夜いちご
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
夜に○○はしないほうがいい……という内容のことわざ、言い伝えはしばしば見受けられると思わないかい?
爪を切らない方がいい、靴を下ろさない方がいい、などがメジャーどころじゃないかな? 爪を切るにせよ、外へ出るにせよ、夜の暗さの中じゃ手元や足元に不安をかかえる。無用なけがを招く恐れがあるから、控えるべきである、といったところかと思うな。
現在のように明かりが多くなった世の中だと、いまひとつ実感が湧きづらいかもしれない。時代の流れとともに、通じなかったり想像しづらかったりする言葉や、言い伝えが増えていく。
ちょっと残念な気もするけれど、いつそれらが牙をむくかは読めないもの。いかに馬鹿らしいと思っても、一度聞くことがあれば注意をしておいていいかもね。
僕の聞いた、夜のタブーの話をちょっと耳に入れてみないかい?
小さいころ、注意をうながされたもののひとつに「夜いちご」があった。
文字通り、夜に食べるいちごのことなのだけど、形のあるいちごを指すばかりじゃない。
味のみのいちごを味わうことがあれば、十分に注意しろ、といわれたねえ。こいつはよからぬことの兆候であると。
夜いちごは、味わってしまったならばすぐにわかる。いちごにしては異様にすっぱく、レモンなどの柑橘類に近いが、その後にすっと鼻に抜けるいちごの香りが通っていく。
食事中、食べているものの味がにわかにそれへ変わるかもしれない。何も口に入れていなくとも、口内の唾液がその味に変じるかもしれない。
夜は常に自分の味覚へ気を配っておけ。そう注意されて僕は育ってきた。
いちごそのものは、何度か食べたことがある。好きといえるほどではないが、まったくダメなわけでもない。少なくとも、自分からもりもりと食べる機会はなかった。
その日の夕飯のデザートもイチゴとリンゴが一緒に出されたとき、迷わず後者選んだよ。
でも、その最後の一口を食べ終えて、席を立ってすぐのこと。
ほんのり残っていた、リンゴの甘みが一気にすっぱさへ変わったんだ。口内がたちまち、痛みを感じるぴりつきに席巻される。
吐き出すより先に、勢いで反射的に飲み下してしまった。のど元過ぎればなんとやらで、ぴりつきは消え去ったものの、鼻腔の内側では先ほどの味とは不似合いなほどにイチゴの香りが満ちていたんだ。
――これが、夜いちごだろうか。
僕は時計を見る。
この日は週末を迎えようという金曜日。夜の遅い時間にテレビで映画をやる日でもあり、それを見るのが週末の楽しみでもあったのだけど。
『夜いちごを食べた夜は、早めに眠ったほうがいい。むやみに起きてうろつくことをすべきでない』
そう教えられたものだから、悶々としたよ。
結局、家族へ夜いちごのことを黙ったままで、居間で映画を見終わるところまではよかった。
でも、問題はそこから部屋へ戻るまでだったんだ。
居間のテレビを消して立ち上がったとき。
にゅるりと、粘体を踏みつけたような不安定な感触に、思わず腰を落としてしまった。転ぶ、と感じてとっさにしゃがんだんだ。
しかし、そこは普段からなじんだカーペットの姿があるのみ。ぬめりけなど、みじんもない安定した足ざわりだ。
けれども気のせいで済ませるには、回数が多い。幾度となく足を取られかけ、そのたびに止まり、転ばないように努めた僕。
どうにか布団へたどりつけたときには、ほっとしたね。もう後は横になって寝入るだけだ。
幸いにも布団まで、にゅるりとすべる感じはなく、安心して眠りについたんだが。
次の日の朝に、目覚めてきづいた。
僕は部屋の床に、半ばうずまっていたんだ。布団ごとね。
ただ沈みこんだだけじゃない。布団の端々が、沈んだ床の中へうずまってしまい、まともに動かせなくなっていたんだ。
めり込むような穴はない。あたかも最初からそこにあったかのようにぴっちりはまっていてさ。もしあれが自分の手足だったら、包んでいるまわりの部分を壊さない限り、動けずにいたかもしれない。
あの夜いちご、これに巻き込まれる警告だったんだろうか。




