諦めが悪い
ラフレーズが家出をして一ヶ月。
あの日から毎日ベリーシュ伯爵家を訪れるヒンメルを、今日も迎えたメルローは変わらない対応をするだけ。
「殿下。何度来ても同じです。ラフレーズは戻りません。王太子である貴方がたかが一人の令嬢に拘るものではありません」
「っ……分かっている、だが、私には」
「一体貴方は何が不満なのですか? 疎ましいラフレーズとの婚約は破棄され、愛しいメーラ様と正式に婚約されたではありませんか。なのに、何故未だに我がベリーシュ伯爵家に来るのです?」
皮肉が多分に含まれた鋭い言葉の数々がヒンメルを容赦なく突き刺していく。メルローが言いたいのはこれだけではない。
「それに、ラフレーズとの婚約の誓約魔法をまだ解呪していないと聞きます。メーラ様との婚約は貴方が願ったものでしょう」
「……メルロー。伯爵に会わせてくれ」
「父上も貴方に会うつもりはありません。王太子殿下、もう一度言います。貴方は王太子なんです。何時までも、捨てた婚約者に拘りにならないで愛する婚約者と親交を深めてはどうですか」
父であるシトロンにも会わせるつもりは更々ない。王族に対する言い方ではない。ラフレーズが長年ヒンメルにされた仕打ちで隠れて涙を流していたのをメルローは何度も見てきた。今回の家出を決行しなければ、きっとラフレーズは壊れていた。王太子妃としては完璧に役目を全うしていたラフレーズ。ラフレーズの頑張りに目も向けなかった男が、いなくなった途端存在を思い出したようにラフレーズの居場所を訪ねに来るのが日に日にメルローの苛立ちを増やしていった。
悔しげに唇を噛み締め、酷く苦しげに息を吐いたヒンメルは分かったとだけ言い残し帰って行った。
メルローはヒンメルが帰ると部屋に寄った。壁に貼り付けられている一枚の絵。子供の頃ラフレーズが描いた大きな羊の絵。
『この子はね、メリー君って言うんだよ』
昔ラフレーズが教えてくれた精霊の姿と名前。ラフレーズは今、この精霊メリー君と何処かにいる。此方からの連絡手段はない。向こうからしてくれるのを待つしかない。だが、ラフレーズのことだ。勝手に役目を、責任を放棄して家出をした自分を許さないだろうと思って連絡は寄越してくれないだろう。
寂しいがラフレーズが元気に過ごしているのならそれで良い。
父シトロンにヒンメルの行動の真相を聞かされた。けれど、それがどうした。最初は探るつもりで近付いて、途中でメーラを愛したのはヒンメル自身。ラフレーズには最初から冷たく、厳しい王太子妃教育に耐え、周囲からはお似合いの婚約者だと祝福されながらも肝心の相手に見向きもされなかった妹がどれ程惨めだったか……あの王太子は分かっているのか。
「分かっていたら、こんな愚行はしないか」
ヒンメルとメーラの婚約は正式に結ばれた。だが、ヒンメル自身がラフレーズとの婚約の誓約魔法を解呪しないので二人の間に婚約の誓約魔法は結ばれていない。
連日のヒンメルの行動のせいでファーヴァティ公爵から毎日嫌味を貰うと父シトロンは言う。まあ、その度に一番強烈な眼力で睨み黙らせてはいるらしい。一度、ファーヴァティ公爵夫人が訪ねて来たことがあった。夫の情けない行動とメーラの事で謝罪をしに。夫人と両親の仲は良好で、特に亡き母と夫人は友人だったとか。
ヒンメルがマリン・コールド子爵令嬢の件でメーラに近付いたと夫人は薄々感付いてはいた。何度か夫に伝えるも、メーラ自身を好いてくれたんだとの一点張り。聞く耳を持ってくれない。
「殿下の様子だとまだまだ諦めてくれそうにないな」
はあ、と嘆息したメルローは部屋を出て行った。
読んで頂きありがとうございます、