第4話 魔力酔いの森
王都の門を抜け、四人は近郊の森へと続く街道を歩いていた。チーム『アベレージ・ワン』の記念すべき初ギルド依頼である。
先頭を行くのはエルザ。背中の大剣を揺らしながらも、足取りはどこか重い。
「ちぇっ。薬草採取なんて、退屈で死にそうだぜ。もっとこう、ゴブリン退治とか、人狼の討伐とか、ねえのかよ」
「文句言わないの、エルザ。ギルドの依頼書にも書いてあったでしょう。私たちはまだ学生なの。地道な信頼稼ぎも授業のうちよ」
アリアナが、地図を広げながら冷静に窘める。その後ろを、リリィとシノンが並んで歩いていた。
「まぁまぁ。ギルドの報告書によれば、この依頼、最近の『魔力酔い』のせいで成功率が下がってるみたいですから。成功すれば、学生にしては結構なボーナスが期待できますよ?」
「へえ、そうなんだ!」
リリィが金勘定の算段を立てる横で、シノンは初めての仲間との仕事という響きに、内心ワクワクが止まらなかった。
▶(シノン)◇
(これが……チーム……!)
嬉しい。祖父との『基礎訓練』では、いつも一人だった。
森を歩く時も、獲物を狩る時も、崖の薬草を採る時も。でも、今は違う。隣にはリリィさんがいて、前にはアリアナさんとエルザさんがいる。他愛のない話をして、時には叱られて、一緒に目的地へ向かう。これこそが、私の求めていた日常そのものだ。
▶◇◇◇
「なぁ、シノン!」
不意に、エルザが振り返った。
「昨日のゴーレムパンチ! あれ、どうやったんだ? 魔力強化か? にしたって、あの威力はおかしいだろ!」
エルザは目を輝かせている。昨日あれだけ叫んでいた師匠という呼び方は、さすがにアリアナに「対等なチームメイトに失礼よ」と窘められたのか、今朝からは封印していた。
「え? あ、あれは……その、なんていうか……『基礎』?」
「『基礎』でゴーレムの腕が砕け散るか! この脳筋!」
「あ!? なんだとアリアナ!」
「ふふふ。相変わらず、皆さん元気ですねぇ」
リリィがくすくす笑う。シノンは(どう答えれば正解だったんだろう……)と悩みつつも、この賑やかさが心地よかった。
街道を外れ、森に入って数十分。エルザが、不意に鼻をひくつかせた。
「……ん? なんかこの森、変な《《におい》》がしねえか?」 「におい?」
アリアナが立ち止まり、懐から小さな魔力計を取り出した。針が、狂ったようにグルグルと回っている。
「……妙ね。ギルドの依頼通り、危険な魔物の気配はないわ。でも、空気が淀んでる。魔力が……乱れている」
アリアナの言う通りだった。森の奥に進むにつれ、空気がねっとりと肌にまとわりつくような、不快な圧力を感じる。これが、リリィの言っていた『魔力酔い』。魔王復活の影響が、こんな場所にも現れているのだ。
「あ、ありました! 依頼の薬草、『月影草』です!」
リリィが、開けた場所で群生地を指差した。
だが、四人はその光景に絶句する。本来、青白く清廉な光を放つはずの『月影草』が、すべて毒々しい紫と黒の斑模様に変色し、悪臭を放つトゲまで生やしていた。
「うわ……。こりゃひでえな」
「完全に変異してるわ……。これじゃ薬草どころか猛毒よ」
アリアナが、魔導書を片手に前に出る。
「教科書通りなら、軽度の『魔力酔い』は、対象に浄化の術式をかければ正常化できるはず……」
彼女は集中し、詠唱を開始する。
「清き流れよ、淀みを払い、その本来の姿を取り戻せ……! 『浄化』!」
アリアナの手から放たれた清浄な魔力の光が、薬草の一株に触れた。
だが。
バチッ! 光は、まるで硬い壁に阻まれたかのように弾かれ、霧散した。薬草は、変異したままだ。
「……え?」
アリアナが目を見開く。
「……おかしいわね。もう一度。『浄化』!」
今度は魔力を強め、再度放つ。しかし、結果は同じだった。
「……なぜ!? 術式は完璧なはず……! 二重詠唱……『浄化』!」
アリアナは焦っていた。名門エインズワース家の魔術師として、学園でもトップクラスの成績を収めてきたプライドがある。こんな『ひよっこ』レベルの任務で、教科書通りの魔術が通じないなど、ありえないはずだった。
「はぁ……はぁ……。なんで、弾かれるの……!」
「お、おいアリアナ。少し休めよ。顔色悪いぜ」
「うるさいわね! 私ならできる……! 魔力が足りないなら、もっと強く……!」
アリアナが、自分の許容量を超えた魔力を練り上げようとした、その時。
「あの、アリアナさん」
ずっと黙って様子を見ていたシノンが、おずおずと声をかけた。
「もしかして、魔力を《《力》》で押さえつけようとしてませんか?」
「……! 当たり前でしょう!」
アリアナは、苛立ちを隠さずに振り返った。
「乱れた魔力は、より強い清浄な魔力で制圧するのが、浄化魔術の基礎よ! あなた、昨日ゴーレムを殴り壊した脳筋と同じで、魔術の理論は分からないの!?」
「脳筋は余計だ!」
「う……。理論は、よく分からないんですけど……」
シノンは、目の前の変異した薬草をじっと見つめる。
▶(シノン)◇
(森が、すごく『嫌がって』るみたいだ)
私には分かる。森の奥で育ったから。じいちゃんとの『基礎訓練』でも、こういう日はよくあった。魔力の嵐が来た日の後は、森の機嫌が最悪になる。
そういう時、じいちゃんはいつも言ってた。 「シノンよ。魔力と喧嘩するな。流れを読め。こういう時は、力ずくで押さえつけようとするヤツが一番の素人じゃ。『撫でて』あげろ。そうすりゃ落ち着く」、と。
▶◇◇◇
「……あの、アリアナさん」
シノンは、アリアナのプライドを傷つけないよう、必死に言葉を選んだ。
「その、薬草も森も、アリアナさんの魔力を『敵だ』って勘違いして、怒ってるみたいに見えて……。だから、お友達になるみたいに……撫でてあげたら、どうでしょう?」
「……は?」
アリアナは、宇宙語でも聞かされたかのように固まった。
「……『撫でる』? 『お友達』? ……シノンさん、魔術は科学よ。理論なの。そんな非論理的で、オカルトみたいなこと……」
「まぁまぁ、アリアナさん。物は試しですよ」
リリィが、困り果てたアリアナの背中をポンと叩く。
「このままじゃ依頼失敗、報酬ゼロですよ? シノンさんのアドバイス、試してみる価値はあるんじゃないですか?」
「エルザもそう思うぜ! 『撫でる』で薬草が治るなら、儲けもんだ!」
「う……。あなたたちまで……!」
アリアナは、顔を真っ赤にして俯いた。プライドが、ズタズタだった。だが、このまま失敗して帰るわけにはいかない。彼女は、意を決したように顔を上げた。
「……分かったわよ! やればいいんでしょう、やれば! でも、どうやって『撫でる』のよ!」
シノンは、ほっとしたように笑顔になった。
「ええと……魔力を『ドン!』ってぶつけるんじゃなくて、『そー……っ』て……なんていうか、寄り添うみたいに……」
「『ドン!』とか『そーっ』とか! 全部、擬音じゃないの!」
「うう……」
しかし、アリアナは天才だった。シノンの滅茶苦茶なアドバイスから、何かを掴み取ろうと目を閉じる。
(『撫でる』……『寄り添う』……。力による制圧ではなく、『調和』……『誘導』……? そんな術式、教科書には載ってないわよ……!)
だが、他に手はない。アリアナは、今までの術式を捨て、シノンのアドバイスだけを頼りに、即興で魔力の流れを組み替えた。それは、彼女の知識体系にはない、まったく新しい感覚だった。
「清き流れよ、その声を聞き、淀みと共に、在るべき場所へ……!」
アリアナの手から放たれた光は、今までとは違った。強く鋭い光ではなく、柔らかく、温かい光だ。
光は、薬草に触れても弾かれない。まるで、疲れた子供をあやすかのように、ゆっくりと、変異した薬草を包み込んでいく。
時間はかかった。アリアナの額からは、玉のような汗が流れ落ちる。制圧よりも、調和の方が、遥かに高度な魔力制御を要求された。
そして。ふっ、と。薬草から、黒い霧のようなものが抜け、空気に溶けていった。毒々しい紫と黒の斑点が消え、トゲが萎み、本来の美しい青白い光が戻ってくる。
「……できた」
アリアナは、魔力が尽きかけ、その場にへたり込んだ。
「……本当に、『撫でる』で……治ったわ……」
「おおっ! すげえじゃんアリアナ!」
エルザが、自分のことのように喜んでアリアナの背中を叩く。
「やりましたね、アリアナさん! さすがです!」
リリィも笑顔で駆け寄る。
「……シノンさん」
アリアナが、呆然とした顔でシノンを見上げた。
「……あなた、一体何者なの……。今の、『調和魔術』よ。それも、古代魔法の領域……。どこの国の魔術体系を学べば、あれを『基礎』なんて呼ぶの……?」
「え? 『基礎』は『基礎』ですよ?」
シノンは、きょとんとした顔で、悪気なく、そう答えた。
「……はぁ」
アリアナは、もう何度目か分からない深いため息をついた。底が知れない。だが、今は素直に礼を言うしかなかった。
「……ありがとう、シノンさん。あなたのお陰よ。……助かったわ」
「いえ! アリアナさんが成功したんですよ! 私、あんな難しい魔術、使えませんから!」
シノンが、心からの尊敬の顔で言う。アリアナは、その笑顔を見て、毒気を抜かれたように、小さく笑った。
「……あなたって、本当に、訳が分からないわね」
チーム『アベレージ・ワン』の初任務は、こうして無事に成功を収めたのだった。




