」


 渋々、メルは了承した。それから落ち込んだ気持ちを励ますように、お弁当から唐揚げをパクリと食べる。


「ちょっと、佐竹。あんた、何のんきにご飯なんて食べてるの?」


「え?」


 二口目を食べかけたメルに向かって、四宮の鋭い視線が突き刺さった。


「分かってる? あんたは私という学習リソースを与えられているの。私を使えるのは昼休みの五十分だけ。その時間に、のんきに昼ごはんなんて食べてていいと思ってるわけ?」


 睨みを効かされ、メルは硬直してしまう。


「分かったらさっさと勉強を始めなさい! 分からない部分をピックアップして、昼休み中に私に質問なさい! 明日からはそのための質問リストを作っておくこと! 分かった!?」


「ひゃい!」


 メルは慌てて勉強を開始した。四宮は、中々の鬼教官だったらしい。必死に勉強するメルの隣で飯を食べるのは気が引けたが、四宮が何も気にせずに弁当を食べるのでオレも習うことにする。


 カリカリと、メルがプリントを埋める音が司書室に響く。


「大体、この本は何なの?」


 ご飯を食べながら、四宮はメルから回収した雑誌をペラペラとめくった。メルの部屋にあった難解な研究雑誌だ。チラリと視線を向けたメルが、おずおずと答える。


「SETIの本、なんだよ」


「セチ?」


「そう、なんだよ」


 メルは先週、オレに説明してくれた宇宙人の話を四宮に話す。オレと違って四宮は頭の構造が違うのだろう。メルの話を聞き終えた彼女は、「へー、そんなものがあるのね」と、簡単に理解してしまった。


 四宮も知らないことを知っていたということで、メルはちょっと得意げだ。


「何よその顔、もっと課題を増やしてほしいの?」


「う、ううん。……まさか、なんだよ」


 慌ててメルが首を振る。


「でも、そんな学問があるなんてね。全然知らなかったわ」


「日本ではまだまだ知られない、から」


 難しい話が書かれた研究雑誌を眺めながら、四宮がつぶやく。よく、そんな雑誌読もうと思えるよな。オレなんて、見開き全部が文字の書物は読む気がしないっていうのに。


「そのETIっていうのは、見つかる算段はあるの?」


「分からない。でも確実に進歩はしている、と思うよ」


「そういえば、最近のビジネスでは宇宙進出が激しいわよね。ロケットを何発も打ち上げたり、火星に探査機を送ったり」


「そうそう、そうなんだよ! 今、宇宙はものすうぅぅっごく熱い、んだよ!」


「火星探査機ってさ――」


 メルと四宮は勉強も昼食も放っぽって、宇宙話に夢中になっている。こんなに熱く話すメルも珍しいな。


 四宮とは気があるようで、メルはよく話せている。うん、これは良い兆候だ。


「なあ四宮、オレらの部活入らないか? 天文部なんだけどさ。今、部員数が足りなくて困ってるんだ」


「ごめん、私部活とか興味ないの」


 速攻で拒否された。


「そっか。いや、全然オッケーだし。悪いな、話の邪魔した」


 こりゃ部員は他を当たるしかないか。一度、クラスのみんなに聞いてみよう。


 そんな事を考えていると、オレのスマホが鳴った。見ると、先輩からの連絡だった。


『今どこ?』


 いつも通りの短文。


 続けて、『部室を空にするのを手伝ってほしい』とも送られてきた。そういや、生徒会の人が言ってたっけ。……先週中に部室を空にしろって。


「また怒ってるんだろうなあ、橘先輩」


 チラリとメルたちに視線を送る。二人なら一緒にしておいても問題ないだろう。


「なあ、ちょっとオレ用事ができたから、先行くな」


「どうぞお先に」


 メルたちを置いて、オレは部室棟へと向かう。三階の角部屋、ひるね部と噂されてる天文部の扉を開く。


「すいません先輩、遅くなり――」


 てっきり先輩がいるのかと思ったが違った。見知らぬ男子生徒が、机の上に座って窓の外を眺めていたのだ。


 後ろから見える髪は、ふわりとパーマがかった茶色、モデルのようにスラリと伸びた手足。これでイケメンだったら、きっとモテるだろうなあと思っていると彼が振り返る。こちらを向いた彼は、とってもイケメンだった。


 振り返った彼は、オレを見つめると微笑を浮かべる。


「君がコットちゃんの後輩君かな?」


「……コットちゃん?」


 内履きから、彼が二年生だということだけは分かる。彼の口から出てきた「コットちゃん」というのが、琴音先輩のあだ名だと気が付くのにはもう少し時間がかかった。


「どちら様ですか?」


 警戒するように口を開くと、彼はニコリと女子を虜にさせるような笑みを浮かべて、そう宣言した。


「僕? 僕はさ、――コットちゃんの彼氏だよ」


 うそーん。


 彼氏がいるなんて知らなかったオレは、そんな言葉を漏らしてしまった。

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[良い点]  これは良作。精一杯のポイントで応援させてもらいますわ。
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