時間の問題
メリー君と家出をして早くも四日が経った。
黄金色の草原が永遠と続く精霊世界を宛もなく歩き続ける。ポカポカ陽気と常に王太子妃としての教育に縛られ続けたラフレーズには、とても穏やかな時間だった。
食事もメリー君が魔法で用意してくれる上に、体も魔法でお湯を用意してくれる。洗髪剤や石鹸、着替えの服の用意もお手の物。香りや服のデザインが全てラフレーズ好み。
伊達に長年ラフレーズと一緒にいない。
「ありがとうメリー君」
「メエ!」
そんなメリー君は今ブラッシングされている。ブラッシングされている間、大きな体を横にしてラフレーズに好きにされている。ふわふわもこもこな羊毛は毎日ラフレーズにブラッシングされているので綺麗である。
ブラッシングが終わるとメリー君の羊毛に突っ込んだ。
「はあ~……幸せね。メリー君の体に抱きつけるって」
「メエ?」
「本当だよ。幸せ~」
うっとりとした面持ちで羊毛をすりすりする。このまま寝てしまいたい。
瞳を閉じたラフレーズはぐっすりと眠りに就いた。
――更に日数が経ち、気付くと家出から二週間も経過した。
あれからも黄金色の草原を歩き続けるラフレーズとメリー君。
今頃家はどうなっているかと今更になってきになり始めたラフレーズ。しかし、気にした所で自分が気にする資格はもうないと首を振った。簡潔な内容だけが記された置き手紙を残し、勝手に出て行ったラフレーズを優しい家族でも許してはくれない。況してや、自分は王太子妃。常に王太子妃とあれと教育されていたのに、自身の感情を優先するラフレーズでは王太子妃には相応しくない。
「ねえメリー君」
「メエ」
「此処以外の場所にも移動って出来る?」
「メエ!」
「そっか。出来るんだ。メリー君次第でいいから、次の場所も行きたい」
「メエ」
「今から行く? じゃあ、次のご飯を食べ終えてから行こうよ。ねえ、そこにはメリー君以外の精霊とも会える?」
「メエ~」
「此処にもいる? でも遠い。そっか。なら他の精霊と会ってから別の場所に行くのもありだね」
「メエ、メエ」
「牛や馬の精霊がいる? 草しかないから、草食動物しかいないの?」
「メエ~」
「皆好きな場所にいる? そっか。でも、草が豊富だから間違ってもないのか。どんな子がいるのかな」
わくわくしながら更に歩き続ける。
すると、向こうの方に草を食べている黒い牛を発見。メリー君と一緒に近付くと牛は顔を上げた。小さな黒い目がラフレーズとメリー君を見つめる。初めまして、とラフレーズが挨拶を述べると牛も応えるように鳴いた。
メリー君は牛に近付いた。
「メエ」
「モウ」
「メエ~」
「モウ」
「メエ?」
「モウ!」
普段の会話だと、メリー君が言葉をラフレーズの脳に念話を送って会話するのだが、今目の前で行われている会話で念話は送られていない。
牛と羊が鳴いて、時に首を傾げ、時に力強く頷く光景にしか見えない。
「メエ~!」
「モ~ウ!」
最後に大きな声で鳴くとメリー君はラフレーズの元へ戻り、牛はゆっくりとした足取りで何処かへ行ってしまった。
再び歩き出したラフレーズはメリー君に会話の内容を訊ねてみた。
「何を話してたの?」
「メエ」
「他に美味しい草がある場所を聞いてた? それが此処よりもっと遠い?」
さすが草食動物。何処の草が美味しいかの情報共有も欠かさない。
「次に行く場所は、牛さんから教えてもらった場所にする?」
「メエ!」
当然! と強く鳴いたメリー君の頭をよしよしと撫でてラフレーズは前を向いた。「メエ~~」といつもより長くメリー君が鳴いた。
「今すぐ行かない? 此処の草をまだ食べてたい? メリー君がいたいと思う分いたらいいよ。私には精霊の世界は全く分からないし、メリー君とこうしてのんびりいられるだけで幸せだもん」
「メエ!」
「メリー君もそう思ってくれるの? ありがとう」
心からの笑顔を見せたラフレーズのお腹に頭をすりすりするメリー君。よしよしとまた撫でられると一人と一匹は歩き出した。
徒歩を再開してすぐに今度は茶色の牛に遭遇した。
さっき会った牛より一回り大きい。
メリー君が鳴きながら近付くと茶色の牛も鳴いた。友好的な様子にどうやらメリー君を歓迎してくれているようだ。黒く小さな瞳がラフレーズを見つめる。
「こんにちは、初めまして」
「モ~ウ」
茶色の牛も念話で初めましてと挨拶をしてくれた。メリー君以外の精霊と初めて会話をして感動したラフレーズ。
「メエ」
「モウ?」
「メエ、メエ」
「モウ、モ~ウ」
が、精霊同士の会話になるとラフレーズに念話は送られず羊と牛の鳴き声を聞くだけとなった。
楽しそうに会話をしているのでラフレーズも微笑を浮かべて二匹のやり取りを見守る。
不意に茶色の牛がラフレーズへ向いてこう語った。
ラフレーズは言われた内容に目をパチクリとさせた。
そして、有り得ないと顔の前で手を振った。
でも、茶色の牛は事実だと変わらない声で鳴いた。
メリー君が心配そうにラフレーズを見上げる。
「……」
有り得ない。有り得ない。
家族ならまだ分かる。
だが――
「……殿下が私がいなくなったと知って、落ち込む筈がないじゃない」
常に嫌そうな顔を浮かべ、周囲から認められた婚約者でありながらメーラと仲睦まじくするヒンメルを思い出し、脳内から消そうとラフレーズは頭を振った。
「モウ……」
「メエ……」
思考が追い付かなくてペタリと座り込んだラフレーズの背凭れになってあげようとメリー君は後ろに回った。羊毛に顔を埋めたラフレーズは大きく息を吸った。
茶色の牛――ずっと茶色の牛は可哀想なのでモリーと命名――モリーがしたのは、人間世界の話。王宮の庭園に生えている草が大好物なモリーは、今日も草を食べていた。他の精霊はいないのでモリーのお気に入り。モシャモシャと草を食べているモリーの側に王太子ヒンメルが生気のない昏い表情で側の長椅子に腰を下ろした。
基本人間に精霊は見えないのでモリーは気にしなかったのだが、あまりに死にそうな顔をするヒンメルが気になり食事を中断して近付いた。精霊が見えないので側に大きな茶色の牛がいることに当然気付かない。
モリーは鼻を力なく膝に置くヒンメルの手に当てた。直接肌に触れ、記憶を覗いているのだ。
そこで見た記憶の中にラフレーズがいたので知らせた。
「メエ」
「モウ」
「メエ? メエ、メエ~」
「モウ、モウモウ」
二匹の鳴き声を聞くラフレーズは、婚約が成立したと同時に交わされた婚約の誓約魔法が施されていた左胸に手を当てた。
王国では、貴族や王族が婚姻を結ぶ際決まりとして誓約魔法を結ぶ。これを結んだ男女は、常にお互いを胸の内に感じ、互いの居場所を把握出来る。
家出をする前に自身で誓約魔法を解呪しているラフレーズの居場所をヒンメルが知る術はない。
もうヒンメルとの誓約魔法は解呪したのに、胸にはぽっかりと大きな虚が開いていた。
(時間が経てば塞がるわ)
それまでに何度、こうして苦しい思いをしないとならないのか。
メリー君の羊毛に顔を埋め、静かに涙を流した。
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