タイミングの悪さ
「今日はここで寝ようか」
「メエ!」
「モウ!」
精霊の世界には、必ずしも朝と夜がある訳じゃない。朝がなく、永遠に夜空のままの場所もあれば、夜が訪れない場所だってある。
今ラフレーズ達がいる場所は、夜がない場所であった。ずっと明るい空が続く。夜がないので自分達が眠りたいと思った時に眠ると決めた。ごろんとお腹を見せて横になったメリー君に寄り添うようにラフレーズは座った。モリーもメリー君と同じく大きな体を横にした。
「今日も一杯歩いたね」
「メエ」
「次に起きたら暫くはダラダラしたい? それも良さそうだねえ」
「モウ」
「モリーも賛成? うん。私も賛成だよ」
ふわふわな羊毛に顔を埋めたラフレーズは、数時間前に出会った大きなアヒルが教えてくれた事を思い出す。ヒンメルとの婚約は破棄され、新たなにメーラとの婚約が結ばれたのに一向に婚約の誓約魔法を解呪しないヒンメルに疑問を抱く。何故彼は解呪しない? ラフレーズのいた国では、婚約を結ぶと同時に誓約魔法を結ぶ決まりとなっている。相手が王族であろうが関係なく。
大昔、結婚をする前にある下位貴族の令嬢に夢中になって高位貴族の令息や王子が婚約者に次々と婚約破棄を突きつけた。殆どが将来国を背負う重要な者達だったが為に注目度は高く、また、一人の令嬢を取り合う様は大変醜いものであったとか。結局、その令嬢に夢中になった男達全員は婚約者と婚約破棄をしたが同時に廃嫡されたり遠くへ飛ばされたりと、まともな人生を送れなかったとか。騒動の大きさと後始末の大変さから、以来、婚約を結ぶと同時に必ず誓約魔法を結ぶ事が法律で決められた。
因みに、原因の令嬢は男達が次々と飛ばされていく最中、急な病で病死したと発表された。
王太子妃教育を受けているラフレーズは、きっとその令嬢は王家の息のかかった者に病死させられたのだと推測する。令嬢に夢中になっていた当時の王子は、王太子でもあったのだから。民からの人気も高く、婚約者でもある王太子妃とも相思相愛の仲だと有名であった。それが何がどうなって下位貴族の令嬢に夢中になり、相思相愛だと言われた婚約者を捨ててしまったのか。
「でも……愛されていたのよね、当時の王太子妃は」
自分とは大違い。と、自嘲気味に笑ったラフレーズ。厳しい教育にも耐え、少しでも好かれようと歩み寄っても、一度も彼は――ヒンメルは――ラフレーズの気持ちに見向きもしなかった。
「モウ」
寝ていると思ったモリーが不意に念話でこんな提案をした。
「出来るの?」
「モウ」
「でも、悪いよ」
「モウ!」
気にしないの! と真剣な顔で鳴いたモリーに考え込む。ヒンメルとの事はラフレーズ自身の問題。モリーに後始末をさせるようで却って申し訳ない気持ちが強くなる。けれど、モリーは再度鳴いた。ラフレーズは顔を上げてモリーを見つめた。
「甘えちゃっていい?」
「モウ! モ~」
任せて! と自信タップリに力強く頷いたモリーの次に、こちらも寝ていた筈のメリー君が自分もと声を発した。驚くラフレーズに気になって寝た振りしてたと申し訳なさそうに鳴くメリー君の体を優しく撫でた。
「気にしないで。メリー君もモリーも、気を遣わせてごめんね」
「メエ~」
「モウ!」
二匹の精霊の提案にラフレーズは頷いたのであった。
*ー*ー*ー*ー*
王宮の庭園で唯一ゼラニウムが咲く花壇の前でヒンメルは新しく婚約者となったメーラと長椅子に座っていた。密着し、日常の会話をするメーラの表情は笑顔。恋しい人と念願叶って婚約を結ばれたのだ。ラフレーズに次ぐ王太子妃候補と謳われただけはあり、完璧とはいかなくても半月前から始まった王太子妃教育は順調に進んでいる。
ヒンメルも王太子としての公務があり多忙な毎日を送っている。忙しい日々でありながら、こうやって自分との時間を作って会ってくれるヒンメルを益々好きになるメーラはきっと永遠に気付かない。
蕩けるような空色の眼をくれても、心の奥底では側にいないだけで心が激しく乱れ恋い焦がれるのがラフレーズだと。
表面上、急に王太子との婚約が解消となったラフレーズは、急な病を患い、王太子妃の役目を全うするのが困難であると判断された。ラフレーズの次にヒンメルの婚約者に選ばれたのはメーラ・ファーヴァティ。周囲は愛娘を王太子妃にするべくファーヴァティ公爵が暗躍したのではと勘繰りするも、ラフレーズの父シトロンが娘が病を患っていると発表。ラフレーズ自身も王太子妃の座を辞した。また、娘と王太子の婚約が解消となってもベリーシュ伯爵家の王家に対する忠誠心は絶対だと、改めて忠誠の高さを見せた。
「この間、お父様に隣国でしか手に入られない珍しいお菓子を買って頂きましたの。是非、殿下と美味しさを共有したいですわ」
「それは楽しみだ」
「ふふ。とても甘くて、柔らかかったですわ」
ああ……甘い食べ物は嫌いだ。
ヒンメルが好きなのは甘さが控え目なスイーツだ。ラフレーズも容姿の割に甘いスイーツは苦手でビターなチョコレートを好んで食べていた。
。
チョコレートの他にも、ケーキも生クリームが沢山あるのよりもチョコレートケーキが好きだと言っていた。
キャンディはオレンジ味が大好きだと言っていたのも思い出す。
頑なに心を開かない婚約者にどんな思いで彼女は自分の話をしていたのか。素直になれなくてもラフレーズの言葉は一句たりとも聞き逃した事はない。
ラフレーズの好きな食べ物、趣味、本、花、色など。どれを聞かれても自信満々に答えられる自信がある。
「ヒンメル様」
熱の籠った瞳でメーラがヒンメルを呼び、見上げた。心の表面だけは穏やかでいられる。
マリン・コールド子爵令嬢の尻尾はもうすぐで掴めそうだ。全部が終わったらラフレーズに全てを話すつもりだったのに。
彼女なら、ずっと待っていてくれると信じていたのに……。
「愛しています、ヒンメル様」
瞼を閉じたメーラに顔を近付け「私もだよ」と口にしたと同時に薄桃色の唇にキスをした。
何も想っていない相手には出来るのに本当にしたい相手とは出来ない……。心の奥底に仕舞った感情は二度と表に出てこない。
何度ベリーシュ伯爵邸に足を運んでもメルローに追い返され、王宮でシトロンに会っても何も教えてくれない。ただ王太子としての責務を全うしろ。シトロンも父である国王もそう告げる。メーラの前にいるのも王太子としてのヒンメル。
個人としてのヒンメルを出せる相手は――もう何処にもいない。
――その時だった……。
そっと唇を離し、向こうを見たヒンメルの目が徐々に大きく見開かれた。
ゼラニウムの花の向こうで……昔、この花が好きだとはにかみながら言った少女が無表情な面持ちで……
まるで夏の緑の様だと感じた深緑色の瞳から涙を流して、口付けを交わすヒンメルとメーラを見つめていた。
少女――ラフレーズの側には、牛並みに大きな羊がヒンメルを怒った顔で睨み、大きな茶色の牛が困った顔でラフレーズを見上げていた。
(何故、どうして、いやそれよりっ)
ヒンメルの様子を怪訝に感じたメーラが目を開き、同じ方向を見た。
すると――
「ヒンメル様? 向こうに何かあるのですか?」
何も無い方を驚愕の面持ちで固まるヒンメルに問うた。
だが、向こうにいるラフレーズに何を、どう、言葉を掛けてやればいいかと必死に思考回路を巡らせるヒンメルには届いていない。
「!」
じっとヒンメルを見つめていたラフレーズは軈て視線を逸らした。敵意の籠った真ん丸な目でヒンメルを睨む羊の頭を撫で、次に心配そうに見上げる牛の頭も撫でると。一言二言言葉を告げた。ヒンメルへ顔だけ振り向いたラフレーズは、念話を送った。
『メーラ様との仲が良好で安心しました。殿下、どうか幸せに。私は二度と殿下達の前に姿を現さないのでご安心を』
『待てラフレーズ! 今まで何処にいた! その動物はなんだ!』
『貴方にお話しする事は何一つ御座いません。ああ、メーラ様とのご婚約を祝福して殿下が未だ解呪していない私との婚約の誓約魔法は私が消しました』
『なっ』
はっと胸に手を当て、意識を集中させた。まだ微力ながら感じていたラフレーズの気配が完全に消えていた。
『王太子殿下。心から愛する人とどうか幸せに。私はこの子達と一緒に生きていきます。貴方様にとっては長く苦しい日々だったでしょう。嫌い、疎む令嬢と何時かは王太子夫妻として、更には国王夫妻として、国を引っ張っていかなくてはならないと。ですがもう大丈夫です』
『待てラフレーズっ、私の話を』
『お父様とお兄様には申し訳なく思います。ですが、全ては私が選んだ選択です。後悔はありません』
まだ涙を流しているのに、その表情はとても晴れ晴れとしていた。
『さようなら、王太子殿下。
――私も初めから、貴方の妃になるのはとても嫌でした』
初めてシトロンやメルローに向けていた以上の極上の笑顔を……拒絶の言葉と共に向けられたヒンメルの心の奥底に仕舞った感情が瞬く間に枯れ、石となり、塵となって消えていく。
行こう、と未だヒンメルを睨み続ける羊とヒンメルを哀れみを込めた眼で見つめる茶色の牛に呼び掛けた。ラフレーズの後ろに庭園とは全く違う景色が現れた。
「ラフ……――」
力なく伸ばした手が
背を向けて違う場所へと行くラフレーズ達に届く筈もなかったのであった。
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