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伏して世界を見る兎

作者: おめかけ

 ある所に一人の少女がいた。彼女は妖怪だった。それは紛れも無い事実だ。

 寂しいと死んでしまうというその妖怪は、とんでもなくおぞましい姿をしていた。自らを省みて、自己嫌悪に陥り、こんなに醜くては誰も自分を好きになってなどくれないと悲観して寂しくて死んでいった。残った者は人間に化け、妖怪同士で集まり、擬似家族を形成して互いを慰めあいながら暮らしていた。

 “僕たちは、寂しくなんかないよね?”というそれは、或いはひどく愚かしいことだったかもしれない。それでも彼らは常に怯えていたし、それを咎める者はそこにはいなかった。

 物心ついた時、彼女は己の運命を悟った。そして、怖くなった。いざ改めて自分の性質─寂しいと死んでしまう─を知ると、どうしても考えずにはいられなかった。自分が寂しいのかどうかを。それからはもう、どうしようもなかった。

 自分は今、寂しくはないだろうか。そう考えながら生きなければいけなかった。今この瞬間にも、自分は死んでしまうかもしれない。・・・そして、その瞬間には自分は寂しくてたまらない筈なのだ。寂しく死んでいくしかないのだ。

 彼女はいつもびくびくしていた。寂しさを感じないように、いつも自分は寂しくなんかないのだと言い聞かせていた。

 彼女は15になった。まだ、生きていた。

 彼女は考えた。自分が死んでいないということは、自分はこれまで寂しいと一度も感じなかった、ということだ。そして思った。

 死に近しい自分の運命について考えるとき、自分が抱くこのやるせなさが寂しさで無いというのなら、寂しさとは一体何なのだろう。

 自分はこれまで一度も寂しいと感じなかった、というこの思いが寂しさでないとしたら、寂しさとは一体何なのだろうか。

 自分は本当は、もうとっくの昔に寂────

 そこで、母親が彼女を優しく抱きしめた。

「危なかったね」

 母は言った。考えちゃいけないよ。寂しくなんかないんだよ。それが嘘でもね。嘘だってわかっていれば、寂しいことなんて何にも無いのさ。

 彼女は頷いた。それはわかっていたことだった。彼女の肩が振るえ、やがて彼女は泣き出した。

 彼女の両親は、伏見兎というその妖怪の中でも年長者だった。母親と父親は愛し合い、寂しさとは縁の無い朗らかな妖怪だった。そんな両親であったから、次々と死んでいく同い年の妖怪の中、彼女はなんとか二人を見やることで寂しさを感じずに生きてこれた。

 彼女はその内に、知恵をつけようと考えた。寂しさを感じないようにする方法を身につけよう。そのために、長生きしている同族に話を聞いてまわった。

 君にはどうしようもない怒りがあるか、とある者は言った。暗闇の中いるかどうかもわからない相手に叫ぶような。深く鋭く、煮えたぎるような怒りが。僕らのこのどうしようもない定めを呪う怒りが。それがあれば生きていける。この世のどこかに悪者がいれば生きていける。この苦しみはそいつのせいで、何もかもそいつが悪いのだとすれば生きていける。寂しさを感じる暇もない、息もつかせぬ怒りを持つんだ。

 寂しくても、それで死んでも、結局どうにもなりゃしないのよとある者は言った。だったら何感じたって無駄なんだから。寂しいと思ったってどうにもならないんだから。それで死んだって別にどうでもいいわよ。だから、絶望を知りなさい。寂しさなんていうことが蟻の涙程にもちっぽけなもので、私たちはただどうしようもなく波濤の上を漂って干からびるしかないということを理解しなさい。

 それでもみんな死んでいく。寂しいと感じることを誰も止められない。

 彼女は段々とわかってきた。寂しさとは、言うなれば嵐の夜遠くで落ちる木の実の音のようなものなのだと。

 それは不意打ちで、確実に弱みを狙ってくる。色々と対策を立てても、その対策を立てること、立てなければいけないことが寂しいのでは仕方がない。

 どうしようもないのだ。

 そうしてある日彼女が眼を覚ますと、隣に居るはずの両親が消えていた。煙のようにその匂いだけを家に残して。

 やっぱり二人も寂しかったんだ、と彼女は思った。それから襲い掛かってきた嗚咽を必死になって飲み込んで、何も考えなくなった。

 彼女は何も考えなくなった。それだけが死を回避する精一杯のやり方だった。うろうろと彼女は山の中をあてもなくさまよった。

 一年が過ぎて、彼女はまだ生きていた。同族にも気狂いと蔑まれても、何も考えていないので寂しくはなかった。

 二年が過ぎて、彼女はまだ生きていた。一人だけ生き残る彼女は憎まれ、たった独りだったが寂しくはなかった。

 三年目のその日も、彼女はずっとあてどなくさ迷っていた。朝露に濡れたアザミの葉を何も考えずに眺めていた。その内に一粒の雫がしとん、と静かに落ちていき、彼女は、遂にふっと息を吸った。自分の中にその雫が落ちて、波紋が広がっていくのが解った。

 ゆっくりと時間をかけて歩き、すっかり暗くなってしまってから一人で布団に潜り込んだ。窓から夜を眺めた。

星がきらめく冷たい夜空をずっとずっと見つめて、しばらくしてから彼女はぽつりと呟いた。

「でもさ、あんなに幸せそうだったお父さんとお母さんは死んじゃったよ。娘の私がいたのに。お父さんにはお母さんがいたし、お母さんにはお父さんがいたのに。二人とも愛し合ってたみたいだったのにさ。それでもやっぱり、寂しかったみたいだよ。私がいても寂しかったんだよ」

 彼女は安らかに眠り、朝にはもう消えていた。


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