彼が教えてくれた事。
「はじめまして。ユージーン・デライトです」
彼は鮮やかに微笑み。
「お互い政略結婚になるけど尊重し合えるような夫婦になりませんか?」
彼はそう言ったのに。
そのユージーンが浮気をしていた。
1年前に婚約者になった。政略結婚だからお互い特に好きも嫌いもないけれど。あの顔合わせの挨拶で言われた台詞をそのまま信用して彼をいい人だと思っていた。
私は愛情とはなんたるかを知らない。もしかしたらユージーンが教えてくれるのかと期待した。
侯爵家に恥じないようにと。
家名に泥を塗るな。貞節であれ。賢くあれ。笑うな。怒るな。泣くな。
幼い頃より言われ続けて育った。
学園では才女として、未来の社交界に向けて淑女のマナーも完璧に。
私に一体何が足りないと言うのだろう。
今、ピンク色の髪の女の肩を抱いていかがわしい宿屋に入っていくユージーンを記録水晶で見せられている。
そういえば、ここ数週間ユージーンから連絡すら無かった。
一瞬だけ頭が真っ白になり、我に返ると記憶の中の鮮やかな笑顔が遠く霞んでゆく。
そうか。貴方も私を見ないのか。そう思うと大きな石の塊が胃に落ちてきた気分になる。
「…………そう」
「怒らないの?」
男は記録水晶の映像を止めた。もっと明確に浮気をしている場面もあるが見るかと言われて首をふる。
どうでもいいし、見ても気分が悪くなるだけだ。
学園の授業が終わり廊下を歩いていたら、知らない男に呼び止められ、ユージーンについて話があるといわれた。
足を止めて振り返ると、男は辺り一帯に幻視魔法を展開して目眩ましをすると有無を言わさずその場で私に見せてきた。随分と魔力の練り方が馴れている。
見上げる程背が高く、一重の目といい凶暴そうな顔立ちの赤髪の男は記録水晶に映っていたピンク髪の義理の弟だと言う。
ステラ・ノアール。その名前聞いた事がある、平民だったけれどその魔力の多さで男爵家の養女になったとか。確か第3王子とその側近達から愛されているとか。
そんな義理の姉の不祥事を態々ユージーンの婚約者である私に見せる意図がわからない。
「え?怒って欲しいの?」
不思議な事を言う人だなと見上げれば、彼の中の何か当てが外れた様だ。困った様に頭を掻いている。
「なんか聞いてた話と違うなあんた。砕けた口調でも怒んないんだな」
「誰から何を聞いたのかは知らないけど、昔からこんな感じよ?
それに話し方くらいで怒るわけないじゃない」
「そうなんだ。上級貴族なのに変わってるね。まぁ話しやすいから助かるけど。なら家族仲が悪いって噂も違うってこと?」
「あぁ、それは本当。というより貴方は誰で、何の用件なの?」
「ああ、これは失敬。俺はリスター・ノアール。嫌だけどこの女の義理の弟」
「ノアール…ノアール男爵」
リスター・ノアール。彼の名前は知っている。1学年下で成績優秀な人物として有名だ。
「正解。下級貴族の事までよく知ってるなぁ。さすが学園一の才女は違うね。
要件は俺に協力して欲しい。このユージーン・デライトと婚約破棄してもらいたいんだ」
コツコツと水晶を爪で弾いている。
「私でいいなら協力するけど。
婚約破棄…したいのは山々だけど。父は婚約破棄を許さないと思うわ」
「婚約破棄出来なくても協力してくれるだけで助かるよ」
私の父はこの国の宰相をしている。ユージーンの父親はデライト伯爵。我が家より格下になるが海運産業に力を入れていて、それに目をつけたのだろう。
1年前に、我が家に有利な条件で婚約を結んだのだろう、機嫌良く私の婚約が締結したと告げられた。
私は不本意だったので冷たく了承すると、父は鼻を鳴らして不満をあらわしていたっけ。
母が幼い時に亡くなる前から家にも寄り付かず、噂では他所に愛妾かいるとかどうとか。普通の親子としての会話は母が生きていた幼い頃にあったと思うが思い出せないし深い溝がある。
父の事で意識を飛ばしていると、リスターが不思議な目の色で私を見つめていた。不躾だけどなぜか嫌ではない。
「なあに?」
「いや…」
「変な人。ふふ、まあいいわ。それ複製品よね?貰って構わないかしら」
「あぁ」
「一応、父に見せてみるわ」
「あぁ」
「何?あぁしか言わないのね」
「いや…不躾に呼び止めた俺の話もまともに聞いてくれた。噂とは全然違うし、あんたの婚約者は見る目がないな」
「ふふ、ありがとう。用件は済んだかしら?そろそろ行きたいんだけど」
「それじゃ連絡するよ」
アッサリと幻視を解くと片手を上げて去って行く。
私は手の平で記録水晶を転がしながら、彼の後ろ姿を見つめていた。
ユージーン。
取り敢えず彼の言い分も聞いてみようか。
放課後、ユージーンを捕まえて裏庭に連れてきた。
「ねぇ、ユージーン聞きたい事があるの」
「何?」
イラついて私を睨むユージーン。こんな彼は初めてだ、それでも怯まずに話をする。
「ねぇ、ユージーン。私に何か言う事ない?」
「はぁ?何その言い方。随分と偉そうだね。それと僕からは何もないよ」
紺色の巻き毛をかきあげてそっぽを向く。あぁ…彼が嘘をつくときや後ろめたい時によくやる癖だ。
「本当に?」
「あぁ、何も無い。もういいかな」
「ねぇユージーン。ピンク色の髪の人と何してたの?」
「……………。だ、誰だよ。それ」
「誤魔化さないで全部知ってるから」
「………」
「ユージーン。宿に泊まって何をしてたの?なんで困ると黙るの?
ただ答えて欲しいの。ねぇ黙るとか本当そういうのやめてくれない?」
誤魔化しきれないと思ったのかユージーンが逆にキレてきた。
「煩いなあ!全部知ってるなら僕に何を言わせたいのさ!」
「……ねぇ、浮気したなら謝るとかないの?」
呆れてユージーンを見ると、ユージーンは舌打ちをする。
「君のそういう所が嫌いなんだよ。君が正しければ僕の気持ちも関係なく容赦ない」
「え?当たり前じゃない。
浮気したのはユージーン貴方でしょう?
私が嫌いなんて事は後でもいいわ。話をすり替えないで」
ユージーンは憎々しげに私を睨みつける。
「あぁ浮気したさ。でも僕のせいじゃない。浮気される魅力のない君のせいだから」
「はぁ?」
「それじゃ僕行くよ」
政略結婚の婚約者として節度があり、それなりに優しかったユージーンが別人のようだった。
浮気される魅力のない君のせい。
君のせい。君のせい。君のせい。
じわじわと怒りがこみ上げる。私と向き合うことすらせずに逃げたユージーン。
君のせい? いいえ、そんな事あるわけ無い。どんな理由があっても浮気したユージーン、貴方が責任を取らなければね。
□□□□
ユージーンの浮気を知った日、珍しく父が早く帰ってきた。
「今、宜しいでしょうか」
「…忙しいのだ、後に出来ないのか?」
「5分で済みます」
「なんだ、言ってみろ」
父は帰ってきても書斎に籠もり仕事をしていた。私が仕事の邪魔なのだろう、鬱陶しそうにして書類から顔もあげない。別にいいけど。
父の愛情を期待するのは幼い日に諦めている。
「ユージーンが浮気をしています。ユージーン有責で婚約破棄を…」
「なんだ。それくらい大目にみろ」
即答か。
「そうですか。それがお父様のお考えなのですね」
「……あぁ。わかったなら下がれ」
父は最後までこちらを見なかった。
予想通りすぎて笑える。そっと書斎の扉を閉めた。
野心と権力の事しか頭にない父。
平然と浮気をして責任転嫁するユージーン。
どちらも許せない。
卒業したらユージーンと結婚する。これが両家の約束事。卒業まで残り半年しかない、これから忙しくなりそうだ。
私はギュッと記録水晶を握りしめた。
□□□□
栄えあるロピエッタ学園の卒業式。
「卒業生起立」
学園長が卒業生に祝いの言葉をかけるその時。ドヤドヤと壇上に第3王子と側近そしてステラ・ノアールがやってきて占領した。側近が学園長を押さえ込み、ユージーンは壇の下にいる進行役の教師を羽交い締めにしている。
ゆっくりと第3王子がこちらを向くと、ザワつく生徒と卒業生の親や来客に向かって第3王子は声を張り上げた。
「諸君。今日は私から特別な報告をしたい!」
誰もがあ然として壇上の第3王子を見つめた。彼はその視線が心地良いのか、とてもにこやかに叫んだ。
「私はシシリア・デミスノウとの婚約を破棄し、新たにステラ・ノアールを婚約者とする事をここに宣言する!」
が、そのタイミングで会場がいきなり暗闇に包まれた。
「な、なんだ?」
「何かの余興?!」
「え?何これ」
ざわつく会場の壁にパッと何かが映し出された。
「え?」
「やだ!何あれ」
「えぇ?嘘だろ」
「誰だ?」
そこにはユージーン・デライトとピンクの髪の少女ステラ・ノアールが素っ裸で絡み合っていた。
「きゃあああ!!」
「ステラ?!な、何だこれは?!」
「ち、違うの!」
「何が違うんだ!」
「ユージーン貴様!」
ステラは第3王子と騎士団長の子息そして筆頭魔導師の子息に詰め寄られた。
真っ暗な会場は怒号と悲鳴と絶叫でパニックになった。
「きゃあああ!何これ何なの!」
「ユージーン・デライト!説明したまえ!」
学園長や教師達が拘束から抜け出そうと暗闇の中揉み合いになる。壇の下にいるユージーンに殴りにいこうとして階段を踏み外し教師達の中に突っ込んで人を倒し、倒された人が別の人に掴みかかりと雪崩のように手探りで殴り合いが始まった。
ユージーンの映像から今度は別の男と絡むステラに切り替わる。だが、もう誰も見ていない。
まさに阿鼻叫喚。
ようやく教師の一人が暗闇の原因である闇魔法を解除すると床に転がる男子学生や失神している女子生徒、さらにはとばっちりで怪我した人が大勢いた。
これがロピエッタ学園の最悪の珍事、暗黒の卒業式の顛末だ。
婚約破棄を叫んだ第3王子は、望み通り婚約破棄された。王が国を想い決め整えた婚約、その王命すら守れないならばと王位継承権を剥奪される。
勿論、デミスノウ侯爵家に多額の慰謝料を王子の個人資産から支払う事となり、権力もなく資産もカスカスになった王子には誰も残らなかった。
その後、婿入り先を探すも高位貴族からは相手にされず、かと言って下位貴族に婿入りなど本人のプライドが許さずとうとう生涯独身で晩年は寂しい余生になる。
ステラ・ノアールは忽然と姿を消した。隣国の密偵やスパイだったのではないか、高位貴族に殺されたのだろうと言う者や、いやあれは魔女だったのだと言う者まで。
様々な噂は出たけれど結局誰も彼女を見つける事は出来ず、彼女を養女として迎えたノアール男爵家は一家離散した。
ユージーン・デライトはステラを魔女と言う一人だった。あの騒ぎの後、彼はステラは魔女で、その魔女に惑わされた被害者なのだと王家と教会に申し立てた。
結果、ステラは魔女と認められた。そして同時にそれはユージーンに最悪の結果をもたらす事になる。
「魔女と契った者は既に人に非ず」
ユージーンは魔女と契ったことで、すでに人ではない魔者となったと教会に判定された。
王国は、ステラと関係を持った側近数人をまとめて北の塔に幽閉する事を決定する。勿論ユージーンもその中の一人。
「何故だ何故だ何故だ何故だ!何故なんだ!僕は被害者じゃないか!ここから出してくれ!」
北の塔へ護送されるまで、王宮の地下牢に押し込められた。鉄格子に張り付き泣き叫ぶユージーンに好青年の面影は全く無い。
騒ぎが収まりを見せた頃、ユージーンの婚約者であったサントラエント侯爵の一人娘マチルダが失踪していた事が公になり、また騒ぎが再燃した。
事件後、早々にサントラエント侯爵家から婚約破棄を言い渡されたデライト家は多額の慰謝料を請求された。
マチルダが公に一切出ず、修道院へ行ったとも聞かず屋敷に引き籠もって居るのだろうと人々が思っているところへ、王国騎士団に娘マチルダの捜索が正式に依頼され大々的に捜索されている。
□□□
今は父がいる国から遠く離れた地にいる。湖と七色に輝く街道が美しいと評判で実際に目にすると噂に違わぬほど素晴らしい。
一度、侯爵家が手配した者に見つかり連れ戻された。父の目の前で対象を愛している者だけが認識される魔道具の指輪をつけると父は私が見えなくなった。
執事や侍女達は私を認識出来るのに。
わかってはいた。わかってはいたけれど涙が一粒ほろりと溢れた。父のせいで流す涙はこれが最後だろう。
そのまま私は静かに家を出た。
「後悔してるかい?」
一緒に湖を見ていたリスターが尋ねてくる。彼を見上げてにっこりと笑う。
「全然!リスターは後悔してるの?」
「いいや。これっぽっちも後悔なんかする訳ない」
私とリスターが計画したあの卒業式の騒ぎが成功した後、直ぐに二人で出奔した。
異国の地でリスターと幸せに生活している。
彼は私に愛を教えてくれた。