16話 元勇者の料理人は魔物集団の中で優雅なティータイムを満喫しました!
「最初の仕事は……魔の森だ」
勇者は首を傾けた。
料理ギルドのマスターの部屋。巨大な机に、背後には立派なキッチン。きらびやかな調理器具が壁に下がり、料理のレシピが山のように本棚に収められている。
その部屋の中の、大きな机の上に広げられた地図を、マスターのエルザと一緒にユーリィは覗き込んでいた。
「魔の森……ライメールの端の?」
特に用事もなかったので立ち寄ったことのない場所だった。
魔王を討伐する旅の中では、案外こういった細々とした場所を見逃していたようだ。
「ああ、魔物が多いが魔力をたっぷり吸った美味いハーブも多くてね。いつもなら冒険者ギルドに依頼を出して採りに行ってもらうんだが……最近、どうにも仕事が杜撰なのさ」
「杜撰ですか……」
「ああ、こっちがギルドに依頼を出さなければ材料が採れないって事を分かってて、足元を見てくる。その値段のふっかけ方の割に本当に美味い薬草を見分けられず、しなしなしたやつ採ってきたり、間違えた草を採ってきたりねえ」
彼女は地図を折りたたむと、ユーリィにぽんと投げた。
慌てて受け取る。結構古そうな地図なのに、扱いが雑なのは彼女の性格か。
「……というわけで、今回あんたには魔の森にハーブを採りに行ってもらうよ。魔物とやりあえる腕があるのはギルドの入隊試験でよくわかったからね。あの森は基本浅いところしか探索が進んでない、珍しいもんがあったらそれも持ち帰っておくれ。その後、あたしが指定した分はギルドに収めて、残った分は自分で調理しても構わない。あんたはあのサブマスの試練を潜り抜けたんだ、材料を最初から好きにしていいくらいの腕はあるさね」
きりりとした眉を少し和らげて笑うと、切符の良い姉のような表情になる。
その表情のまま、彼女はそのあたりに散らばっていたコンパスやら、革の袋(恐らくハーブを入れるのだろう)やら手袋やら何やらを持ってきて、ユーリィに押し付けた。
「あ、……ありがとうございます」
「いいや。新人には任務を完遂できるように持ち物は支給。それは簡単なハーブ摘みだって変わらない。これは我が料理ギルドの基本なんだよ、持ってきな」
からっとした口調で言ったあと、エルザはちょっとポニーテールを揺らして首を傾けた。
「そういえば、あんたの嫁はどうしたんだい?最初のうちは毎日見に来てたが、最近いないね。あんたがここに入ってもう半月ほどになるけど」
「ああ、えーっと……ここ数日ちょっと……王妃様と一緒になにかしてるみたいで」
「へえ、王妃様と!優秀なメイドや料理人になると人脈も違うのかねえ?」
これ以上話をすると、元聖女と勇者であることがバレそうな気がする。
「あっ、じゃあ俺はこの辺りで……レアにもこの事、知らせに行かなきゃいけませんし。明日までには材料持って戻ります!」
ユーリィはすばやく話を切り上げてとっとと退散した。
「明日までって……魔の森まで行って戻るのに5日はかかるだろうに……」
エルザは不思議そうに呟いた。
……魔の森で魔物たちとやり合いつつ、ハーブを採取する。
という段取りだったはずでは……と、ユーリィは思いながら、水筒から注がれた紅茶を飲んでいた。
古代船で、ライメールの外れに位置するここまで飛んでくるのに数時間。
人工知能イデアの力によって、制御が大分楽になったので、長距離の移動もラクラクだ。
ラクラク……なのだけれど。
物凄く短時間で目的地までたどり着いたのに、ユーリィは仕事をしていなかった。正確に言うと、嫁に流されて仕事をする時間をもらえなかったというか。
紅茶を一口すする。サンドイッチを食べる。超優雅。魔の森の中の、木漏れ日が降り注ぐちょっとした広場に座って、布を広げて。
なんか結構な勢いで時々襲いかかってくる魔物は、レアが張った結界に触れるそばから蒸発している。なんだこの状況。というか俺の嫁強くなってない?
「王妃様と何やったらこんなに強くなるんだよ……」
「乙女同士の秘密です」
「はあ……」
「ね、ユーリィ。おいしい?」
「え。……うん」
「ふふ、良かったあ……いつもユーリィにばかり料理を作らせてるから、たまにはわたしもね」
あのあと、魔の森に行くと告げたら、アストレアは速攻で台所に駆け込んでなにか作り始めた。
黙って見守っていたら、豪華なサンドイッチ一式と、みずみずしいフルーツの盛り合わせ(こぼれないようにガラスの容器に入っている)が完成していた。
そして今に至る。
「いや、あの、それはいいんだけど、レア……この状況って……」
ツッコミをここまで放棄してきたが、ついにユーリィは突っ込んだ。
アストレアがぱちりと瞬きしてから、ちょっとはにかむ。さらりと薄桃色の髪が揺れた。
あっ……可愛い。可愛いけど騙されないぞ……。
「……最近、デートできてなかったでしょう?だから、つい」
「……まあ、最近忙しかったからなあ。王国を飛び出した時ぐらいから……」
「うん。……ところで、紅茶のお味はいかがですか?ご主人様?」
「そういうプレイはまだ早い!」
「じゃあ……旦那さま?」
「うっ……それも、ま、まだ……早いから……」
「まだってことはいつか、そう呼んでいいの?」
「……おう」
「えへへ」
「はあ……」
結局遊ばれてしまった気がする。
そんな事を思いながら、ユーリィは紅茶を飲み干してサンドイッチを食べた。
ぐるるるる。がるるるる。めっちゃくちゃ外から睨まれて、何なら体当たりする狼型の魔物たち。
結界に触れた瞬間に光になって消えるのでさっきから物凄く眩しい。
「ところで、……さっきから魔物が増えてる気がするんですけど、レア」
「え?うーん……ユーリィがおいしそうだから?」
「俺!?」
ほら、勇者としての力とか。
と、レアが言うので、恐る恐る手を結界の外に出してみると、めちゃくちゃに噛みつかれそうになって手を引っ込める。勇者としての力、魔力とは少し違う、技能値のようなものだろうか。強い物を食べれば魔物は強くなる法則があるという。それで狙われているのだろうか。
それにしても、これは……。
「なあ、これさあ」
「うん」
「倒さないと魔物が邪魔でハーブ探せなくない?」
「そうだねえ」
じゃあ、ちょっと……やりますか。
ユーリィは背中からフライパンを引き抜いた。フライパンの二刀流、片方は炎を纏う。片方は氷を纏う。
レアが素早くサンドイッチのバスケットを避難させた。
ユーリィはフライパンをーーーー振り下ろす!
草が凍る。草が燃える。あっという間に森のほんの一部は、赤と青の乱舞に巻き込まれていった。
ーーーーそれを、すぐ近くで見ている者がいた。
正確には、それを見て腰を抜かしていた。
「な、なんだ……あの、とんでもない力は……あれが、ただの料理人……?」
少年は呟いた。彼は冒険者ギルドの一員であった。故に、目の前で起こった事実と、その技を放った人間の力量をある程度推し量ることができた。
「……料理ギルドの新人が魔の森に行くというから来てみれば。……なんなんだ、あのとんでもない戦士は……」
彼は再び呟いた。
ばっちり声に出していたので、本人が言う『とんでもない戦士』がすでにこちらに気がついている事にも気づかず。
ついでに隣にいたメイドにも気づかれていることにも気づかないポンコツであった。
「……なあレア、なんかめっちゃ褒められてる」
「良かったねユーリィ!」
「ところで、あれ声かけていいのかな……?」
料理人とメイドに気を遣われている事にも気づかず、少年は真面目な顔をして藪の中に隠れながら考え込んでいた。
「くそっ、僕だってできる!冒険者ギルドの新人である僕にだって、ハーブを採るくらい……!」
彼は森の中へと駆け出した。
奇しくもそれは……狼の大群の魔物が押し寄せてきた、その巣穴がありそうな方向であった。
次回、ポンコツプライド高め冒険者と元勇者と聖女。