森デート①
イヴァン様との約束の日。待ち合わせした一本ブナの木の下で、私は昼食を入れたバスケットを一つ、両手から下げて彼を待っていた。
「貴女がいらっしゃったのですね」
と、馬から降りて顔を合わせるなり彼は言う。思っていた通りの反応に、私は「嫌ですわ」と笑った。
「私達は初めましてですのよ、イヴァン様」
「エリザ殿……?」
「いいえ、違います。私は遠い国に住む、エリザの従姉のエリーです。エリザと見た目が似ているので、よく間違われるのですがエリザではございません。ほら、私の左目の下と口元には黒子がございますでしょう。これが私と彼女の違いですわ。人によっては『ビン底眼鏡姉妹みたいだ』なんて言われもしますわね」
「…………」
可哀想な子を見る眼でイヴァン様が私を眺めてくる。や、やっぱり、この設定は苦しかったかな。今日はエリーという女の子を演じる為に、落ちにくいアイラインで黒子を書いてきたんだけど。
ううう。イヴァン様の視線が痛い。しかし、ここまで来たら嘘を通さなければっ。
……エリザは架空の人物、エリーも実在しない娘。うふふ。一歩一歩、着実に嘘を嘘で塗り固めていってます。今の私は女優!
「今日はステラス森に連れて行っていただけるとのことでしたよね?」
「そうですが」
「私では貴方のお相手として力不足でしょうか。私は親衛隊の者ではないので大丈夫だと安心していたのですが」
私が聞くと、彼は真面目な表情になった。
「いや、力不足ということはありません。てっきり他のかたが来るだろうと思っていたから、予想外で驚いていただけです。失礼しました。
そう、相手が貴女であることは変わりないので構いませんよ。本当の貴女と出かける楽しみは後日にでも取っておきましょう」
誰が来ると思っていたのかなぁ? それにしても、後半のお言葉は含みのある言い方ですね。私はエリザじゃないって言っているのにぃ。こうなったら、今日はエリーをとことんアピールしなければ!
「もぉイヴァン様ったら。私はエリザではなく、エリーですから覚えて下さいね?」
「分かりました。エリザ殿」
「イヴァン様!」
からかわれて腹を立てる私を見て、快活に笑うイヴァン様。きゅぅぅぅぅぅん。素敵な笑顔ね……。こうやって遊ばれても許してしまいそうになるわ。
**
イヴァン様の愛馬に相乗りし、私達はステラス森に到着する。森を少し入ったところでイヴァン様は馬の手綱を樹に繋いで置いていった。その後、私達はお話をしながら徒歩で森奥へと進んでいる。バスケットはイヴァン様が持ってくれた。
森は穴場なのか、他に人がいない。むしろ、いないからイヴァン様はステラスを選んだのだろう。誰かに彼が女性とデートしているところを目撃されたら、町中の話題になってしまう。
しかし、滝かぁ……。ステラスに滝なんて、あったのね。滝って、あのザーザーと水が落ち続けているというアレだよね。私は本の挿絵でしか見たことないけど。この大陸の端にある大国にラガアイという大きな滝があるらしいけれど、それは規模が違うだろうなー。
「あ、リゾン!」
気付けば、足元にピンク色の小さな花がちらほらと咲き始めていた。
イヴァン様も足を止めてくれたので、私は花をよく見る為に、その場でしゃがむ。
リゾンは五枚の丸い花弁を持つ、コイン大の花だ。薔薇のような高級感はないけれど、可愛いので人気な春の花。開花期間が短いので、下手すると全く見ないままで一年が終わってしまう。
「可愛い。……この森にイヴァン様は、よくいらっしゃるのですか?」
イヴァン様を見上げて、私は質問した。
「はい。静かなので、ゆっくりしたい時に来ています。最近は忙しくなって、あまり足を運べなくなったのですが」
この森はお忍び場所だということですね。……ここにイヴァン様が出没すると広まったら、町の女性達で溢れ返って賑やかになってしまうだろうな。うん、今日のことは私の心に仕舞っておこう。