↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

王太子との婚約を解消しましたので、王家の冬支度もお引き継ぎください

作者: 空席あり
掲載日:2026/09/24

婚約者として引き受けていた仕事は、婚約が終われば次の人へ返す。

ただ、それだけのはずでした。

 王家の冬支度は、夏に始まる。


 七月の終わりに北部の小麦収穫量を確認し、八月には薪炭の契約を結ぶ。

 九月に薬草と毛布の在庫を数え、十月には除雪人員と馬車の手配を終える。


 雪が降ってからでは遅い。


 「王家の冬支度」と呼ばれているけれど、実際には王宮予算で動く王都の冬季対策だ。

 備蓄、施療院への配給、主要街道の除雪まで、いくつもの部署をまたぐ。


 婚約が決まった六年前、最初の二年は各部署について回るだけだった。

 三年目から調整会議に座り、ここ二年は実務の取りまとめまで任されている。


「アメリア。話がある」


 王太子エドワード殿下にそう呼ばれたのは、八月十二日の午後だった。


 場所は王宮西棟の小応接室。


 机の上には、私が午前中に提出したばかりの薪炭契約書がまだ置かれている。


 殿下は立ったままだった。


「婚約を解消したい」


 驚かなかった、と言えば嘘になる。


 けれど、予感がまったくなかったわけでもない。


 この春から王家と南方諸侯の交渉が続いていた。

 国境地帯の港を安定させるには、南方最大の伯爵家との結びつきを強めた方がいい。


 私の父であるリンドール公爵も、その話を知っていた。


「理由を伺っても?」


「君に非はない」


「それは理由ではありません」


 殿下は困ったように息を吐いた。


「南方との同盟を婚姻で固める。王宮会議の結論だ。君の父上にも昨日、方針を伝えた」


「お父様は?」


「公爵家として異議はない、と。ただし、婚約解消は君と私が署名して成立する」


 そこまで聞けば、話は終わっている。


 私は背筋を伸ばした。


「承知いたしました」


「……それだけか」


「決定事項なのでしょう?」


「そうだが」


「でしたら、私から申し上げることはありません」


 言葉にすると、思ったより平らだった。


 六年間、未来の王太子妃として生きてきた。

 その未来が今、机の上から書類を一枚抜くように消えた。


 痛くないわけではない。


 でも、痛いからといって薪炭の契約期限が延びるわけでもない。


「それでは、冬季業務の引継ぎを始めます」


 殿下が瞬きをした。


「今?」


「今からでないと間に合いません」


     ◇


 正式な婚約解消は九月一日。


 それまでの三週間弱で、私は担当業務を洗い出した。


 穀物備蓄。

 王都北倉庫、東倉庫、西倉庫の在庫確認。


 薪炭。

 王宮、施療院、孤児院、兵舎向けの納入量調整。


 薬草。

 冬季に増える肺炎と凍傷用の乾燥薬草。


 除雪。

 北門から王宮までの主要道、施療院へ続く坂道、王都外縁の三本の街道。


 それだけなら、書類にできる。


 問題は、その下にあるものだった。


「北倉庫の小麦は数字どおり受け取らないでください」


 引継ぎ担当に決まった財務官補佐のローレンスが、眉を寄せた。


「どういう意味です?」


「去年から湿気が多いんです。在庫台帳は搬入した袋数なので千二百。けれど、冬前の検品で毎年一割ほど傷みが出ます」


「廃棄分は?」


「倉庫の検品簿には残っています。ただ、冬季計画へ上がってくる数字は在庫台帳の方です」


 ローレンスが眉間を押さえた。


「数字は間違っていないのに、使う側では間違う」


「はい」


「去年までは?」


「検品が終わった時点で、私が東倉庫から不足分を回していました」


 口にして、自分でも嫌なところに気づいた。


「つまり、その調整が手順になっていない」


「……そうです」


 ローレンスは何も言わなかった。


 その沈黙が、少し痛かった。


     ◇


 九月一日。


 婚約解消の文書に、私と殿下の署名が並んだ。


 私はその日の午後、王太子妃教育の部屋から私物を運び出した。


 六年分にしては少ない。


 本が十四冊。

 茶器が一組。

 冬季配給表の写しが束で三つ。


「最後のは私物ですか?」


 侍女のミーナに聞かれた。


「……違うわね」


 机へ戻した。


 癖になっている。


 何でも持ち帰って確認する癖が。


 帰る前、ローレンスへ引継書を渡した。


 三百頁を超えている。


「多いですね」


「減らした結果です」


「これ以上あったんですか」


「頭の中には」


 冗談のつもりだった。


 ローレンスは笑わなかった。


「それが一番困ります」


「ええ。私も今、そう思っています」


     ◇


 婚約解消後、私は王宮へ行かなくなった。


 最初の一週間は落ち着かなかった。


 朝になると、北部の気温を確認しそうになる。

 雨が続くと、小麦の乾燥具合が気になる。


 でも、もう私の仕事ではない。


 父は何も聞かなかった。


 母だけが、夕食の席で一度、


「暇そうね」


と言った。


「かなり」


「では、家の帳簿でも見る?」


「嫌です」


「元気そうで安心したわ」


 その程度だった。


 三週間ほどして、私は王都商業院の冬季物流相談室へ顔を出すようになった。


 もともと王宮との取引調整で何度も出入りしていたので、相談室の主任とは顔見知りだった。


 王宮のためではない。


 商人側が毎年どこで詰まるのか、前から気になっていたのだ。


 そこで、王宮の机から見ていた冬と、商人が相手にしている冬がずれていたことを知った。


「王宮は十月末納品って簡単に言うでしょう」


 薪炭商の女主人が言った。


「はい」


「北の山は、その頃もうぬかるむ年があるのよ。だから本当は九月に半分入れたい」


「なぜ言わないんです?」


「契約書が十月末だから」


 私は額を押さえた。


 六年やって、知らなかった。


 いや。


 聞こうとしなかったのだ。


     ◇


 最初の連絡が来たのは十月十八日だった。


 王宮からではない。


 施療院の院長からだった。


『今年の毛布がまだ届きません』


 私は手紙を読み、机に置いた。


 返事を書きかけて、やめた。


 もう担当ではない。


 代わりに、商業院の受付へ回した。


 二日後、ローレンス本人が商業院へ来た。


「ご相談があります」


「王宮の件ですか」


「はい」


「でしたら、相談料が発生します」


 彼は少し驚いてから、頷いた。


「もちろんです」


 そこは話が早かった。


「毛布の納入が半分、止まりました」


「契約先で何か?」


「九月末に織機小屋で火事があったそうです。人的被害はありません。ただ、今季分を全部は織れないと」


 それなら引継ぎ時点では誰にも分からなかった。


「代替調達は?」


「王宮管理局は契約変更が必要だと言い、医務局は必要枚数だけを出している。財務局は追加予算の根拠待ちです」


「誰も間違ってはいませんね」


「だから止まっています」


 以前の私なら、三部署を一日で回っただろう。


 私は机の上の相談票を引き寄せた。


「代替になりそうなところは二つ知っています。王都南部の織物組合と、東区の修道院工房です。ただ、今から一か所で全量は無理です」


「紹介していただけますか」


「紹介はできます。必要枚数の決定と契約は、そちらでお願いします」


「承知しました」


 私は紹介状を二通書いた。


 そこで終わるはずだった。


「もう一件あります」


 ローレンスが言った。


「薪ですか」


「なぜ分かったんです」


「この時期に来るなら、次は薪です」


     ◇


 問題は薪そのものではなかった。


 納入量は足りている。


 契約も成立している。


 ただし、王宮に届くはずの二百荷が、まだ北門の外に止まっていた。


「北門の通行税が変わった?」


「今月から大型荷車だけ追加徴収です」


「財務局の新制度ですね」


「ええ」


「薪炭商は旧契約だから、その分を負担したくない」


「その通りです」


 私は笑いそうになった。


「私、六年間ずっとこれをやっていたんですね」


「何をです?」


「部署と部署の間で、誰の仕事でもないものを拾うことです」


 財務局は通行税を決める。

 王宮管理局は薪を買う。

 門衛局は規則どおり税を取る。

 商人は契約どおり納品しようとする。


 誰も規則を破っていないのに、薪は門の外で止まっている。


「どうされていたんです?」


「去年なら、私が財務局へ行って特例証を取っていました」


「今年は?」


「取りません」


 ローレンスは頷いた。


「そう言うと思いました」


「代わりに、契約変更してください。追加税を王宮側が負担するか、納入価格へ上乗せするか。来年以降も続く制度なら、特例で逃げるべきではありません」


「時間がかかります」


「今年はかかります」


「寒くなる」


「だから、急いでください」


 少し前の私なら、自分で財務局まで行ったはずだ。


 今日は椅子から立たなかった。

 それでいいのか、まだ少し落ち着かない。


     ◇


 十一月二日。


 初雪が降った。


 例年より九日早い。


 王都の屋根が白くなった朝、私は商業院の窓から街を見ていた。


「北街道、閉じました」


 職員が報告に来る。


「どこで?」


「第三峠です。昨夜からの積雪で馬車が二台止まっています」


「除雪隊は?」


「王家契約の隊が向かっています」


 それなら大丈夫。


 そう思った。


 午後、ローレンスがまた来た。


 今回は顔色が悪い。


「第三峠の除雪隊が半分しか動けません」


「契約人数は?」


「揃っています。ただ、東街道の村から来る季節人夫の契約開始が十一月四日です」


 私は目を閉じた。


 そうだった。


 平年の初雪はもっと遅い。

 契約の日付そのものは間違っていない。


「去年も早く降りましたよね」


「はい。あの時は?」


「西区の建設組合から、三日だけ人を借りました。臨時費から出して」


「今年も頼めますか」


「頼めると思います。でも、私が毎年その場で電話……いえ、使いを走らせる仕組みでは駄目です」


 窓の外で雪が強くなった。


「では?」


「十一月一日から季節人夫の契約開始日まで、建設組合と待機契約を結んでください。雪が降らなければ待機料だけ。早く降った時だけ出てもらう」


 ローレンスはしばらく黙っていた。


「去年の臨時対応を、今年は契約にする」


「はい。去年の私は、冬を越すことしか考えていませんでした」


「それも引継ぎ事項だった?」


「本当は」


 自分で言うと、ひどい。


 有能だったつもりで、属人化させていた。


 冬を回すことだけ考えて、次の人が回せる形にしていなかった。


「すみません」


 ローレンスが顔を上げた。


「なぜあなたが謝るんです」


「引継ぎが不十分でした」


「三百頁以上ありましたけど」


「頁数の問題ではありません」


「それは同意します」


 少しだけ笑った。


     ◇


 第三峠は翌日の夕方に開通した。


 王家は西区の建設組合と、早雪に備える待機契約を結んだ。


 毛布も、二つの工房へ分散発注されて間に合った。


 薪炭の通行税は契約価格へ正式に上乗せされた。


 北倉庫では、初めて「帳簿上の在庫」と「実使用可能在庫」を分けて記録することになった。


 十一月が終わる頃には、毛布も薪も街道も、新しい手順で動いていた。


 私の名前が入っていない書類で回っているのを見て、意外なくらい肩の力が抜けた。


     ◇


 十二月の半ば。


 王太子エドワード殿下が商業院へ来た。


 供は一人だけだった。


「相談料は払う」


 開口一番そう言ったので、私は笑ってしまった。


「何のご相談でしょう」


「来年の冬季物流について」


「今年ではなく?」


「今年はもうローレンスが回している」


「そうですか」


「大変そうだが」


「でしょうね」


 殿下は苦笑した。


「君がやっていたことを、少し誤解していた」


「私もです」


「君も?」


「自分が有能だから回っていると思っていました」


 殿下が首を傾げる。


「違ったのか」


「有能だった部分もあると思います」


「そこは否定しないんだな」


「六年やりましたから」


 私も笑った。


「でも、一人で解決しすぎました。だから、私が抜けると困る仕事になったんです」


 殿下は窓の外を見た。


「王宮側も同じだ。君に頼めば済むと思っていた」


「では、お互い様ですね」


「そう簡単に言っていいのか」


「もう婚約者ではありませんので」


 一瞬だけ、空気が止まった。


 でも、それだけだった。


「南方との婚姻は春になる」


「伺っています」


「次の妃候補一人には、冬支度を背負わせない」


「賢明だと思います」


「代わりに、王宮内に冬季調整室を常設する」


 私は少し驚いた。


「専任で?」


「六人。財務、倉庫、街道、医療、商業、王宮管理から一人ずつ」


「それなら回ります」


「君に外部顧問を頼みたい」


 私はすぐには答えなかった。


 昔なら、頼まれた瞬間に引き受けていたと思う。


「契約条件を見てから決めます」


 殿下は笑った。


「それでいい」


     ◇


 その冬、王都で大規模な凍死被害は出なかった。


 雪は多かった。

 薪も一度足りなくなった。

 施療院では薬草の配送が二日遅れた。


 何も起きなかったわけではない。

 それでも、誰か一人が全部の穴を埋めなくても冬は越せた。


 三月。


 私は王都商業院の正式職員になった。


 肩書きは、冬季物流調整官。


 王家だけではなく、商人や施療院、地方領主からも相談を受ける。


 机の上には、来冬の資料が積まれている。


 北部の薪炭価格。

 南部の毛布生産量。

 今年新しくできた除雪協定。


 その一番上に、王宮から届いた契約書があった。


 外部顧問。

 期間一年。

 週二日まで。


 私は最後の頁を確認して、署名した。


 今度は、自分の仕事として。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回は、王宮の冬支度を一人で抱え込んでいた女性の話を書きました。


仕事を返すだけではなく、その仕事が次の人にも回せる形になっていたのか、という部分まで描いています。


楽しんでいただけましたら、評価やブックマークで反応をいただけると、今後の作品づくりの参考になります。


空席あり

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。