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時は少し戻って…
母が離婚を決意して家を出る前、入院して間もない時。
私は母の看病(母の入院理由は伏せていました)と自分の体調悪化(過労…)で一定期間休みをもらっていた会社を辞することになりました。
自宅は…一種の自営業で、母の抜けた穴を誰かが埋める必要がありました。
事情を話した上司からは、持ち場に穴をあけたりとたくさん迷惑をかけてしまったにも関わらず、「大切だと思うことを大切にしてやれ、人はいなくなってからじゃ遅い」と言葉をいただいて。
その時に、上司が身内を失っていたことを知りました…。
…私は母の後任として家業に入ります。
家業には休みの日はないかわりに、時間的な自由はかなりききました。
その時間を利用して、崩した体調を立て直すために医者にかかりながら、少しずつ仕事の役割を覚えていきました。
…でも。
母の後任になったことは、とある苦しみを誘発したんです。
仕事だけならよかった…けれど。
私には「母親」の役割が求められました。
朝早く起きて妹のお弁当をつくったり、妹の塾の送り迎えをしたり…妹が熱を出した時に看病したり、悩みをきいたり、学校の懇談会に出たり。
ふと、思ってしまったんです。
自分の高校時代…みんなを起こさないように真っ暗い台所で小さな明かりをつけて、前の日の学校帰りに買った冷凍食品をあたためてそっとつめて、音を立てずに玄関をあけて電車に乗り込んで学校に向かった毎日。
熱を出したのがばれれば面倒だと怒られる日々。
「お母さんがいないんだから、あなたがしっかりしてちゃんと妹を世話してあげるんだよ。あの子たちはただでさえ悲しいんだから」
家族に毎日のように言われていた言葉は…。
…私は、自分のことはあまり構う気になれなくて、その時も、何も食べていなかった胃から上がってくる気持ち悪さを飲みこみながら、手早く用事を片付けて、逃げるように自室に戻りました。
妹たちは大切。
大好きです。
でも、この時はそれさえ揺らぐほど、冷静さを失っていました。
しだいに台所に立つことで吐き気を覚えるようになり、かといってみんなの手前、笑顔を崩すこともできず、日々薄れていく実感に、自分の姿さえ、遠くに見えるようになっていきました。




