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好きだったのは自分だけ

 


 握った拳で壁を叩き付けた。加減なく殴ったせいで罅を入れてしまった。赤く腫れる拳の痛みも感じない程、王太子ヒンメルは激しい怒りと後悔に苛まれていた。

 三週間前、婚約者であるラフレーズが突然姿を消した。

 ヒンメルが知ったのは翌日。

 最近姿を見せないラフレーズが気になりベリーシュ伯爵邸に足を運んだ。迎えたのはラフレーズではなく、兄のメルローだった。ラフレーズが母親に瓜二つなら、メルローは髪と瞳は父譲りで顔立ちは母譲りである。

 ラフレーズと似た印象を抱かせるメルローは信じられない発言をした。



「申し訳ありませんヒンメル殿下。ラフレーズは只今王都にはいません」

「いない……? どういう事だ」

「居場所はお伝え出来ません。折角、足を運んで下さったのに大変申し訳ありませんがお引き取りを」

「待て、ラフレーズは何故いない」

「お教え出来ません。後日、説明の為父から話があるかと」



 ヒンメルが詰ってもメルローは顔色一つ変えず追い出した。追い出されるとは思ってもみなかったヒンメルは、険しい表情を保ったまま仕方なく帰った。

 ……無理矢理にでもラフレーズの居場所を聞き出せば良かったと心底後悔する羽目となった。



 翌日、父である王に執務室に呼び出されたヒンメルは言葉を失った。

 執務室には王とヒンメルの他に、魔法師団団長でありラフレーズの父ベリーシュ伯爵もいた。王は開口一番、ヒンメルとラフレーズの婚約解消を言い出した。



「……何故ですか、父上」

「何故? それを貴方が言いますか殿下」



 ベリーシュ伯爵シトロンの声色に含まれた明らかな怒気。長年、魔法師団団長として国を守ってきた男の怒気は低く重苦しく。息をするのでさえ億劫となった。

 負けじとヒンメルは空色の瞳に鋭さを増してシトロンを睨んだ。



「ヒンメル」



 王に呼ばれたヒンメルはゆっくりとそちらへ向く。



「お前自身、何故婚約が解消となったか分からない筈がないだろう」

「……」



 ぎゅっと唇を噛み締めた。

 メーラ・ハーヴァティ公爵令嬢。恐らく、彼女を指しているのだろう。



「お前が王太子としての務めの為にメーラ嬢と親しげにしていたのは知っている。わしやシトロンも承知の上。だからこその婚約解消だ」

「ラフレーズとの婚約が解消となれば、自然と次の王太子妃はメーラ・ハーヴァティ公爵令嬢と周囲も認識する。事実、彼女はラフレーズに次ぐ王太子妃候補として名高い」



 メーラ自身に問題はない。あるのは、メーラの友人であるマリン・コールドという子爵令嬢である。身分が違い過ぎる二人だが非常に仲が良く常に行動を共にしている。身分を越えた友情に顔を顰める者もいれば感動する者もいる。

 マリンはメーラだけではなく、身分の高い令息にも人気が高い。中には、婚約者がいながらマリンに現を抜かす令息もいる。

 いきなり王太子であるヒンメルが近付くと大歓迎かもしれないが警戒されるというのもあって、親しいメーラから近付いて情報を聞き出す役目となった。単に聞き出すのではない。メーラに好意があると見せかけて、メーラの周囲の人間に接触していき。裏では密かにマリン・コールドの情報を収集。

 彼の演技は本物と言わしめる程完璧だった。事情を知っている王とシトロンだけが偽りと知っていながらも、気持ちがメーラに傾いているのは? と勘違いする程であった。


 その演技が仇となった。



「父上、当然それもメーラ達を油断させる嘘なのですよね」

「いいや、婚約解消は振りではない。お前とラフレーズとの婚約を解消し、新たにメーラ嬢との婚約を結ぶ」

「っ、何故です」



 シトロンと王が顔を見合わせると王が説明役を買って出た。



「昨日ラフレーズが姿を消した」

「!?」

「置き手紙もあった。書かれていたのは、お前とメーラ嬢の幸せを願う事と婚約の誓約魔法を解いて二度と家には戻らないというものだった」



 昨日メルローに屋敷を追い出された訳も、彼女が王都にいないと言われた意味も理解した。



 最初は嫌でしょうがなかった。

 王太子の地位を磐石なものとする為に隣国の王族の血を引くベリーシュ伯爵家の令嬢と婚姻を結ぶのは国の為だと自身を納得させた。代々王家の忠臣と名高いベリーシュ伯爵の娘に対する親馬鹿振りは、両親から何度か聞いていた。夫人は娘を生むと同時に亡くなったと聞く。

 きっと、周囲に甘やかされた我儘な令嬢だろうとヒンメルは初め嘆息した。


 顔合わせ当日ーー

 ラフレーズを見たヒンメルは目を見張った。見事なまでのストロベリーブロンドに深緑色の瞳の少女。伯爵に似た要素が一切ない少女は緊張しているのか、挨拶を終えるとずっと固まったまま動こうとしない。俯き、目さえ合わそうとしない。予想していた我儘な令嬢という偏見は何処かへ消え去った。伯爵は心配そうに娘を見守っている。このまま黙ったままなのはお互いに良くないだろうとヒンメルは礼儀に則り、庭園を案内しましょうと手を差し出した。

 顔を上げたラフレーズの深緑色の瞳が小さく見開かれ、まだまだ緊張はしているが幾分か和らいだ笑みを浮かべた。同い年の女の子と接した事のないヒンメルは不意に胸が高鳴った。しかし、幼少の頃より王太子であれと周囲に言われ続けたので無表情を保ったまま。ゆっくりと重ねられた手は、自分よりも小さくて、力を入れて握って大丈夫だろうかと思った。そっと握るとラフレーズは、うっすらと頬を赤らめ恥ずかしげに微笑んだ。


 分かっていた。初めて会った時からラフレーズを好きになったと。

 彼女が自分と同じく、厳しい王太子妃教育を真面目に受けていると聞いていた。たった数分の休憩時間の間に自分に会いに来て、頷きもしない自分に趣味や好きな物や近況を話すラフレーズに好意を抱かれているとも気付いていた。

 気付いていながら優しくしなかったのは、常に冷静な王太子という仮面に拘り続けてきたせい。一向に心を開かず、ずっと頑なな態度を取り続けていれば……彼女も次第に張り付けた笑みしか浮かべなくなった。王太子妃教育の合間を縫って会いに来なくなった。

 王太子妃としての務めを完璧に熟す姿に満足しながらも、父親や兄に対してだけ向ける輝かしい笑顔を見る度に心の苛つきは増した。全く素直になれない自分が招いた結果だというのに。


 そんな時、コールド子爵の娘マリンに不審な噂が立ち始めた。高位貴族の令嬢や令息達と次々と親しくなっていく、というもの。元々、侍女に生ませた子で母親が亡くなると同時に平民として暮らしている所を引き取ったのだとか。高貴な者程、平民の血を嫌う傾向があるのだが何故かマリンには好意的だった。中には嫌う者だっていた。だが、平民出身のマリンを嫌い虐げた者は必ず彼女に好意を抱いている高位貴族の令息や令嬢が排除していった。異性だけではなく、同性までもマリンの虜となっていた。

 流石に引っ掛かるものを感じたヒンメルが王と魔法師団団長であるベリーシュ伯爵を交えて話をした。

 話し合いの結果、暫くマリンの動向をヒンメルが密かに探る事となった。だが、いきなり王太子であるヒンメルがマリンに近付くと色々と面倒。そこで前からヒンメルに好意を抱いているハーヴァティ公爵令嬢のメーラに目を付けた。

 メーラと親しくしていき、軈て友人としてマリンを紹介された。王族と言えど、平民の血が入ってるからとマリンを差別したりしない。平等に接するヒンメルにマリンもすっかりと信用してくれた。

 まだ調査は継続中。しかし、ここで厄介な事が起きた。マリンを探る為にメーラから近付いたヒンメルの演技は、周囲から見ても偽りではないと錯覚された。婚約者のラフレーズを差し置いて、別の令嬢に想いを寄せると思われ始めた。メーラもメーラで元々ヒンメルに好意を寄せており、第二の王太子妃候補として有力視されていたからか、夜会等でもラフレーズとファーストダンスを踊ったヒンメルを独占して、自分こそが彼の隣に立つに相応しいとラフレーズや周囲を牽制し出した。父である公爵は止める所か背中を押す始末。夫人や姉は苦い顔をする。

 ヒンメルのラフレーズに対する態度がより周囲の誤解を一層強めたのも原因である。



 王の執務室を出て、部屋に戻ったヒンメルは力なく寝台に腰掛けた。

 そういえば、今朝から婚約の誓約魔法が解かれていると気付いてはいた。気のせいであってほしいと午後からもう一度ベリーシュ伯爵家を訪れるつもりだった。……が、全部遅かった。

 詳細を聞くとラフレーズはメリー君と共に家出をします、と書いていたらしい。ベリーシュ伯爵に聞いても首を振られた。


 胸に大きな穴が空いたみたいだった。

 ヒンメルも何度も優しくしようと努力した。だが、どれも空回りしてばかり。唯一素直になれると、誕生日にはラフレーズに似合う宝石やドレスを贈るも礼儀に倣ったお礼ばかりで己を偽った微笑みを見せられただけ。


 ベリーシュ伯爵は告げていないが、贈られたプレゼントの中には一度も封を解かれていない物もある。メーラを愛しているヒンメルのこと、代理人を使って用意したと思われているから。


 自分だけがラフレーズを好きだった……

 互いの繋がりを示す誓約魔法を一方的に解呪され、ラフレーズがいないだけで胸を燃やす程の黒く激しい炎が燃えているのに、当の本人はメリー君なる他の男と家出。駆け落ちも同然だ。



「ふざけるな……っ、ラフレーズ」



 地獄の底から響く恐ろしい低音を発したヒンメルは、昏く曇った空色の瞳を彼女が好きだと昔教えてくれたゼラニウムを睨み付けたのだった……。





読んで頂きありがとうございます。


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