3話 なんやかんやで聖女はメイドになりました!
「えっ、嘘」
勇者は呟いた。なんだかちょっと前にもおんなじセリフを呟いた気がするな。そう思ったのにやっぱりつぶやいた。
「いや、嘘じゃないからね……お客さん、これで向こう岸には渡れるけどねえ、向こうで入国するときの費用には足りないよ?」
「うわあ……」
船の上で運賃を要求され、それを差し出したところで更に向こうでの入国費用を要求されるというダブルパンチ。
困り果てた勇者は上目遣いで船員を見上げた。
それはもう捨てられた子犬の如き様相であった。
「む、向こうで稼ぐとか……だめですかね……?」
「ダメに決まってるだろう!?」
「ですよね!?」
だよなあああ……。
「じゃあ、えっと、船のキッチンを貸してもらえませんか。俺料理作るんで、それで……」
「船旅用の食料は貴重品だよ、無駄遣いはさせられないねえ」
「うっ………」
万事休す。
と、ユーリィが思ったときだった。甲板で薄桃色の髪を風に遊ばせていた聖女が、戻ってきた。
「じゃあ、わたしが働くよ」
「えっ」
いつも通りの、あまあい声。
優しい物言いで、アストレアはふんわりと微笑んだ。
「船員さん。わたしを食堂に入れてくれないかなぁ、お役に立ってみせるから」
彼女は、自らの杖を、置いた。
魔法陣が広がる。
周りの人々が驚いてこちらを見る。クラスチェンジの儀式は、そう簡単に何度もお目にかかれるものではない。
目撃率で言うならば、他人が着替えをするのを見るくらいには低いのではないだろうか。
ものすごく珍しいわけではないが、ないことではない……くらいの、好奇心をそそるくらいの確率である。
薄桃色の魔法陣を広げたアストレアは、片手を振りかざす。
桃色の光は、ーー……はたきを形作った。
光は彼女の体の曲線を露わにする形で、まとわりついていく。
真っ白い、如何にも聖職者、ヒーラー然としていた服装は、ロングスカートのメイド服へと変化する。
下ろされていた髪にはヘッドドレス、スカートの下にはフリルのロングパニエ。
彼女が再び目を開いた時に、そこにいたのは……ヒーラー、聖女ではなく、一人のメイドだった。
「……よろしくおねがいします。食堂で、給仕としてわたしを働かせてください。……お金がないと、困るの」
深々。
クラスチェンジまでする気合を魅せられて、船員は目を白黒させながら頷いた。
それはそれとして、勇者は思った。
俺の嫁の体の曲線美を見知らぬ男たちに見せてしまった。
なんだかちょっと複雑だなあ、と。
それが顔に出ていたのかもしれない。
食堂の方に歩き去り様に、メイドとなったアストレアが振り返って囁いた。
「そんな顔しないの」
ユーリィ、わたしはユーリィだけのものだからね。
それから、ちょっと赤くなって早足で行ってしまう。
あっ、俺の嫁可愛いわ……。と無言で思う勇者であった。
結論から言うと。
アストレアはものすごく優秀なメイドだった。
「いらっしゃいませ〜」
ふんわりとしていて、ちょっとドジで、天然なところがあるのでいつ皿を割るかひやひやしたが、クラスチェンジの恩恵かそんなミスもなく。
彼女本来の、どこか抜けた雰囲気でいい感じに店の中の空気を緩ませ。
それでいて、その美少女っぷりと船の中では珍しい服装で男性客を増やすという貢献をやってのけた。
それを、ユーリィは食堂の隅から眺めていた。
ロングパニエで走り回り、微笑んで頭を下げる俺の嫁。あー、可愛い……時々こっちを見て、照れくさそうにはにかんで笑ってくれるのがもっと可愛い。
彼女目当ての客がどんどんと増えて、沢山の男に声をかけられている様にはちょっと、ヤキモチ妬くけども。
……と、思いながらのんびり眺めていたのが、良くなかった。
船が幾つかの港を巡り、何十人も人々を乗せればその中には、当然……二人にとって、都合の悪い人間がいた。
その『都合の悪い人間』は、彼らを見ると密かに王国に密告をし……そして、逃げ場のない船の上だと、至る状況は一つである。
アストレアがくるくるとよく働く船の食堂。
そこに、どやどやと体格の良い兵士たちが乗り込んできた。王国兵だ!
「そこのメイド!……お前、お尋ね者だな?そっちの料理人もだ!我が国での人相書きの二人によく似ていると通報があった」
「いえ、……わたしは、ただのメイドです。そちらの料理人はわたしのご主人様です」
ごしゅじんさま!?
「そ……そういうプレイはまだ早いんじゃ……」
「何言ってるの、ばか」
「ごめんなさい」
反射的に謝る勇者をちらっと見てから、聖女……もとい、メイドはちょっとしょんぼりしてみせた。
「……ごめんユーリィ、ちょっと目立ちすぎたね」
「いいや……金なかったし、仕方ない。ところで、お給金は」
「もらえた。入国費用には足りる……んじゃないかなあ……」
「足りなかったら俺が体で稼ぐから!」
「ユーリィ……ありがとう」
のんきに目の前で会話している二人を見て、王国兵たちは空気を読むのをやめたようだった。
「くそ、目の前でいちゃいちゃ見せつけやがって、捕まえろ!」
ガタイの良い隊長格が命令を下す。
同じように筋肉だるまばかりの兵士たちが二人を捕らえようと取り囲んだ、その瞬間。
勇者の目が、視界の端に小さな島影を捉えた。
………あれだ。
「……レア、飛べるか」
「えっ?」
「メイドになったけど、空飛べる?」
「う、うん……多分……?」
「了解!」
聖女は、というかメイドは、風の魔術の詠唱を始めた。
もっとも、杖ではなくて得物ははたきだけれども。問題なく詠唱が進む。彼女の技術は未だ健在のようだ。
それを確認してから、勇者は、容赦なくフライパンを振り回すことにした。
かつては光る剣から迸る形だった一撃を、フライパンから放って兵士を吹っ飛ばす。
ただし、海には落とさないように、加減して。
「くらえええええ!俺のフライパンの一撃ぃいいい!」
「ぐっ……!この、くっそふざけた料理人がああ!」
「ふざけてない!」
「どこがふざけてないんだ!」
「俺は、俺と嫁を守るために必死なんだよ!すまん!」
隊長格をなぎ倒す。股間に一撃食らわせてもだえている様に一瞬だけ黙祷。
「ユーリィ!準備できたよ!」
「おうよ!」
アストレアの手を取ると、体が、ふわりと浮いた。
まるで魔女っ子の如く、はたきを浮力の源にしてぶらさがるアストレア……に、ぶら下がるユーリィ。
ちょっと不格好な姿で、二人は遠く見える島影の方へと逃亡した。
あの島でバカンスできたらいいなあ。
のんびりできないかなあ。
勇者はのんきにそんな事を考えていた。
メイドにクラスチェンジを果たしました。
次は小さな島に行きます。いざとなったらメイドははたきを振り回し、料理人はフライパンを振り回すタイプの逃亡劇、続きます。