家出の理由
――ラフレーズが家出を決行した抑々の理由
(ああ……まただわ……)
鮮やかな花が咲き誇る王宮の庭園にて、寄り添い合い仲睦まじい様子で談笑する男女を視界に入れて、ラフレーズは視界を涙が覆うのを感じた。
毛先にかけて青が濃くなる銀糸が太陽の光を受けて一層輝きを放つ。名の由来である空色の瞳は、隣の令嬢を蕩けるような眼差しで見下ろし、額に口付けを落とした。
(私にはあんな瞳も、表情も、……キスをするのだってしないのにね……)
分かっていたのに……、彼とは所詮政略結婚。心から結ばれた関係ではない。
両親も政略結婚だが、元から好意があった為に夫婦関係は上手くいっただけに過ぎない。
出会った時から婚約が嫌で嫌で仕方無いと顔に常に書いてある彼。それでも、彼に好かれようとラフレーズは厳しい王太子妃の教育に耐え、ほんの数分の自由な時間の中でも彼に会いに行った。
……いつも話を聞くだけで適当に相槌を打つだけでも、自分の事を知ってほしくて一生懸命話した。が、所詮自分は嫌われている婚約者。そんな相手の事を知りたいと思う筈もない。
ラフレーズの婚約者は王国の王太子ヒンメル。王太子として常に冷静で何事があろうとも表情を変えず、感情を乱さない――王太子としては完璧な王子だった。
ヒンメルの隣にいるのはメーラ・ファーヴァティ公爵令嬢。魅力的な赤髪と浅黄色の瞳の少女。大きな瞳と鈴の音を転がした様な庇護欲を掻き立てられる声は同性でも思わず守ってあげたくなる魅力があった。
(メーラ様の家ファーヴァティ公爵家とベリーシュ伯爵家は昔から仲が悪いので有名なのよね。というか、一方的にファーヴァティ公爵がお父様に突っ掛かるだけで、公爵夫人とはお父様とお母様は仲良しだったのよね)
飽くまでもファーヴァティ公爵が一方的に敵視してくるのであって、夫人だけを入れれば両家の関係は良い。公爵を置いて夫人だけが訪れるのは良くある。
ファーヴァティ公爵家には、メーラ以外にも跡取りの姉がいる。が、姉とはあまり接点がない。メーラには何度か嫌がらせを受けてきたが長年培ってきた教育と魔法の才能のお陰で百倍返しをしてきた。
初めてヒンメルとメーラ、二人が目の前に現れた時の事をラフレーズは今でも覚えている。同時にとても悲しくて、悔しくて、叩き込まれた王太子妃の厳しさが幸運にもラフレーズを気丈に振る舞わせた。必要最低限の挨拶を終えるとすぐにラフレーズは人気のない場所に凭れ、止められない涙を流し続けた。
同時に決めた。もう彼とはいられない。彼と一緒にいたら、自分は何時かきっとメーラを傷付ける。嫉妬に狂った醜い行動だけはしたくない。
だが、ラフレーズとヒンメル。二人の婚約は幼い頃に結ばれたもの。周囲には、何故か二人はとてもお似合いだと認識されている。冷遇され続けているラフレーズの何処がヒンメルにお似合いなのか。
家族に聞いてもラフレーズを傷付けないようにと嘘しか言わない。
(人がいない、遠い所へ行きたいな……)
ぼんやりと逃亡を企てていたラフレーズはある良案を思い付いた。
そう、ラフレーズが幼少の頃出会った精霊メリー君に手伝ってもらえばいいと。
精霊は世界の何処にでもいるが、殆どの人が姿を見る事はない。稀に姿を認識出来る者が現れるが精霊は非常に気紛れなので人間に手を貸したりはしない。
精霊が見えるからと言って、歴史に名が残る功績を残せるとかそんな話はない。単に極めて稀な体質の持ち主程度としか思われない。理由は先に述べた通りである。
ラフレーズが精霊メリー君と出会ったのは、厳しい王太子妃教育に疲れ、ヒンメルに冷たくされ続け、もう王太子妃を辞退したいと泣いていた時だった。
情けない鳴き声を発していたメリー君の体はとても小さく薄汚れていた。先程までは自分が泣いていたのに、目の前の動物を放っておけないラフレーズはメリー君を屋敷へ持ち帰って綺麗に洗った。羊と言えば草。ベリーシュ伯爵邸には、魔法の特訓が行えるように小さいながら森があった。緑が豊富で草木が沢山生えているそこなら、メリー君のご飯があるので連れて行った。
メリー君は到着した直後、凄まじい勢いで草を食べ始めた。森の草を食べ尽くしてしまう程。呆然としたラフレーズだが、満足と横になったメリー君の体が最初に見た時より明らかに大きくなっていて驚いた。
メリー君曰く、力が弱ってしまってずっとあの場所で動けずにいたのだとか。人間に助けを求めようにも精霊を認識出来る人間はいないに等しい。同族に助けてもらおうにも、限界まで弱ってしまい出来なかったと。ラフレーズが精霊が認識出来る人間で良かったと笑うメリー君。ラフレーズはメリー君が精霊とは思いもしなかった。が、屋敷に戻った自分に「何を抱えていらっしゃるのかしらお嬢様は?」と使用人達が怪訝な声で話していたのを思い出す。彼女達には、何もないのに何かを抱えている風なラフレーズにしか見えなかったのだ。
(そうだ。メリー君と一緒に家出しよう)
助けてくれた恩と、メリー君はそれからずっとラフレーズの側にいた。側にいるだけで特に何かをする訳でもないがメリー君がいてくれるだけで心の癒しとなった。
「メリー君メリー君」
「メエ?」
「私、家を出て行こうと思うの。殿下と婚約を破棄したいと言ってもお父様達に迷惑が掛かるだけだし、かと言ってあの殿下と結婚したくもないの」
「メエ?」
「家を出る方が迷惑じゃない? ……そうだね。でも、もういたくない。殿下とファーヴァティ公爵令嬢が一緒にいる所を見るのは、もう嫌」
「メエ」
「一緒に来てくれるの? ありがとうメリー君」
「メエ!」
「え? 今すぐ行こう? でも、まだ思い付いただけで準備してない」
「メエ~!」
「精霊の世界に行けばいいって? 人間が行っても何も問題はない? うん。行く」
突然姿を消すのは拙いので置き手紙を残した。簡潔に書いたラフレーズは、精霊世界への道を開いたメリー君の後に続いて――黄金色の草原が永遠と続く精霊世界へ足を踏み入れた。
「綺麗……」
「メエ!」
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