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a Little Hero Gangster  作者: 水夜ちはる
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 幼い日の記憶。


 カン、と言う乾いた音を立てて、ガラス細工の人形は美しい美術品からガラスの欠片へと変貌する。ガラスの欠片は薄暗い部屋の中で、貴重な光を反射させて、最後の美を映し出した。それはもう、二度と戻らない。ガラス人形の輝きは永遠に奪われてしまった。少年の些細な不注意によって。


「ごめん」

 少年はばつが悪そうに、床に視線を落として言った。価値がありそうなガラス人形だったからではない。そのガラス人形を壊した、その罪に対して純粋に詫びた。


「あらあら、お怪我をされているではないですか」

 少年は右手を見た。ガラスの破片で切ったのだろうか、赤い鮮血がにじみ出ていた。ガラス人形を壊した罰なのか。金色の髪をした少年はそれを見て思う。

 その部屋で掃除をしていたメイドが駆け寄り、ポケットから清潔なハンカチを取り出して、柔らかい少年の手を包んだ。


「痛くありませんか?」

 若く美しいメイドは心配そうに声をかけた。金髪の少年は、端正な顔を歪めて泣いていたからだ。

 だが、少年は首を横に振った。痛みはさほど感じていなかった。


「ごめん」

 彼から漏れる言葉は謝罪だった。古いガラス人形は、ずいぶん手入れがされていなかったが、誰かが大切にしていたからここに残っていた。彼はそう感じたからだ。


 メイドはそんな優しい少年の心を察して、そっと抱きしめた。

「モノはいずれ壊れます。形あるものはそう言う運命を持って生まれてくるのですから」

 柔らかい声で言う。彼女の言は正しい。幼いながらも少年はそれを理解した。理解して、これから生きて行くのにどれだけのものを破壊し、どれだけのものを奪うだろう。そう思うと彼は胸の奥が苦しくなった。


 少年ははっとして、メイドの顔を見た。

「カーサもいつか居なくなるの?」

 メイドのカーサは驚いて少年の顔を見た。少年は怯えたような顔で彼女を見つめていた。

 彼女は少し戸惑ったが、彼を安心させるために微笑んだ。


「私は、ずっとクリスと一緒に居たいと思っていますよ」

「本当?」

「ええ、もちろん」


 少年、クリスの顔が少し明るくなったことに、メイドは胸をなでおろした。

「約束だよ」

 無邪気な、少年の約束。契約と呼ぶには幼く、願望と言うには容赦のない言葉。

 カーサは頷いた。

「約束です。だから、クリスも私を護ってくださいましね」

 クリスは眼を輝かせて、何度も頷いた。力強く。


 大切なものを護るためなら、いくらでも強くなれる。幼き少年の夢を、彼は一縷すら疑わなかった。




 黒いタクシーから一人の少女が降り立った。ブラックキャブと言う、ロンドンではその質と料金の高さで有名な高級タクシーである。センスの良い白いワンピースで身を包んだ彼女は、良家のお嬢様という雰囲気で、ブラックキャブを使う説得力を持っていた。


 遠くで建設現場の騒音が聞こえる。ここはドックランズの再開発地域で、新たな建設物も多かった。彼女は煩わしそうに長い黒髪を軽く払った。色は白く澄んだ肌をしていたが、東洋人の顔だった。端正な顔は美しさと同時に、冷たい雰囲気も漂っていた。旅行者のような雰囲気はない。落ち着いた様子で小ぶりなバッグからメモを取り出した。


 彼女は目の前のホテルを見上げた。小奇麗なホテルは彼女が手にするメモと同じ綴りを看板に掲げていた。

 彼女は颯爽とした足取りでホテルに入り、辺りを見渡す。他に客はなく、フロントに一人、そしてロビーを兼ねたカフェに数人の店員と客がいた。


 彼女は宿泊客ではなかった。このホテルで待ち合わせをしていたのである。彼女は腕時計で時間を確認すると、ずいぶん予定より早いことを知った。ロンドンは渋滞税を導入しているが、市内各所の渋滞は有名であり、それを見越したのが裏に出てしまったのだ。


 小さくため息を付くと、彼女はお茶でもして時間を潰すかと考えた。

 そのとき、ホールのドアが勢いよく開いて、彼女に小柄な少年が飛び込んできた。

 東洋人にしてはかなり高いヒップラインを押されて、彼女は小さく声を上げた。


 痴漢にしてはずいぶんと堂々とした行為だし、引ったくりにしては力が弱い。彼女が振り向くと、小柄な少年が足をもつれさせて転んでいた。年の頃は十二・十三と言ったところか。しっかりした身なりをしているから、スリなどではなさそうだった。


「いてて、ごめんよ。大丈夫だったかい?」

 少年は転んだときに打った腰を擦りながら言った。

 それはこっちの台詞だと少女は思ってため息を付いたが、素直な少年に悪い気はせず手を差し出した。


「平気よ。そっちこそ怪我はない?」

 流暢なイギリス英語で返す。少年は手を取って身を起こした。

「香港人? 綺麗な発音だね」

「ありがとう。でも、日本人よ」

 少女は微笑んで言った。香港は前世紀までイギリスの植民地であったところだ。イギリス人が多く住む地域では英語がよく使われる。


「日本人? それを聞いて安心した」

「どう言うこと? 香港人が嫌いなの?」

「ちょっと前まではどうでも良かったけど、最近になって嫌いになった」


 少年は少しすねたような仕草で言った。少女は小首を傾げた。香港人のクラスメートとケンカでもしたんだろうか、とぼんやりと思った。


「ところで、ずいぶん急いでたみたいだけど、どうしたの?」

「ああ、僕……」

 少年はそこまで言って、少し考えるような表情をした。だがすぐに、いたずらな笑顔を浮かべて続けた。


「今、殺し屋に追われていてさ」

 少女は呆れた顔で少年を見た。突拍子な理由にユーモアセンスを感じたが、少しユニークすぎたと言えた。彼女が笑わなかったのは、もう一つ理由があったのだが。


「とにかく僕の不注意でお姉ちゃんにぶつかったのは悪かったよ。時間ある? お詫びにそこでお茶でもおごるよ」

「呆れた子ね。笑えない冗談の次はナンパ? ここだとお茶でもそれなりの値段になるわよ? 子供が入るようなところでもないし。それにいいの? 殺し屋に狙われてるんでしょ?」

 少女は大げさに肩をすくめて言った。


「馬鹿にしないで欲しいな。僕だって十三になった。お金も持ってる。それに殺し屋だって、僕がこんなところで日本人の女の子とお茶してるなんて、夢にも思わないだろう?」

 少年は愉快そうに笑って、カフェの席へ向かった。少女は退屈な時間を過ごさずにすむかと思い、彼に続いた。


「そういえば僕の名前はクリスティアン。クリスって呼んでくれていいよ」

「私は、エリ・モリカワ。よろしく、クリス」

 二人は適当な紅茶のメニューを選んで注文した。少年はアールグレイのアイスを、少女はセイロンのミルクティを。


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