15話 元勇者の料理人は料理ギルドの課題を完遂しました!(2)
「レア、今回は俺一人にやらせてほしいんだ!」
敵が現れるや否やそう言って、勇者は強化型フライパンを引き抜いた。
持ち手にある赤い方のボタンを押すと、めらりとフライパン自体が熱を放って火の魔力を纏った。
アストレアはちょっと顔をしかめた。
「ひとりで……って」
「これは、レアじゃなくて俺の試験だからさ。だから、見ててくれ。一番近くで」
巨大な吸盤のついた足が踊り狂う情景を背景にして、彼は言う。振り向いて、瞳を細めて微笑む。
普段格好がつかない勇者の、全力の格好付けだった。
「ユーリィ……」
アストレアはちょっと感銘を受けた様子でユーリィを眺めた。ああ、こんなに頼もしくなっちゃって、なんて呟いてみる。
「それから、もう一つ頼みが……」
「なあに?」
「見てては、ほしいんだけど」
「うん」
「耳は、塞いでてくれると嬉しいです!!!」
「え」
触手がびたーん!と、ユーリィが一瞬前までいた砂浜の砂を打った。息を飲む。彼は強いから何の心配もないと分かっていても、やっぱりはらはらはするものだ。多少は。
湿った砂が巻き上げられ、視界が悪くなる。小舟は絡みついた足に飲み込まれかけたが、これには人が乗っていないと悟ったのか、すぐに開放された。
波間に漂うそれの後ろに、巨大な水しぶきが上がる。真っ暗な夜の中、月の光を受けて白く映える。
「なんで耳を塞ぐの〜?」
「いいから!いいからお願い!」
「えぇ……?」
次々に彼を攻撃する足の、本体。それは巨大なオクトパスだった。目が3つ、緑色に光ってぎょろっと此方を見た。相当怖い。
鞭のように撓る足が、勇者の体を捉えんと殺到する。
「ユーリィ、危ない……!」
「余裕!なんだけど……あー、くそ!」
息を吸って吐いて。
「ーー強化型フライパン発動、指定コマンド炙り焼きーー!!」
叫んだ瞬間、炎が蛇のように触手に纏わりついた!
魔法である。勇者であっても、彼は魔法がちょっと苦手だった。そのユーリィが、技術の力で魔法を使える道具。素晴らしいハイテクノロジーだ。
フライパンだけど。
フライパンだけど!
やけくそ気味に叫んだ勇者は、触手の中に突っ込んでいく。シャキシャキしゃきいいいいん!という戦闘音だけは格好良い。
「…………んんっ」
流石にあんまりにあんまりな技名に、聖女は咳払いした。
笑いが抑えきれないが、笑ってはいけない気がして、顔を固めたまま彼女は勇者がタコを易易と数秒で焼き上げて材料にするのを見守った。
見守った……のだが。
「あっ」
焼き上げたタコを勇者は波間から引っ張り出そうとしていたのだが、うっかり足を滑らせた。
「うっそだろおおおおお!?」
触手が足に絡まる。そのまま彼の体が、仰向けに水中へ沈んだ。
しょっぱい。目が痛い。どうやらちょっとだけ流されたらしい。この海、浅瀬から少し行くと深いタイプだったか。
遠くにゆらゆら見える月の光。これ大分沈んでないか?……そうだよなあ、だって水中生物(軽く焼いてある)と一緒に沈んでるんだぜ。そりゃあ重いよ、絡みついたままだったら浮き上がれっこない。
口から泡が出て水面へ浮かんでいく。レア、今頃笑ってるんだろうなあ。そろそろ本気で浮き上がりたい、浮き上がりたいんだけども、このタコ引っ張ったらうっかり千切れたりしないだろうか。
そんな事を思いながら、ユーリィは口を閉じて酸素を留める。
留める努力をしていた……時だった。
上から、アストレアが降ってきた。
潜ってきた、と言ってもいい。
その泳ぐ姿は、まるで人魚のようで……少しだけ、見惚れる。
酸素が足りないのを、唇を合わせる事で補給する。甘さも何もない、海水味の、実用的なキス。
ほとんどしたことがないから、少しだけ照れてしまって、でも今はそんな場合じゃない。
これ ひっぱりたいんだけど
ジェスチャーで必至に示すと、レアは頷く。
でも、ひっぱったら、このタコ、ちぎれそうで
ざいりょう ちぎりたく ない
足を引っ張る仕草、ちぎれる様子を伝えてみた。またレアは頷く。これ伝わってんのかな?
彼女は足を持って上に上がろうとした。千切れるー!
そんなこんなしていた、その時だった。
遠くから、すごい勢いで何かが泳いできた。
銀色のきらめきが、夜の海の中を駆け抜ける。
ぐっと腕を持たれる。アストレアとユーリィと、魔物。全てを掴んで、その何かは海面へと浮上した。
「だいじょうぶ……!?」
銀髪の、少女だった。
抜けるような銀の髪に、青い瞳。真っ白なワンピースは海水を吸って波間に漂っている。
「だ、大丈夫だよ、ちょっとボディランゲージで意思疎通に失敗してただけで」
「え……?ぼでぃ……らん……?」
よく見たら、その面差しは相当に幼い。八歳くらいだろうか。八歳なのに剛力だな。
「あ、えーと、なんでもない。……それより、助けてくれてありがとう」
「どういたしまして、なの……けがは、ありません……?」
「ああ、大丈夫だよ。あ、えっと、俺はユーリィ、こっちはレア」
「わたしは……ぐろりあ」
「んっ?」
グロリア、だって?
ユーリィは意気込んで尋ねた。
「グロリア、ちゃん?あ、あのさ、ちょっと聞きたいことが!」
「はい?」
「料理ギルドのサブマスターの、海の幸の課題をしてる者なんだけど……」
「ああ、りょうりぎるど……はい、しって、ます。たまに、ますたあさんとは、あいます。さぶますたあ…?」
「眉毛がぼっさぼさで筋骨隆々の爺さんなんだけど、」
「……まゆげ」
それを聞いて、彼女は目をまんまるくして、それからーーーー何かを懐かしむような表情で、微笑んだ。
「そうなの……あのひと、まだ、げんきで……よかった。おしえて、あげます、あのひとの、すきなもの」
少女は、海に潜って、うす青い一輪の海中花をくれた。
ーーその花は、未来への切符だった。
「どわっはっはっは!今日が期限じゃぞぅ?例の小僧共は来ないのう、来ないのう。怖気づいたか!はっはっは!」
「うるさいよ」
「おっと、すまん」
きりりとした眉の黒髪の娘にぴしゃりと言われて、彼は自らの自慢の髭を撫でた。
料理ギルドの一室、サブマスタークラスが書類仕事をするための部屋だ。最も、そんな身分でもないのにこの娘はいつもこの部屋に居座っているのだが。
「わしの一番の『海の幸』に叶う味でなければ認めんわい」
「いい加減その意地悪な試験やめたらどうだい。大体あんたが認める海の幸って……」
「……子供の頃食べたあれじゃのう」
「あんなの、普通の人間はまず食べないよ。道端の草、あんた喰うかい?」
「ものに寄る」
「味に対する探究心が強いことで……」
リリン、と、ベルが鳴る音がした。
「んっ?」
「ーー頼もーう!」
おっと、あんたが言ってた小僧ども、帰ってきたみたいじゃないか。
黒髪の娘はにやりと笑った。
「これです!」
どん、と出された丼を見て、サブマスターは動揺した。
目の前には、数日前にギルドに入りたいと言ってきた小僧がいる。その横には、メイド姿の少女。
だが、彼を動揺させたのはそんな事ではなかった。
ーー彼が出した丼には、ごく普通な感じで透明な海の幸が大量に盛られていたが、……一番上に、うす青い花が、飾られていたのである。
「この花はなんじゃ」
「ああ、飾りですよ」
……飾り。
では奴らは、知っていたわけではないのだ。あの少年の日の事を。
海辺で、名前しかしらない少女と二人、海の底に潜って、花を拾った。
なんでもない思い出を、彼は飲み下した。
「ふん。……では、一口いただこう。どんな味か確かめてやろうではないか」
きらきらと透明に輝く海の幸。少しだけ火が通してあるこれはーーもしや魔物か?
「……随分なものを狩ってきたようじゃの。……弾力、この味……う、むぅ……」
「美味しいでしょう?」
「まだ美味いとは言っとらんわい!」
「……じゃ、かき混ぜてみてください。絶対美味しいですよ!」
「ふん、美味くないとわしが感じたらどうする」
「その時は、俺を煮るなり焼くなりご自由に!」
口の端を持ち上げる小僧。何たる生意気な表情か。
そう思いながらサブマスターは、がしがしと丼をかき混ぜた。透明なたれが下に溜まっていたのが、丼にしみていく。
美味くても、まずいと言ってやろう。絶対に通すものか、という気になっていく。
がばっと取って、勢い良く、一口。
ーーー次の瞬間、彼は目を見開いた。
……思い出の味がした。
透明なたれは、濃厚な潮の味がしたのである。海の底に咲く、名前も知らぬ海中花。
小さい頃、名しか知らぬ少女と、二人で食べた、美味しくもないおやつ。
『おいしいね』
『……うん』
でも、彼女が笑ってくれたから、臭みのある塩味が妙に舌の上で甘く思えた。
少年だった頃の老人の、ぼさぼさの眉を撫でるのが、何故か好きな娘だった。
『あなたのまゆげ、ぼさぼさ。おもしろい』
『お、おもしろいの……?』
でも、いつしか彼女とは離れてしまった。離れなければと思った。生きる時の流れが違ったから。
種族すら、違った。
もう、会わないと、そう思っていたのに。
また、会いたくなって。
でも、どうせ忘れられている。千年も万年もそのままの体で生きる彼女は、一瞬すれ違った少年なんて、覚えてもいないだろう。
魔物の丼は控えめな塩気で、見事に花の味を引き立てている。完璧に調和した、たれと海鮮の一品だった。
まさしく、『海の幸』の料理だった。海から、彼がもらった幸せを思い出す、料理だった。
胸が少しだけ痛んでいた。
「……お前さん、これを、どこで、」
小さく呟くと、料理人は笑った。
「……可愛い人魚が、くれたんです」
昔、わたしが好きだった人が、好きだった花だよ、って。
老人は、全て丼を食べきった。
基本的に素人の丼など一口で捨てるのに、これは食べ切らなければいけない気がしたのだ。
「どうだい、お気に召したかい?」
後ろから声をかけられて、彼は呻いた。
「悔しいが、……美味い。この花を、こんなに上手く調理した奴は、他にはおらん」
黒髪の、眉のきりりとした娘は笑った。
「どうやらサブマスターはあんたの丼に完敗したようだ。さて、では改めて歓迎させてもらおう。あんたたちなら、あの花を上手く調理できる実力があると思って正解だったね」
黒髪の娘は此方を見る。緋色の瞳が美しかった。
あたしは、マスターのエルザだ。
言っただろう?料理ギルドに縁があったら、またあたしとも遊んでおくれよって。
さあ、しゃきしゃき仕事を振らせてもらうよ、料理ギルドの新入隊員くん。
次から、古代船を使って、あちこち飛び回り始めます。よろしくお願いします。