歩いていく
大昔、当時の王太子や高位貴族の令息達を次々に虜にした令嬢がいた。その令嬢は、精霊が認識出来る者と同等に珍しく、極めて危険な能力“魔女の支配”という魅了より強力な精神操作の魔法使いだった。決めた相手がいようと、その思いを自分に書き換える事が出来る“魔女の支配”の力を使って自分が王妃の座に就こうとした。が、結局悪事は暴かれ、魅了された王太子や令息達は処分され、かの令嬢も病死したと文献にはあるが王家の手によって処分された。
但し、後世にまた“魔女の支配”を持つ者が現れ王国に混乱を招かない為の調査をする為に血が一滴も残らなくなる程の実験をした後で。
“魔女の支配”を逃れる確定的力はないが予防線は張れる。それが婚約の誓約魔法。貴族の位に制限されず、婚約を交わすと同時に婚約の誓約魔法を交わすのを法律に定めた。もしもまた“魔女の支配”を持った者が現れ大昔と同じ事態を引き起こそうとも、婚約者のいる男性は誓約魔法があり、積極的接触さえしなければその者に惑わされない。また、婚約者がいない男性でも魅了に掛からない訳ではないので幼い頃から防御魔法を掛けられる。
今回“魔女の支配”の名が表に上がったのは実に数百年振りであった。
マリン・コールド子爵令嬢。ラフレーズ自身は面識はなくても噂だけは耳にしていた。コールド子爵が平民の侍女に生ませた子、平民の血を引いていながらも高位貴族の令嬢令息と仲が良い、特にメーラとの親密度は高かったと聞く。が、それだけなのだ、ラフレーズが知るのは。
再び精霊界に行くと決め、今日が出発日なラフレーズは兄メルローと別れる前にお茶をしていた。側には、勿論精霊達もいる。ただ、ずっとどの人間にも姿が見えるように魔力を纏うのは疲れるので今のメルローには見えてない。父シトロンは、北西の紛争を終結させたが後始末に追われまだまだ戻れないと報せが届いていた。
「マリン・コールド子爵令嬢に“魔女の支配”の力があったなんて……」
「父上や陛下、それに王太子殿下が秘密裏に調査をしていたんだよ。彼女の噂を聞いて、もしやと疑っていたらしい」
「……」
最初は話すか悩んだらしいメルローにラフレーズは全てを聞いた。
ヒンメルがメーラに近付いた理由も、今までの行動も。が、何を聞いても結局全部遅い。寧ろ、やっとヒンメルに対し区切りをつけたというのにまた胸が苦しくなった。マリンの情報を得る為にメーラに近付き、怪しまれない様態と好意がある風を装う。
演技でも他の令嬢にはあんな風に出来て、実際の婚約者である自分には常に突き放した態度しか取らなかった。
(演技をするのも嫌な程嫌われていたなんて……。その演技も、次第に本気になってメーラ様を……)
メリー君と横に並んで座るクエールが念話で何か言い掛けるもモリーが止めた。
『クエ』
『モウ』
『クエ~……』
クエールの声からして落ち込んでいるが念話を送られないのでアヒルと牛の鳴き声にしか聞こえない。
ラフレーズは暗い顔をしたらメルローが心配すると自分を叱咤し、成るべく気持ちを出さない様努めた。こういう所は王太子妃教育の賜物だろうか。
「コールド子爵令嬢はその後どうなったのです?」
「彼女に魅了された令嬢令息達に怪我を負わされた人達もいるからね。婚約者がいるのに彼女に夢中になった者は婚約を破棄され、跡目から外されたり家を勘当される者もいる。被害は中々に深刻だから重刑は免れない」
「“魔女の支配”は、心に決めた相手のいる異性にしか効果がない筈なのに、同性であったり婚約者のいない異性に効果があったのは何故ですか?」
「その辺りはまだ調査中だよ。でも、取り調べをしている調査官によるとマリンの言っている事が支離滅裂過ぎて全く話にならないらしい」
「魅了の使い過ぎによる悪影響……ですか?」
「それもまだ何とも。父親のコールド子爵は知らぬ存ぜぬだが、今回の件の責任はきっちり取ってもらう。子爵が娘の力を利用して悪質な商売をしていたのも事実だしね」
調べれば調べる程出てくる汚職の数々。もしも“魔女の支配”と思われる力を子が持って生まれた場合、真っ先に王国に報告をし、調査し、事実であれば魔力封印の措置が取られるのが通常。その場合、魔法が一生扱えなくなるので国から家に援助金が支払われる仕組みとなっている。コールド子爵もそれは知っていたが、他人を次々に魅了するマリンの力を利用した方が余程商売に繋がると判断したのだろう。
金に執着した結果が爵位剥奪と領地返還、更には未開の地である北方への送還。子爵夫人は、マリンが正式にコールド家に迎えられた際反論を示し、夫に家を追い出され離縁されている。親族も自身の保身の為にコールド子爵家を見捨て縁を切った。
コトリとティーカップをソーサーに置いたメルローがシトロン譲りの鳶色の瞳を柔らかく細めた。髪も瞳もシトロンと同じだが顔立ちや雰囲気はラフレーズと同じく母譲り。微笑むだけで周囲の空気は穏やかになる。
「父上はラフィが決めた日に行きなさいと言っていたが、内心ではきっと会いたいと思っているだろうさ」
「私もお父様の帰りを待って行こうと思いましたが……」
後始末の為まだまだ戻れないと報せを寄越したのと一緒にラフレーズへの伝言もあった。
『もしも精霊界に出発するのなら、ラフレーズが行きたい日に行きなさい。私の帰りを待つ必要はない。次にラフレーズが戻る時には、必ず屋敷にいると約束する』
今日を最後に屋敷に戻らない訳じゃない。戻りたくなったらまた戻ればいい。家族の優しさには甘えてほしい。シトロンの代わりにメルローが代弁した。
「遠い東の島国には、思い立ったが吉日、という言葉がある。危険じゃない限りはゆっくりとしてきたらいいよ」
「はい……!」
紅茶を飲み干したラフレーズは日光浴をしているメリー君、モリー、クエールに声を掛けた。端から見たら何もない場所へラフレーズが喋っている風にしか見えない。そこに精霊がいると言わない限りは。
席から立ったラフレーズは大きな鞄を肩から提げ、晴れ晴れとした笑顔でメルローに振り向いた。
「行ってきます。お兄様!」
「行っておいで」
ルーシーや他の使用人達には今日出発するとは告げている。見送りも不要と言ってある。
だが、遠い場所から静かに見送ってくれたルーシー達にそっと手を振って口を動かした。
“行ってきます”と。
メリー君が開いてくれた精霊界へと繋がる道に足を一歩踏み入れた。
あっという間に変わった景色。始めの頃歩いたあの草原だ。
「クエ!」
クエールが「此処には魚がいない!」と場所の変更を求めた。あ、と気付き申し訳なさそうに鳴いたメリー君は別の場所への道を開いた。そこに行ったラフレーズは息を呑んだ。
神秘的な青に包まれた静かな森。草木の色が青一色。不思議と魔力で溢れていた。
「モウ!」
「メエ~」
「クエ、クエ」
精霊三匹によると、ここは精霊界でも特に美味しい草と水があるらしい。そこの湖で泳ぐ魚も非常に美味なのだとか。但し、人間であるラフレーズは飲めないし食べられない。
少々残念に思いつつ、先頭をモリーが歩きラフレーズの左隣にはメリー君、クエールはモリーと並んで歩き始めた。
「此処でも色んな精霊に会えたらいいね、メリー君」
「メエ!」
「うん。メリー君やモリー、クエールが一緒なら大丈夫だよ」
こうやって楽しい時を過ごしていって、まだ心に残るヒンメルへの思いを苦い思い出とし、次へ進もう。
ラフレーズは友達である精霊達と共に歩いていくのであった。
これにて本編終わりです。
後何話かエピローグがあります。