魔女
魔女
樹
「樹、今度な、大きなアニフェスあるの、知ってるか?」
「ああ、何か言ってたね。うちも出店するんでしょ?」
日本からその日に売るグッズとか届いてたはず。
「それでだ。今年は千夏を何にするか、樹に決めさせてやる」
「何の話?」
「コスプレだ。毎年、うちの放映中のアニメのキャンペーンを兼ねて、みんなコスプレするんだ。わたしが作るんだぞ」
「みんなって……」
「もちろん、樹も着るんだ」
「嘘?」
「仕事だ。立派な」
いや、聞いてないって。まじかよ。そういうの嫌いなんだけど。
「で、どうだ。千夏に何着せたい?」
え~。急に言われてもな。
「死神」
というと、目を丸くした。トレーシー。
「樹は、超ド級のMか?」
「え?なんでそうなるの?」
「まあ、いいが。別に。でも、残念だな。今放映中のアニメで死神が出てくる話はない」
「有名なのがあるじゃん」
「あれは他社だ」
すみません。わかってます。はい。
「他にはなんだ?」
「じゃあ、魔女?」
「……やっぱりどっちかって言うと?Mなんだな」
また、その話?だって魔女っぽいんだもん。千夏さん。
「それなら、ちょうどいいのがあるな」
「ああ」
言われなくても分かった。今、シーズン1に続いてシーズン2を放映中のアニメがある。魔女とか魔法使いとか出てくるファンタジーです。
「千夏、今年のネタは決まったぞ。今年は魔女だ」
「ああ、あれ?あれは却下」
「なんで?知名度といい、今後の放映予定考えても、ど真ん中だ」
「どうせ、あの主人公の魔女をわたしにって言うんでしょ?」
会話聞きながら、画像を思い浮かべる。結構似合うと思うんだけど。
「30過ぎのわたしにあんな短いスカートはかせないで」
残念。見たかったな。
「じゃあ、主人公はわたしがやる。千夏は悪役だ」
「え?」
「あのアニメは、悪役魔女も人気があるんだ。わたしより千夏の方が似合う」
「なんか、褒められてる気がしないわね」
「これはあくまで、会社の利益を考えて言っている」
悪役魔女はスカートは長かったけど、胸もとが結構セクシーでした。
「わたし、あんなに胸ないわよ」
「よせてあげる。ついでに脇にだなパット入れて、やりようはある」
何か、これ、男子が聞いちゃいけない話だ。2人の方を見るのをやめた。
「樹」
しばらく経ったら、トレーシー、僕の所へ来る。
「お前はあれだ、主人公の恋人役だ」
「ああ、あの……途中で死ぬやつだ。悪役魔女の術を受けて」
何か笑えないんだけど。
「心配するな。あれは終盤で蘇るんだ」
「ええっ?」
トレーシーがきょとんとこっち見る。
「知らないのか?わたしは原作も読んでるから知ってる」
「ネタバレしないでよ。知らなかったのに」
ははははは、トレーシーが笑う。
「仕事だからって言う割に、楽しんでたのか」
うん。あれは結構人気があるだけあって、話がおもしろかった。
「でも、仕事なんだから、原作も目を通しとけ」
たしかに。
「それと、アニフェスまであと二週間しかない。それまでに、営業所のみんなと出張で来る、八田と三谷の分、全部で7着準備しなきゃいけない」
「買うんじゃないの?」
「作るって言っただろ?」
「誰が?」
「樹とわたしだ」
「え?」
トレーシーが何でもない顔をして言う。
「俺、服作るとかやったことないし」
「大丈夫だ。ミシンでやるんだから。難しいところはわたしがやる」
「でも、トレーシー、なんでそんなんできるの?」
トレーシーがきょとんとした。
「なんだ。樹は知らないのか?わたしは日本にいるころからの筋金入りのコスプレーヤーだ。そこそこ有名なんだぞ。自分の着るものは基本的にいつも自分で作ってる。今回は、千夏とわたしと樹の服はそこそこ凝るがほかのみんなのは簡単な形にするから、時間は短いが、どうにかなる。ま、最後は泊まり込みになるがな」
「そうなの?」
そういうと、楽しそうに笑いながら言った。
「いつも千夏んちに泊まって、酒飲みながらやるんだ。合宿みたいで楽しいぞ」
***
それから、トレーシーの仕切りで服の材料買いに行って、会議室にミシンやら何やら持ち込んで、仕事の合間に作業する。夜も残業が増えた。
「樹、千夏の3サイズ知りたいか?」
「いや、いい」
「じゃあ、ブラのサイズは知りたいか?」
「いや、いい」
トレーシーって一体。
「そう言えば部長は着ないの?」
「本人は着たがるが、年齢的にイタイからやらせない」
なるほど。
「意外と……」
トレーシーが僕の手元を見て言う。
「樹は器用だな」
「ん?ああ……」
ミシン使って縫っていくの、結構慣れた。
「ちっちゃい頃から、家のこととか結構やってたからかな」
「料理とか、掃除とかか?」
「うん。洗濯とかも。一通り」
「そういうふうに見えないな」
「どういうふうに見える?」
「今時の普通の日本人男子だ。コンビニ弁当食べて、彼女に部屋掃除してもらって洗濯してもらうみたいな」
「それ、普通なの?」
「女の人に甘えて生活するのが似合う」
ちょっと手を止めて考える。
「なんか、失礼なこと言ったか?」
「いや、別に怒ってないけど。ただ、不思議で。そういうふうに見えるんだと思って」
甘やかしてくれる女の人がいなかったわけじゃない。彼女に手料理とか作ってもらったりしたこともある。でも、子供の頃からの素の自分はそういうやってもらう側の人間じゃなかった。自分でやってたから。
「でも、最近の日本人男子は料理もするしな。もてるんじゃないか、そういうほうが」
「ああ……」
苦笑した。
「ああいうのは、何か、俺からみたら違和感があるな」
「なんで?」
「男だからとか女だからとかいうのは関係なく、大人になったらとりあえず、一通りはできるのが普通じゃない。全部できて、1人で生きられるってことでしょ?それが、できることが特別視されてるのが、違和感あるな。なんで、そんな普通のことがすごいってことになるのかと」
「うん。でも、千夏に料理を作ってやったらきっとポイント高いぞ」
「なんで?」
「千夏は本人は認めないが、料理ができない」
「え?」
ふと思い出す。千夏さんちのキッチン。
「そう言えば、すっごい何も置いてないキッチンだった。薬缶以外」
トレーシーがじっと僕を見る。
「何だ。家に上がるくらいの仲なのか」
ええっと。口滑ったな。俺。
「用事があって、ちょっとあがっただけ。別にすぐ帰ったんだよ」
一生懸命言い訳をする。
***
「最後の一番難しいところ、残しといたぞ。千夏のそばでやりたくて」
「あら?なんかいつもより余裕じゃない。他の物は終わってるの?」
「意外と助手が優秀だったな」
じゃあ、遊びながらしようって。ちょうど、明日みんなで着る予定のアニメの放送流しながら、ビールとかワインとか飲みながら、作業する。千夏さんち。
「なんだぁ、じゃあ、僕たちいらなかったですね」
日本から応援で来た2人。今日の飛行機で部長と一緒に到着した。八田君と三谷さん。普段は国内でアニメの販売や、ライセンス営業してます。
「早くうちの作品もバカ売れして、アメリカでライセンスでも稼げるといいのにね」
「だからこそ、こういうコスプレもして、地道な努力が必要だ。樹、明日はちゃんとやってくれよ」
トレーシーに言われた。
「何を?」
「演技だ。日本のアニメで日本人がやってると結構ウケがいいんだぞ。写真撮ってくれとか言われたら、決め台詞とか言え」
「え~」
三谷さんが笑ってる。
「そのルックスを会社の業績にいかせ」
「いや、そういうの嫌いだから」
「でも、キャラの人気度から言ったら、トレーシーと千夏さんに集まるんじゃないですか?」
八田君が言う。なんだ。助かったな。
「もう、この年でこういうの、やなんだけど」
千夏さんが言う。
「昔はやってたんですか?」
「あ、わたしは見る専門なんで」
お酒のグラスをカラカラ鳴らしながら言う。
「トレーシーが来てからよね」
「最初は千夏も嫌がったな」
「そうなんだ」
「写真とか残ってないの?」
僕がそう言うと、千夏さんがこっち見た。
「だめ。だめだめ。トレーシー、だめよ」
「なんだ。全部かわいかったのに。心を込めて作ったのに」
そろそろかかるかと言って、トレーシーが作業にかかる。千夏さんの衣装の胸もとの刺繍。それを合図に、三谷さんと八田君がホテルに戻る。
「トレーシー、ほんと大変だな」
「好きだから、平気」
「お裁縫が好きなの?」
「いいや。なりきるのが好き。なりきるためにいろいろ頑張った。だから、こういうのも得意になった」
「そういうものか」
作業しているトレーシーの横で、アニメを見ながら千夏さんと並んで座る。
「ちょっとだけ」
疲れたのかトレーシーがソファーで眠り込んだ。千夏さんが奥の部屋からブランケット持ってきてかけてあげる。僕は立ち上がって、テーブルの上のゴミを片づけて、グラスを流しに運んで洗う。片づけ終わってから千夏さんに声かける。
「帰ります」
「明日の朝、早いよ。どうせ、ここで着替えるんでしょ?」
「でも、トレーシーがあそこで寝ちゃったら、僕の寝るところがない」
2人で見つめ合った。
「帰ります。朝、早くまた来ます」
「はい」
僕が出ていくのを千夏さん、玄関まで見送る。
「そういえば、ロス観光は楽しかった?」
「ああ……」
終わってからこっちトレーシーとドタバタしていて、千夏さんとゆっくり話してなかった。
「楽しかったです。特に夜景がきれいでした」
「ああ、グリフィス天文台行ったの?」
「千夏さんと見たかった」
彼女は僕の目をまっすぐ見てうんと言った。
「今度一緒に行きませんか?2人で。いいですか?」
「いいよ」
「じゃあ、おやすみなさい」
そう言って出る僕の腕のあたりを、スーツの袖を彼女がつかまえた。
「なに?」
ただ、黙ってこっち見てる。しばらくぼんやり彼女を見ていた。僕は最近、本当に抜けてると思う。たっぷりぼけっとした後にやっと気がついた。
「あの……」
言いかけて、いや、何か話すのも変かと思った。そっと手を伸ばして、千夏さんの体抱き寄せた。僕はその感触を覚えていた。この前後ろから抱きしめて眠ったから。僕はそっとキスをした。本当に唇と唇を軽く重ねるくらいのキス。それ以上してしまったら、トレーシーが近くにいるのを忘れてしまいそうだったから。
キスした後も、彼女は僕にくっついていた。
「千夏さん?」
邪険に突き放すことはもちろんできないし、そっと髪の毛をなでた。何回か。
「もう一度こうやって寝たい」
空耳かと思った。誰か別の人がいて、言った言葉かと。
「今日は無理ですね。トレーシーいるし」
「そんなこと言って、また別の日は別の日で、別の理由で断るんでしょ?」
体を離して彼女と顔を合わせた。
「怒ってます?」
また、いつもの癖。口を少しだけ開けて……。我慢できなかった。もう一度キスした。それも、今度のは軽くないやつ。
「僕がいない週末、さみしかった?」
返事はしばらくなかった。辛抱強く待った。何も言ってくれなかったらどうしようとどきどきしながら。
「さみしかったよ」
耳に彼女の声が届いたときにじんとした。指先までしびれるような気がした。もう一度ゆっくり優しくキスをした。あまり激しくならないように。
「今日、帰るのは、本当にただ、トレーシーがいるからですから」
ぐずぐずしながら、やっと体を離した。
「また、明日」
お互い、名残惜しい顔してたと思う。ドアはぱたんと閉まって、僕はしまったドアをしばらく見つめていた。それこそ、ばかみたいに。
頭の中で、さっき彼女が言ったこと、したこと、表情、それを何度も何度も繰り返し思い出しながら、家へ帰る。部屋へ着いても、止まらない。シャワー浴びながら、髪乾かしながら、電気を点けない部屋でベッドに横たわりながら、何度も何度も。
明日になったらまた、彼女、もとに戻っちゃうんじゃないかな?とりつく島のない千夏さんに。
そしたら、僕も先輩たちの後に続いて日本海溝に吸い込まれるな。間違いない。
***
「おはよう」
「おはよう」
次の日の朝、チャイム押すと、トレーシーが出てきた。
「おお、すごいね」
「化粧はまだ終わってないぞ」
奥に入ると、千夏さんがいた。いつもより随分化粧濃いね。今日。
「別人ですね。舞台に出る人みたい」
「変?」
「いや、魔女っぽくていいですよ」
笑った。ほんとに似合うわ。この人、こういうの。
「樹、先に着替えろ。後で化粧してやる」
「いや、男はしないでしょ?」
トレーシーが、つまらない顔をした。
「化粧映えしそうな顔なのに」
「え?だって、女装とかするわけじゃないのに」
その時、トレーシーの目が光った。
「思いつかなかった。失敗した。樹なら、女装させられたのに」
「……」
思いつかなくてよかったよ。
***
会場に行くと、先に来ていたスティーブや三谷さんや八田君が会場の設営している。
「おお。似合ってるじゃん」
みんなまだ着替えてなかった。魔法使いの格好で設営手伝う。
結構広い会場だった。大きな展示会場。うちみたいなブースがいっぱいある。驚いた。こんな規模だと思ってなかったから。関連他社だと思う。準備中に何人か来て、トレーシーや千夏さんに声をかけている。日本人の人も何人かいたみたい。段々人が増えてきて、そして、開場になる。
人がいっぱいいて、お祭りみたいだった。年々来場人数が増えてるらしい。アメリカでメジャーになったアニメ関連は、結構ばかにならない収入源になるそうで、うちの会社も力入れたいと思ってて、いつのまにか自分も巻き込まれてる。仕事でなければ、大人になってまでこんなにたくさんのアニメ、見なかったろうな。そして、こんなたくさんの人がこんな不思議な格好しているのを見ることもなかったろう。しかも、アメリカで。
千夏さんとトレーシーの魔女コンビはなかなか人気があった。ひっきりなしに写真撮られている。千夏さんは一日中、どっちかというとしかめっ面していて、でも、悪役でもともとニコニコしたキャラじゃないから、ちょうどよかったみたい。
学園祭のような一日が終わって、みんなで打ち上げに行く。ハロウィンみたいなのりでいい大人がふざけた格好のままで。
会場の近くのお店はそれでも、アニフェスに来てた僕たちみたいな人がいて、それにロスは、映画の街だから、なんだかそんなに気にならなかった。格好に酔って、雰囲気に酔って、お酒に酔って、そして、僕は彼女に酔った。ちょっと離れたところに座って、盛り上がってるみんなの輪の端っこで静かに大人しく千夏さんを見ていた。夜の闇のような濃紺のドレスの袖口と襟元につけられた金色の刺繍の文様が、まるで夜に輝く星のようで、きれいだった。トレーシーなかなかの腕前だ。みんなの中心で、穏やかに微笑む千夏さんは、大人の女性だった。
そのまま部長たちの泊まってるホテルまで行って飲みなおそうという一行の後ろから、ついて行く。
「わたし、今日は帰るからさ。みんなに言っといてね」
千夏さんが傍らにいたスティーブにそっと言う。前にいるトレーシーに聞こえないように。でも、きっと斜め後ろにいる僕に聞こえるように。
「じゃあ、僕、送っていきますよ」
スティーブが僕と千夏さんを交互に見て、そっと微笑んで、よい週末を。また来週と言って、離れていく。時計を見たら、まだ9時をちょっと回ったくらい。
「寄り道していきませんか?まだ早いし、明日休みだし」
「この格好で?」
彼女の手を取って、指を絡めた。
「今日は特別ですよ。夜だし、誰も見てないって」
もう少し、そのままでいてほしい。魔女姿の千夏さん、なんか気に入ってた。