口裂け女の――
木目のきれいな舞台上に「サラリーマン」を体現したかのような、黒のスーツ、ネクタイをきっちりと着た男がライトアップされて立っていた。
「まず始めに皆様、今から皆様にお見せするのは「口裂け女の恐怖体験」です。「口裂け女」をご存知ですか?」
「――聞いたこともない人は少数だと思いますし、今初めて聞いた人でも「口裂け女」の名前を聞けば「口が裂けた女性」であることが分かると思います」
男の周囲は闇に染まり、男以外は真っ暗でほとんど何も見えなかったが、男の背後に茶色のカーテンがあるのだけは見えた。
「さて、「口裂け女」とは何かと簡単に言いますと、ある暗がりで1人レインコートに身を包み、口には白い大きなマスク。そこを歩きかかった1人の男性に「私、きれい?」とたずねます」
「男性がそれに「はい」といった意味の返事をしますと、口裂け女はおもむろにマスクをとり、それを見て驚いた男性の口を自分と同じようにするために「口を切り裂く」のです」
「怖い話ですよね。ただ命を取られないので、多くある怪談の中では優しい部類に入るのかも知れません。もちろん類似品は大量にあり、「口裂け女」だけでは個々のイメージが少々違うかもしれません」
「私が「口裂け女」について説明した理由は、今から見せます「口裂け女の恐怖体験」を楽しんでもらうためです」
男は一歩下がって頭を下げた。
「皆様に楽しんでもらうための基礎知識を語り終えたので、そろそろ始めたいと思います」
男が頭を上げると、それに合わせてライトアップの光が弱っていき、男の後ろにあったカーテンが左右にゆっくりと開きだした。
「それでは皆様、ごゆっくりお楽しみ下さい」
カーテンの裏から白いスクリーンが顔を見せ、最低限の灯りを残した壇上から男がゆっくりとした動きで舞台袖に消えていった。
1人の男が夜道、正確には夜の坂道を携帯電話をいじりながら登っていた。
男の右側は竹林になっており、暗い竹林はいくら奥を見ても竹林しか見えなかった。
左側にある手すりの向こう側は崖になっており、崖下には住宅街が広がっていた。
携帯電話をいじっていた男は、携帯電話のディスプレイに映る「送信しました」を確認したら携帯電話をズボンのポケットにしまい、ため息と共に一言つぶやいた。
「もう日付変わるじゃねえか」
暗い坂道の幅は大型トラックがギリギリ通れる幅になっており、車は一方通行になっているが通る事が出来るようになっていた。
しばらく無言。携帯をしまった男が疲れを見せずにゆるい坂道を登る。
『朝ですよー。朝ですよー。朝で――』
男の携帯から女性の高い声が響きだし、ズボンから素早く取り出したらメールを確認した。実はメール着信音が『朝ですよー』に設定されており、別に日付が変わった瞬間に鳴るようにタイマーがセットされていた訳ではない。
「場所、ねー……」
メールには「俺も諦めて帰るから車で送ってやるから現在地を教えろ」といった内容が長々と書かれており、男は「坂林を登っている所だ」と書いたら顔を上げて前を見た。
前方には坂道の休憩ポイントに出来る平らな十字路があり、右に上り階段、左に下り階段。正面には坂道の続きが存在した。
男の目的地は正面の坂道の先にあり、右の階段を登ると見晴らしが良いだけの何もない高台にたどり着き、左の階段を下ると住宅街に到着する。
男はメールの続きに「十字路に着いた」と書いたらメールを送信し、「メールを送信しました」を確認したら携帯をズボンのポケットにしまった。
「やっぱりこの時間だと誰も居ないな――おお? 誰か来たぞ」
左の階段から、雨が降っている訳でもないのに白いレインコートを上から下まできっちり着込み、口には白い大きなマスクを着けた女性が現れた。
「珍しい」
この時間に人が来るなんて珍しい、といった意味でつぶやいてから、自分もか、と思ったので苦笑した。
『朝ですよー。朝ですよー。朝――』
慣れた動作でメールを確認すると、「十字路で待っていてほしい」といった内容が、また長々無駄に装飾した文で書いてあった。
男は「了解」と打ち込んだら顔上げ、女性の顔をいちべつしてからメールの続きに「マスクの女性が現れた、美人だ」と書いてメールを送った。
男が「送信しました」を待っている時に、女性が声をかけてきた。
「ねぇ、私、きれい?」
「は?」
突然声をかけられた男はほうけた声を上げて女性を見た。
女性は白いレインコートをフードまでしっかりかぶっており、口にある白い大きなマスクのせいで顔が半分隠れていたが、男から見て確かにきれいだと思った。
「えっと……」
そこで男は少し前まで一緒にいた。今車までここに向かっている男性の無駄話を思い出した。
『口裂け女って知ってるか? 一人歩きの男性を夜な夜な狙う女性でな、顔は美人。格好は赤いレインコートに身を包み、口には大きな白いマスク。「私、きれい?」ときいてくる。その時違うと言ったら怒って懐から刃物を取り出し、顔をめちゃくちゃに切り裂いてくるんだ』
『へぇー。きれいって言ったら?』
『マスクを取ってな、耳まで裂けた醜い口を見せて来るんだ。そしてその口を見て驚いたら「嘘つき!」と言って懐から刃物を取り出して相手の口を切り裂くんだ』
『おい! どっちもアウトじゃねぇか!』
『まあ、待て。助かる方法もちゃんとある』
『それは?』
『それは――』
『テメェら! 口を動かすなとは言わんが手を動かせ!』
『『了解!』』
…………男の回想が終わった。そういえば真面目にきいていなかったので、その後には違う話で盛り上がった記憶がある。
「聞いてる? 私きれいかな?」
「あ……」
きれいかと聞かれればきれいだが、言って良いのか分からない男は止まる。
「やっぱり私なんてきれいじゃないよね?」
「き、きれいだよ」
男はきれいじゃないと言ったら怒るのを思いだし、次の反応にかける事にした。
物語では「裂けた口を見て驚いた男性を」といった感じだったので、男は何が出てきても驚かないように気合いを入れ、女性の反応を待った。
女性は男の予想を裏切らずにマスクを外しだし、首を振ってフードも一緒に外した。
女性の口は確かに左右に裂け広がっていたが、男が想像していたよりもはるかに軽傷ですんでおり、口の次に視線を向けた額にも昔大きなケガをしたのか、ケガの後がくっきりと残っていた。
「やっぱり――」
「きれいだよ。まるで「高倉産地※1」に出てくる「高倉愛理ちゃん※2」みたいに!」
男は女性のセリフをさえぎり、考えていたセリフを叫んだ。
男の考え方はこうだ「きれいだと言ったけど、醜い口を見て驚くのは口はアウトっといった意味に取られたのだと」つまり、醜い口を見てもきれいだとほめれば助かるのではないか、と。
「え? 高倉……?」
「そうそう! 高倉愛理ちゃん! キミより口が大きく裂けている子でね――」
男はひたすら口を開く。最初以外は即興の話しであり、止まった瞬間に刃物が出るきがしてきた男は自分でもやめどきが分からなくなっていた。
そこに車のエンジン音が聞こえてきた。
「あ!」
坂道を登って来たのは白いワゴン車で、運転席には男のメール相手が座っていた。
「おい。誰だその娘は? お前の女かー!? この裏切者! まさか俺に見せつける為に呼んだのか!? 殺すぞコラー!」
「え、違います違いますよ! 見てください。高倉愛理ちゃんみたいにきれいですよね!?」
男は即座に、車で現れた相手を巻き込むために話を振った。
「あー?」
だが、反応したのは車に乗っていた他の人で、ぞろぞろとワゴン車から降りて女性を囲った。
「あ、あのー……」
女性を囲った人達は酒を飲んでいたのか、皆赤ら顔になっていた。
「まさに「愛理ちゃん」だー!」
「「「おー!」」」
酔っぱらい達が叫ぶ。ひたすらテンションが上がっていた。
「よくやった」
男の肩を叩いて一言。
「は?」
肩を叩かれた男には意味が分からなかった。
「確保ー!」
「「「おおー!」」」
男の肩を叩いた男性の声に合わせた男達が、女性を捕らえてワゴン車に運び出した。
「え! やめて下さい! 離して!」
女性が暴れるが、慣れた手つきで女性を運ぶ男達。
「大丈夫、大丈夫だよ〜。最初は痛いかもしれないけどすぐに楽しくなるから〜」
「「愛理ちゃん」ゲットー!」
「やったー!」
「ヒャッハー」
「やめて! 助けて! 誰かー!」
男が突然目の前で起こった「口裂け女の誘拐事件」にあっけに取られていると、男以外を乗せたワゴン車は素早く走り出した。
「え? あれ? 俺を迎えに来たんじゃなかったっけ? おーい……あー、歩くか」
男は一人寂しく坂道を登り始めた。
会場の灯りが光量を上げて白いスクリーン上の映像が消えると、壇上中央にスーツの男が戻っていた。
「皆様、以上で今日の放映を終了したいと思います」
会場の人々は近くの人と話して騒がしくなり、ある人がスーツの男に「どこが恐怖体験なんだ?」と声をかけた。
「恐怖体験ですよ。最初にちゃんと言いました通りに「“口裂け女の”恐怖体験」です。怖いですよね。見ず知らずの男達に有無を言わさず拐われてしまいました」
会場の喧騒は鎮まるどころか更に増し、誰かが「続きは?」と言ったのをかわぎりに、あちこちから似た内容の声が上がりだした。
「皆様がそんなに続きを知りたいと思ってくれるのは大変素晴らしく、誇らしく思いますが、続きを語ってしまいますと「口裂け女の恐怖体験」ではなくなってしまいます」
皆が騒ぐ「それでも」と。
「分かりました。それでは皆様には特別に続きをご提供いたしましょう。ただし、今ここに居ない人にはナイショですよ?」
スーツの男が体を少し前に倒して片目を閉じ、人差し指を立てて口に当てる「ナイショ」のポーズをすると、ライトの明かりが落ち始めた。
明かりが消えていくのに合わせて人々の喧騒も収まっていき、完全に静かになった頃にはスーツの男は壇上から姿を消していた。
白い大きなマスクで口を隠す女性は今の自分の姿が恥ずかしくて、手で身体を隠すようにしながら体をクネクネ動かしていた。
人々からの視線に耐えられなかったがゆえの動きが、人々からの視線を集める結果に繋がっているのに気がつかない女性は動き続ける。
自分以外の女性が笑顔で客の相手をしているのが信じられず、今すぐこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、近くにいる黒服サングラスの男性達が怖くて実行に移せない。
「あのー。この子は?」
マスクの女性はいつの間にか近くいた客の声にビクリと肩を揺らし、黒服の男性がそれに返事をする。
「「愛理ちゃん」だよ」
もちろんマスクの女性の本名は「愛理」等ではないのだが、怖くて声に出して否定出来なかった。
「やっぱりそうですか」
それだけ呟いた客はチラチラとマスクの女性に視線を向け、マスクの女性が自分にたいして反応を示さないのに肩を落として離れて行った。
「っあ!」
マスクの寿命か、それとも自分の手が当たったのか不明だが、マスクが口から外れて飛んで行ってしまった。
マスクをつけていた女性は、裂けた口を多数の人に見られた恐怖で座り込んだ。
マスクをつけていた女性にとってマスクはもはや精神安定の効果を持っており、今まで裂けた口を見た人々はあわれみや恐怖等、けっして楽しい物ではない視線しか向ける事がなかった。
涙目になりながら口を両手で隠して座り込んだ女性が少し視線を上げると、予想外な光景が広がっていた。
「おおー! 本物だー! 本物だぞ!」
「マジか!?」
「マジだ!」
「「愛理ちゃん」大人バージョンだー! かわいい!」」
騒ぐ騒ぐ。ひたすら騒ぐ人々だが、その中には1人たりとも負の視線を感じさせる人は居なかった。
「え? 私の口、見たよね?」
「OK」
「YES」
「「YES,YES,YES!」」
女性にとってはなぜか英語で、群がる男達にとっては当たり前の英語返事。
「怖く、ないの?」
周りの男達が顔を見合せうなずき、同時に声を出す。
「「「怖いわけないよ。かわいい君のチャームポイントじゃないか」」」
男達はなぜかみんなでハイタッチ。テンションが無駄に高くなっているのが誰の目にもあきらかだ。
「私、私の顔、きれい?」
「「「「もちろん!」」」」
「う、うん。うん。あ、ありが、とう」
マスクをつけていた女性は口を隠さず泣き出したが、いつもの悲しみの涙ではなく、嬉しさの涙をいつまでも流し続けた。
明かりが抑えられたままの会場に、スーツの男の声が響く。
「以上が蛇足になりましたが、続きでございます。蛇足ついでに1つ、いえ2つ補足しておきますので、スクリーンをご覧ください」
嬉し涙を流す女性の映像はすでに消えており、変わりに次の文字列が映し出された。
※1、高倉産地
小説、ライトノベル
学生の高倉治が主人公でいつも他人の起こした騒動に巻き込まれ、頑張って解決する。
騒動の大元を調べるといつも現れる「高倉」の名。今日の騒動も「高倉」が原因。多分次の騒動も「高倉」さん家の騒動だろう。
きっと明日も「高倉産地」!
※2、高倉愛理
小説、「高倉産地」のヒロイン。高倉治の遠い親戚。
生まれつき裂けた口を持っていたが、両親や両親の友達には顔や身体に傷を持っている人が多く、それをみな自慢にしていたので自分の裂けた口もチャームポイントだと自慢し、幼少時は自分に自信を持っていたが、小学校に通い始めてからチャームポイントではなくウィークポイントに変わっていき、それが原因で両親との仲が悪くなる。
中学に上がって高倉治と出会い、色々あったが裂けた口がチャームポイントに戻る。
以下本文一部抜粋。
愛理「怖く、ないの?」
治「怖いわけないよ。かわいい君のチャームポイントじゃないか」
愛理「私、私の顔、きれいかな?」
治「もちろん!」