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三人がキャクストン一家の館に姿を現したのは夕暮れだった。とは言え、ロンドンは緯度が高く、夏の日は長い。時計の針は二〇時を回っていた。
夕闇に佇む大きな古い館は、ある種の超常的な何かを想像させた。
「悪の親玉が住む、悪魔の城に相応しいな」
アルバートが軽口を叩いた。
「よしてくれ、僕の家だぞ」
クリスがむくれた顔で反論した。
館は大きく、キャクストン一家、いやすでにダミアン・アンダーソン一家のものだが、オフィスを兼ねている。だが、今夜は極めて静かだった。
エリーはその様子を見て小さく微笑んだ。
「予想通りね。彼らはクリスの捜索に躍起になってる」
ダミアンはクリスの命を狙っており、クリスには逃げるしか手はないと思っている。クリスは十三歳の少年なのだから当然だ。
まさか館に戻ってくるとは思っていない。三人はその虚を突いたのだ。
事実、ダミアンは市内の捜索を初め、空港や駅に組織の兵隊を送り込んで、クリスをあぶりだそうとしていた。当然、館は手薄になる。
アルバートやエリーは手練だが、数の上では圧倒的に不利である。手薄になった今夜しかチャンスはなかった。
アルバートはXJRのトランクからMP7を取り出し、クリスに手渡した。小型のサブマシンガンである。
「まあこんなものはまともに銃が扱えないことを宣伝してるようなもんだが、事実そうだしクリスには向いてるだろ」
XJRのトランクは他にも銃器で満載だった。
エリーはそれを覗き込み、なんとも物騒な車だと思った。これ一台で戦争が出来そうなほどだ。少なくとも、警察に見つかったらただでは帰して貰えそうにない。
「ま、クリスは撃たない方がいいけどな。色々な意味で」
アルバートはそう言い足した。クリスにとって、今はダミアンの手下でも元は一家の仲間だ。それに慣れない射撃は味方を邪魔しかねない。
「エリー、あんたの獲物はどうする? その姿じゃロクな装備はなさそうだが……」
エリーは白いワンピースとハンドバック、とてもカチコミに行くような姿ではない。もちろん、武器になりそうなものは手にしていなかった。
エリーはトランクの中を見つめたが、興味なさそうに首を振った。
「いらないわ。銃は趣味じゃないから」
エリーはそっけなく言うと、トランクから視線を外した。
アルバートは肩をすくめたが、何も言わなかった。エリーはクリスを一度救っている。その実力疑うのは失礼だと思ったからだ。
「アルバート、エリー、一つだけお願いしていいかな?」
二人は振り返り、クリスを見た。クリスは少し戸惑った表情で、だが真剣な眼差しで二人を見ていた。
「この家の者たちはついこの間までは、僕の……いや、父さんの仲間だった者たちだ。できれば殺さないでほしい。家族が傷つくのは嫌なんだ」
「努力はして見ましょ?」
アルバートはおどけて言った。エリーは微笑んだが、何も言わなかった。
二人が共通して思ったことは、クリスはいいボスになるだろう、と言うことだった。
「じゃあ行きますか」
エリーが落ち着いた声で言うと、アルバートは愛用のベレッタM92の安全錠をはずした。
侵入者の報告を聞いてダミアンは驚いた。だが、冷静な彼は次の瞬間には侵入者の正体に気がついた。クリスだろう。驚いたが、考えられないことではなかった。罠にはめた人間が報復してこないと考えるのは楽天家過ぎる。
「クリス……」
傍らに居たカーサが心配そうな声を上げた。
「ずいぶんと大胆な行動に出たな。アルバートか、一緒に居る女か、それともクリス自体の考えか……わからないが、賞賛に値する」
ダミアンは率直に感想を述べて、部屋の調度品のガスランプで煙草に火をつけた。
もしアルバートと報告の女がクリスと行動を共にしているなら、おそらくこの部屋へクリスはたどり着くだろう。
煙を味わいながら、ダミアンはクリスの心理を考えた。
「おそらくやつは、お前を取り返しに着たんだろうな。ああ見えてクリスは理知的な子供だ。死んだ親父を取り戻せないことを知っている。わざわざ危険を冒すのはお前のためだ」
カーサは胸に手を当てて、苦しそうな表情を作った。
「こんな古ぼけた館に愛着を持つとは、感傷的な親子だ」
ダミアンは机に向かうと愛用の銃を取り出した。シグ・ザウエルP226は彼を具現化したような実用的な銃だ。銃の状態を確かめると、ゆっくりと彼はカーサに向けた。
「おまえはこの館が具現化した存在だと言う。そのお前を撃ち抜けば、この館はどうなる? 灰となって崩れるのか?」
カーサは銃口を見つめた。彼女の顔は恐怖にも絶望にも歪まなかった。
「私が居なくなれば、クリスがここにこだわることもなくなる。彼にはもっと陽のあたる世界に生きて欲しい……」
「同感だ……」
屋敷に侵入した彼らは、水を得た魚のようだった。
襲撃を予想していなかったダミアンの手下たちはただうろたえるだけで、エリーの軽業とアルバートの銃撃の前に無力だった。圧倒的な戦いぶりに、組織の男たちはすぐに戦意を失った。
コネリーの息子であるクリスの姿も組織の人間を狼狽えさせた。流石にダミアンも組織のすべてを掌握しきっているわけではなかったのだ。
三人は悠々と二階に上がった。ダミアンの部屋は二階だ。クリスは館のことを良く知っている。彼らの動きに無駄はなかった。
二階でも三人を迎撃する律儀な者達が数人いたが、反撃は散発的であり、エリーとアルバートの二人は簡単に彼らを沈黙させた。
ダミアンの部屋を前にして、クリスは立ち止まり二人の顔を見た。
無言で少年は頷き、二人はそれに答えた。
アルバートが銃を構え、エリーの長い足が木造の古い扉を蹴破った。
三人の視界に入ったのは、銃をカーサに向けたダミアンだった。
「ちっ!」
アルバートが威嚇で銃を撃った。狙いをつける時間はなかったから、とにかくカーサに当たることだけは避けた。
ダミアンはカーサを打つことを諦めて、机に身を隠しながら銃を撃った。ダミアンは幹部になって実際に撃ち合うことは少なくなっていたが、銃の扱いにも長けている。ドアをはさんで激しい打ち合いになった。
「クリス!」
カーサがクリスの名を叫んだ。クリスもカーサの名を叫ぼうとしたが、銃弾が飛び、遮られた。
「エリー、突っ込めるか?」
アルバートは弾を詰め替えなおしながら言った。このままでは埒が明かない。アルバートはエリーの俊敏さに期待した。
「そうね、貴方が盾になってくれるなら」
「ひでえこと言うなあ……」
「無茶を言うからよ」
エリーは冷たい目で言った。アルバートは悪態をついたが、エリーにも銃をもたせておけばよかったと思った。前衛とバックアップの体制が取れれば、状況を打開できたからだ。クリスには銃を持たせていたが、使わせる気になれない。
「しかたねえな」
アルバートはそう言うと、覚悟を決めた。
「クリス、カーサはお前が助けろ。それがお前の義務だ。エリーはクリスのフォローを頼む」
そう言うと彼は上着を脱ぎ捨て、部屋に放り込んだ。