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地面を滑るような素早い動きでゴブリン達の先制攻撃を回避した犬耳娘、躊躇することなく棍棒をもったゴブリンの腹部に蹴りを入れ、体勢を崩した相手の頚椎の辺りをブスリ……右手に持った短剣で喉に貫通する程の強さで突く。
攻撃を受けたゴブリンは唸るような短い叫び声を上げ、口から吐瀉物っぽい液体と血を吐いて地面に崩れ落ちる。
うげぇ……まさに殺伐ファンタジー世界だぜ……
俺は漂ってくる嘔吐物と生臭い血の匂いで気分が悪くなり、軽い吐き気を催す。
速攻で倒された仲間の姿に動揺する、残った5匹の姿が可哀想に見えてくるな。
いや、ああやってこちらの命を狙ってきているのだから自業自得、か。
そんな隙だらけの動きを犬耳娘は逃さず、短剣を倒したゴブリンから引き抜きつつ地面から左手で土砂を抉り取って、振り向いたばかりのゴブリン達の顔面に降りかかるよう投げ付けていた。
おぉ目潰しか。実戦的だな。
色々と参考になるな、等と場違いな事を考える俺。
半分現実逃避だ……いや、判ってはいるんだ。
俺もこの世界で生きていくならば、モンスターを『殺す』という事に躊躇を持たず覚悟を持って実行しなければならないという事は。
友達の少ないネットゲーム少年には、ちょいと難易度が高すぎやしないか、まったく……
気分の悪さが酷くなってきたので、一応視線はゴブリン達に向けたままクッションの上へと腰を下ろす。
スッパイ物が喉に込み上げてきていたので、数回咳き込むように吐瀉物を地面に吐き捨てた。
既にゴブリン2匹目の心臓部分を一突きして絶命させ、流れるような動きで3匹目のゴブリンの喉元を切り裂いた犬耳娘が、目ざとく俺の体調変化に気がついた様で。
返り血を浴びながらコチラを振り返って……
ビックリ顔から心配顔へとなり……オロオロと動きを止めていた。
ああ……いいからいいから、戦闘に集中しろ。
これは……俺が軟弱だからであって、命に別状がある症状じゃないから。
吐いた物が口の中に残って気持ち悪いので、勿体無いが口をゆすぐ為に飲み物をストレージから出し、ガバっと口に含んで、軽く咳き込みつつ地面に吐き捨てる。
大丈夫だと声に出す代わりに左手でゴブリンを指差して戦闘継続を指示した。
心配そうな表情は変わらずだったが、俺が言わんとしている事をちゃんと理解してくれた犬耳娘。
足を止めた隙を突いて、前後から挟み込むようにその武器を叩きつけてきた2匹のゴブリン攻撃を、地面を転がるようにして回避した。
そして困った事に、俺が気分が悪そうに吐いたのを見て、残った1匹のゴブリンが大胆にも犬耳娘から完全に視線をはずして、コチラに突撃してきていた……あぁクッソ、やるしかないか。
2匹のゴブリンからの攻撃を素早い動きで回避していた犬耳娘が、非常に判りやすい『しまった!』と云う感じの表情で、俺の前に走りこんできているゴブリンに目を向けていた。
突進の勢いを殺さぬ速度で振り下ろされるゴブリンの棍棒を、クッションに腰を下ろした体勢のまま……身体の声に従い左脚で蹴り上げる。
バカンと響く何かがバラバラになった様な音。
……強い衝撃と共に武器を失い、痺れた右手を眺めて呆然とした表情で動きを止めたゴブリンのアゴを、今度は右足で蹴り抜く。すまんな、来て早々にやられる訳にはいかないんだ。
脳を揺さぶられて意識を刈り取られ、膝からその場に崩れ落ちるゴブリン。
……ああ、本当は『蹴撃』を使えば相手の命を奪う事も出来るはずだ。それは判ってる。
だがこんな状況でも俺は躊躇ってしまった。情けないことにな。
……ゲームではあんなに躊躇無く、楽しげに敵MOBをボコボコにブッコロしてやっていたんだが……現実はままならない。
戦闘の緊張で呼吸を止めていたことに気がつき、肺にたまっていた空気を全部吐き出す勢いで深呼吸をする。ああ、酷く生臭い香りが漂う空気だな……くそったれ。
再度催してきた吐き気で分泌された生唾を、競りあがってきた吐瀉物を押さえ込む勢いで飲み込み。
ぜぇぜぇと息を整える……苦しい、な。
こんな事でこの先俺はこの世界で生きていけるのか……?
「あの! あの! 大丈夫ですか!? 具合が悪いんですか!?」
聞き覚えのある声に遅々とした動きで顔を上げると、残っていた2匹を無事仕留め終わった犬耳娘がこちらに駆け寄ってきており、血まみれの手で俺の背中を擦ろうとしてそれに気がつき、手をズボンでゴシゴシしている。
はは……全然汚れが落ちてないぞ。
「ああ……命に別状は……ないから」
ズルリとクッションの上から腰が滑り落ちる……
ちょっとだけ……ちょっとだけ、休憩させてくれ。
初めての本格的な殺し合いに貧血を起こした俺は。
情けない事にそこでプッツリと意識を失ってしまった。
物音に反応して目を覚ますと、辺りを見回す……何故か先ほどの広場ではなく、森の中に座り込んでいた。
何処かの木にあるウロの中みたいだな。
穴から眺められる空には星が瞬いていて……未だ夜だった。
経過時間的には、それほど意識を失っていたわけじゃ無さそうだ……
それにしても、先ほどからガチャガチャと鳴っている物音はなんだろう?
傍らを見ると、俺の横で腰を下ろし何かを弄っている犬耳娘の背中が見える。
ああ、頼み事を聞いてやるとかえらそうな事を抜かしておいて、初めての戦闘で気を失うとか……自分が情けなくて涙が出そうだ。
布団代わりにと思ってくれたのか、全身を包むように被せられていた厚手のマントを掴んで、上半身を引き起こし、何かを弄るのに夢中になっている様子で、コチラの動きに気が付いていない犬耳娘の背中に声をかける。
「ここはどこだ? お前のご主人様の所か?」
「ひゃわ!? あっ! えっと! 目が覚めたんですね……よ、よかったです! えっと、ご主人様が隠れている所はココとは違う場所です!」
弄っていた物を背後に隠すように纏めた犬耳娘、何故か視線をあさっての方向へ向けつつ、こちらの顔を申し訳無さそうにチラチラ見ながら声をかけてきた。
うん? 何やら様子がおかしいな。
「えっと! あの広場は血の匂いが凄くて、他の獣を呼び寄せる可能性が高かったので、僭越ながら貴女様を背負って、ご主人様と一度夜営をする為に利用した事のある、ココまで移動してきた次第です!」
「なるほどな……ありがとう、手間をかけたみたいで……」
意識のない俺の身体を勝手に抱えて移動させた事に対して、悪い事をしたとでも思ってるのかな。
何かを誤魔化すような感じで、唐突に武器の手入れを始めた犬耳娘にしっかりと頭を下げる。
視線には入っていないが、俺がいきなり謝罪をした事に対して、犬耳娘がオロオロしている雰囲気がこちらに伝わってきた。
……もらい物の力でいい気になって、調子に乗って犬耳娘をあごで使って……俺はと云うとこのザマだ。
優勢だからと言って調子に乗るな。
装備が勝っているからと慢心するな。
相手をよく観察しろ。
相手が倒れるその時まで、決して気を抜くな。
ゲームを始めた当初、PKに不意打ちされて倒され、不貞腐れていた俺に対して知り合いの廃プレイヤーが言っていた言葉だ。はは……まさにその通りだよな。
「本当に悪かった。手助けするといっておいて、あっけなく気を失うなんて」
「そんな! 体調が悪いのは仕方がないことです! 貴女様が本当はお強い方だというのは私にだって判ります! それにご主人様は身動きが取れないだけで、命に別状はない状態、ですから……!」
不安げな表情で俺の顔を見詰めつつ声をかけてくる犬耳娘。
奴隷が命がけで助けを呼びにいくような気持ちを持てるご主人様だ。良い人なんだろう……無事か心配なんだろうな。
はぁ……ちゃんと、ご期待に添えると良いのだが。
ポーションなり回復魔法なりで助けてやる事は可能だと思う。
「あの……あの!! あ、謝らないといけない、のは……私の方なんですぅ! すみませぇーん!」
「……うん? 何かあったのか?」
俺が意識を切り替え、そんな風に今後の事を考えていたら……何故か唐突に懺悔を始める犬耳娘。
顔を向けると、今にも泣き出しそうな表情でコチラを見ている。
俺の視線を受け、何か決意したような表情を浮かべた後に、ぎゅっと両目を閉じて……先ほど何やら弄っていた物体を背中の後ろで掴んで、グイっと俺の眼前に差し出してきた。
バラバラになったそれは……非常に見覚えのある金属製品。
そう、俺の両足……義足だった。
「あの、あの、横になっている時に鎧を着けっぱなしだと苦しいかな、と思って、その、えと」
「いいから落ち着け、怒ってたりしないから」
俺に返答しながら、今にも零れ落ちそうな大粒の涙を両目に溜めている犬耳娘。
どうやら俺が義足着用、しかも両足とも欠損しているとは思っていなかったらしい。
あれだけ自由に動き回ったり蹴り技まで放っている光景を見せているんだ。
勘違いするのも当然といえば当然だな。
彼女としては、きっと気を利かせて鎧を脱がせてくれたのだろう。
意識を失っている状態で引っこ抜かれた義足は、俺の脚を離れた直後にパーツごとにバラバラに散らばってしまい、復帰不可能になってしまったのでは、と云うのが俺の予想だ。
「う゛ぇぇぇ……壊れぢゃっだんでず! え゛え゛え゛ぅ」
「あー泣くな、泣くなってば」
ついにボロボロと涙を床に落とし始めた犬耳娘。
あああ、これは元々組み上げ式の装備なんだから大丈夫だよ。
犬耳娘を慰めるべく、俺はマントを体から剥がして床を這いずり始める。