一人称視点と三人称視点
やりがちな失敗。
一人称視点と三人称視点の混同。
地の文で俺と言っていたのに、続く次の行でセリフでも無いのにキャラ名だったり“彼”呼びだったりブレッブレ。
こんなの絶対おかしいよ!
って訳で、一人称視点と三人称視点の違いを、出来るだけ難しい言葉を使わずに解説。
この辺がちょっと苦手~とか、おかしいと指摘されたりした方。
これを読めばバッチリ!!
だったら良いな。
ごちゃごちゃ書いてあって分からん!
途中でもしそう思いましたら、最後の方まですっ飛ばして箇条書きの部分を読めば、なんとなく分かるんじゃないでしょうか。
いろんな方の作品を読ませて頂きますが、一部で見かける文言。
一人称視点は難しい。
三人称視点は難しい。
難しいか?
難しいのかも。
だってそう言ってない作家様で、楽しそうに作品を書いてらっしゃるけど、一人称と三人称を混同しちゃって変なのも時々見かけるもんな。
○○視点って、誰かの視点で書く宣言をしたのに、区切りも無く次の行で三人称視点へ飛んだり、更に別人の視点へ飛んだりと。
いささか自由過ぎる文とかも、有ったりしますからね。
…………せっかくの盛り上がるシーンで、ら抜き言葉を使われてガックリとさせられ、張り詰めた雰囲気をブチ壊してくれる作品と同じくらい疲れます。
おっとと、ら抜き言葉への言及はお門違いですね。 失礼しました。
んでは本題。
一人称視点と三人称視点とは?
ふたつはどう違うの?
それぞれで使っちゃいけない表現とかは有るの?
上手な使い方とか教えて?
そんな流れで書いてみましょうかね。
難しい単語を出来るだけ使わないで。
一人称視点と三人称視点とは?
まずこれだけは言っときます。
“物語を書く上で、二人称視点はありません”
一人称視点とは、キャラクターの視点で……キャラクターの立場で書く方法です。
視点として決めたキャラクターになりきり、そのキャラクターの気持ちを追体験して、そのキャラクターと一緒に感じる。
そんな書き方です。
三人称視点は、通りすがりのモブや幽霊、または神様みたいな者が覗き見している感じ。
傍観者ってやつですね。
これで分からないなら、漫画やアニメやドラマの読者・視聴者。 それか演劇の観客。 もっと言えばスポーツの観戦者。
そんな距離から見ているナニカ。
それを文字に起こした物が、三人称視点。
二人称視点はなぜ無いか?
一人称視点でしゃべっている二人称、つまり別人の視点へ切り換えて書いてみな?
切り換えた時点で“そいつからの一人称視点”だから。
だから、二人称視点は無いのです。
ふたつはどう違うの?
さっき見せたのを、改めてドン。
一人称視点は、作品世界の中にいる人物視点。
三人称視点は、作品世界の外側から見た視点。
こう認識すれば、だいたい間違いないです。
情報の受け取り方が違うので。
書く側からすると、出す情報が違うので。
それぞれで使っちゃいけない表現とかは有るの?
有るよ。 その境……区切りを知らない人が書く文章こそ、視点の定まらないメチャクチャな文を書くのです。
どうやって区切りを作るのか? 簡単ですよ。
普段より行を多く空けたり、無意味な記号だけの行を挟んだり、○○視点などと直接的な表記をしたり。
これで次の行から変わるんだな。 と、分かる人は分かってくれます。
だから、これは知っておかねばならない。
知らないで書くと、メチャクチャになって“作者本人にしか分からない”文章へと成り果てます。
気を付けて。 誰かに読んでほしい作品を書きたいなら、読みやすい文章を書けねば伝わりません、読まれません。
誤誘導を狙って書くなら、不自然にならない程度に読みやすくも曖昧な表現で分かりにくくする必要もありますが。
難解な文章? そう言うのが好きなキャラを作るのは良いです。 でもそれを地の文としてずっと進行されると、正直読んでて疲れる方が続出するでしょうね。
独特な言い換え・言い回しをしまくる文章? ユーモアが溢れていて、パッと見で笑えるなら歓迎。
しかし、常に辞書を片手に読み解く感じの文章だったなら、疲れてしまいます。
一人称視点での注意点。
“誰の視点”で書いている?
○さんと△君が会話してて○さんの視点で“○さんとして”会話してるのに“△君の心”が分かる? 読める?
相手の心を(よっしゃ、このままトンズラだ!)とかって思ってるのが分かるとか、それはどうなの?
それが出来たらエスパーです。 異能持ちです。 読心術のスキルか魔法持ちです。
それか念話とかの、思っていることを相手へ送信できる能力を△君が使ってます。
他には双子とか長年連れ添った幼馴染とか、そう言ったのが目配せとか些細な動作で以心伝心するなら、能力が無くても理解できるかも? 程度。
“一人称”視点です。 僕・俺・私・アタシ・ウチ・わし等の自分を指す“一人称”を地の文で使っていたのに、急にキャラクター名を言い出したら混乱します。
元々一人称が自身の名前を言うキャラなら問題ないですが、今まで「僕」と言っていたアキラという名前のキャラが「アキラ」とか言い出したら何事か!? と思いますよね?
あくまでも一人称視点。
視点となるキャラから見たもの感じたもの、価値観人生観、今まで生きてきて蓄えた知識を基にして、当人の価値観や気持ちを通して下される判断。 行動。
そう言ったものを描写する技法が一人称視点です。
よって一人称視点で“当人の知らないことは、知らない”のです。
超古代から記憶を持って転生した訳でもないのに“失伝して誰も知らない超古代の事”を知っている訳は無かろうなのだ。
キャラの“心の中などを表現”する一人称視点で進行中の地の文で、急に見知らぬ知識が湧いて解説までしだしたら、普通頭がおかしくなったかと心配します。
つまり逆にそれを演出として利用、頭がおかしくなった描写とするには好都合。
毒電波を受信して錯乱するキャラクター的には、とてもベタなやり口ですね。
三人称視点での注意点。
一人称視点とは別物。
描写はあくまでも部外者。 他人からの視点です。
○さんと△君が会話していても、あまり感情的に書いてはいけない。
三人称視点なら、感情は解説するモノ。
――――彼の心の中では、先程の出来事が渦巻いていた。
今までの経験からゲス相手へ下手に良い顔をすると、そこから付け入られて調子に乗らせ、己ばかりが損をする経験。
だから今回は優しくしなかったのに、むしろそれは悪いことだと、周囲から非難された。
自身にとって現状のベストな行動であるはずなのだ。
なのに何故こんなにも後味が悪いのか。
とか、こんな感じに解説。
一人称だったらその辺を、愚痴みたいに置き換えて書くのが大体。
三人称視点の地の文は、ナレーションや場の解説、実況が主なもの。
熱血アクション物で、場と読者を盛り上げるべく煽り立てようと「!!」を多用する場面とか。
ギャグやコメディで、悪ノリしたり突っ込んだり、失礼な物言いとか誤解を招く言い方とか。
そんなのを書いたりもするけど、そう言った演出をしないのならば“基本的に”中立的な書き方が望ましい。
登場人物の心情が描写されたりもする。
けれど、謎の道具が出てきて、それに驚く秘密満載ヒロインの心理描写なんかでも注意。
そこで伏線すらブッ千切って、謎の道具の正体や自身の過去まで、心理描写で全部詳らかになったら失笑ものでしょ?
三人称視点での心理描写は、使い方の工夫が必要。
次に。
一人称視点とは逆。
“一人称”視点ではないので、地の文で俺だの私だのが使われたら、おかしいです。
三人称視点だってのに、いきなり一人称視点になっちゃってますので、それはダメです。
例外があるとすれば、三人称視点だけど地の文に意志がある場合。
ギャグものでナレーションにツッコまれたりカチンとくる言葉を言われて、キャラがカメラ目線で怒ったり脅してきたりする演出。
ああ言った事をする場合には、三人称視点なのに一人称を使う演出も無しではない。
上手な使い方とか教えて?
一人称視点の上手な使い方?
キャラの視点だから、読者へ与える情報の統制が簡単なのが利点。 それをどう上手に使って読者の心を揺さぶるかが、肝。
視点となっているキャラ当人を通して、読者にどれだけ誤解を与えて正解から遠ざける様誘導するか、とか。
いわゆる“間違ったことを言っていないが、正しいことも言っていない”やつ。 微妙に話をずらしたり、核心部分を言わずはぐらかしたりするの。
他にも、恋愛もので良くあるアレ。
恋人になった相手が、見知らぬ異性と仲良く連れ立って喋ってるやつ。
「あいつ……まさか浮気か?」と思わせて、それをきっかけに誤解やすれ違いでヤキモキさせるの。
こう言った、個人の視点だからこそ分からない情報・足らない情報で(キャラも読者も)判断させて、誤った方向へ誘導。
全部の情報がつながる所で「そうだったのかーっ!」とどんでん返し。
これが決まると、とても気持ちが良い。
まあやり過ぎて焦らし過ぎると、読者様に「もう良いよ!」とか「追いかけるのに疲れた!」とかって見放されるので、加減は慎重に。
あとは、いわゆる叙述トリック。
前述の手法の一つ。
伏線として正解が見え隠れしてたのに、限られた情報と更に追加された情報により真実から目を逸らせて、真実を公開するタイミングを見極めて どーーーんっ!! する技法。
あーーーっ! あそこで○○かな? って引っ掛かってたのに、忘れてたーー!!
あの引っ掛かりは、正解への伏線だったんじゃねーかーーーっ!!!
くっそー、やられたーー!!
なんて読者に言わせてやるのは、一種の夢。
自分が見て一番「やられたーっ!」と思ったのが、主人公が女性だったやつ。
登場直後に電車で“痴漢か?”と本人の描写であった(未遂……と言うかスリと間違えた)し、仲間の女の子のガードがユルユルだったり。
判断できる所が有ったのに、物語中に色々と情報をブッ込まれている内に忘れて、すっかり 主人公=男性 ってイメージにすり変わってて。
んで全てが終わってからエピローグで 主人公=女性 だったと他のキャラから指摘され「やられたーっ!」ですよ(苦笑)
あと叙述トリックには、とっておきのズルいネタもあります。
物語は常に三人称視点からの描写。
主人公と寄り添うように、主人公と近い立場での描写に終始。
ただしナレーションではなく実況へ全振りした、三人称視点の。 最低限な場面・舞台以外は描写読者も共感するような事しか、地の文に出てこない。
で、物語が進んでいくんだけど、主人公達の人数へは頑なに言及しない。 ぼやかされてる。 しかも時々カメラ目線をする。
なんで? って気持ちが極まった時にばらされる、衝撃の真実!
三人称視点だと思っていたら、実は“超無口な主人公の仲間視点”だったんだよ!!
ってのも、とても強いインパクトがあって好きなんです。 はい。
三人称視点で上手な使い方……。
これは……まあアニメ的手法ですよ。
一人称視点じゃないから、制限が少ない。
一人称視点の感情移入、共感とかは少ないけど、ライブ感覚が売り。
魔物の大量発生の様子を、キャラの目線でなく天(又はカメラドローン)の目線で書かれたりする。
つまり、落ち着いて周囲を見られる。
一人称視点では物陰になって見られなかった、悪者のニヤリと動く口許も見られる、描写できる。
一人称視点の所で言った、恋愛ものの誤解やすれ違い描写も、大体の事情を知った上でその場面となるから、また違った切り口となって読む側の印象が変わる。
安全な位置からワクワク・ウキウキ・ハラハラできる。
これは結構大きな違いで、有効な使いどころです。
好みの問題……と言っちゃったら、それで終わりなんですけどね。
とまあ、大体の言いたい事は言いました。
まとめると
一人称視点
・視点となる“自分”がいる
・登場人物からの視点だから、なんでもは知らない 当人が知ってることだけ
・人物が見える範囲には限界がある
・視点を移しても、別人の“一人称視点”
・一人称と他人の区別をしっかりつける
・読者を設置した伏線から目を逸らすのに向いている
・叙述トリックとの相性は最高だ!!
三人称視点
・視点に“自分”はいない
・観客気分で読む(読ませる)用
・主人公達が知らないことでも、ナレーションや解説として入れられる
・見える範囲は作者次第で、かなり自由
・移す他人の視点は無い
・登場人物は全員他人
・岡目八目だから、一人称視点より事態や状況を理解しやすい
・主人公をメインにして主役以外のキャラへ露骨な肩入れし過ぎた描写をすると、読者から余計な勘繰りをされたり、嫌悪感を見せられる
こんな感じですかね。
まとめの三人称視点、最後の項目?
言い忘れてたやつ。
もう物語に関わってこないキャラだろ? ならば冗長だ、小説として無駄な部分だ、こんなの入れてたら話が進まなくて邪魔だ。
そう言われかねないんですよね。
そしてそこから深読みされる場合も。
今後にまた出て来て、物語の重要な部分を担うキャラなのか? 重大な伏線なのか? その内なにか大きな事件が起きたとき、犠牲になってお涙頂戴する要員か?
とかね。
趣味で書くなら何も問題は無いですが、プロ作家を目指すなら要注意。
書籍では文字数・ページ数制限がある。
作者が好きなキャラだからって、300ページ位の書籍だとして、物語に関係ないキャラへの愛を込めて50ページとか割いた話を読まされて、読者が喜ぶか?
他のキャラが好きな読者に、作者の好きなキャラから外されたキャラ=どうでもいいキャラ と受け取られかねない危険行為をする?
社交辞令の「自分で産んだキャラはみんな好き!」は大切な事で、キャラ贔屓発言や行為は気を付けてしよう!
「みんな好きだけど、個人的に一番思い入れがあるのは」とかって、好きとか強い言葉を使って指名しないでぼやかせば、角がたちにくいぞ。
コホン。
脱線が過ぎました。
一人称視点と三人称視点、こうやって雑に違い等を紹介してみましたが、難しい! とおっしゃる方へなにかの助けになるでしょうか?
それと、知らず知らず一人称視点と三人称視点をごっちゃにしちゃう方の、判別や区別の助けにも。
上手なやつはこうしてる!
ではなく、文章が上手くならない!
の助けになることを目指して、こんな事を書いてみま……みま…………。
違うね。
この辺をなんも知らず、キャラ視点も一人称三人称の視点の違いも飛び越えて好き放題してる文章にイラッと来て、衝動的に書きなぐった物です。
でもこんな駄文が、何かの役に立ってくれたら良いなぁと思っているのは、本当。
少し前の所でこれを書いた動機は出しました。
これは、ほぼノリと勢いです。
偏見とかも混じっているでしょう。
でもこれは、本音にかなり近い文章です。
誤解とか恐れず言ってしまえば、
文章を……作品を書くなら、これ位知っていて欲しい。
それの一部となります。
説教臭い?
ごめんなさいね。 ライトノベルは自由な文芸だとか、なろうローカルルールとか、そう言うの以前の話でね。
楽しく読もうにも、読ませてもらうにも、メチャクチャな文章じゃあ読む前に回避したくなるんだよ。
推理小説とか意図した謎解きパートでもないのに、解読作業を全編で要求してくる作品ってなんだよ。
でも逆に理屈ばっかり詰め込んで、理詰めでネチネチされて、論文みたいな文章を読んで楽しめるかよ。
興味のある学術論文を読むのなら、別だよ?
総じて疲れちゃって楽しくならないんだよ。
しかし、お堅くカッチリした文体のくせして、情緒たっぷりにユーモアも含ませた文を書けるやつはバケモノだよ。
自由な文章とかなんとか言う前に、まず読みやすい文章をお願いします!
その辺(小難しかったり、ガッチガチの堅苦しいばかりの文章の作品)は好みの問題だろうけど。
既存の文章・文法を壊して、それで読みやすくて面白い作品を書ける奇才なんざ、なろうとしてなれるモンじゃねえぞ!
基本は大事。 知っていて損はまず無いからね。
ブーメランな気もする阿呆の愚痴、大変失礼致しました。