第37話 最強の恋人
合同祝勝パーティーから数日後。シノンは、自室の窓辺で、外の景色をぼんやりと眺めていた。今日は休日だが、アリアナ、エルザ、リリィの三人は、それぞれの『師匠』との特訓に出かけており、部屋にはシノン一人だ。
机の上には、一枚の紙が置かれている。それは、シノンが昨日、意を決して書き上げた、ディアブロへの手紙だった。
『いつも、ありがとうございます。みんなのこと、助けてくれて。今日は、そのお礼がしたいです。 ……会えませんか?』
シノンは可愛く封緘した手紙を、魔力石に差し込んだ。
▶(シノン)◇
(……送っちゃった)
今まで、ディアブロさんからの呼び出しに応じたり、緊急時に助けを求めたりすることはあっても、私から「会いたい」なんて言ったこと、なかった。これじゃまるで、本当に……『恋人』みたいだ。
パーティーの時、彼はみんなの前で堂々と宣言してくれた。私も、それを受け入れた。だったら、私も変わらなきゃ。『守られる側』じゃなくて、対等な『パートナー』として。
(……返事、来るかな)
▶◇◇◇
ピンポーン―—シノンの思考を遮るように、玄関のベルが鳴った。魔力通信の返信ではない。直接の来訪だ。
「は、はい!」
シノンが慌ててドアを開けると、そこには、いつもの漆黒のローブではなく、清潔感のある白シャツにベストを纏った魔王ディアブロが立っていた。手には、小さな花束が握られている。
「よう。迎えに来たぞ」
「ディアブロさん! 早いです!」
「貴様からの誘いだ。待たせるわけにはいかん」
ディアブロは、少し照れくさそうに花束を差し出した。
「店員が、『デートの待ち合わせには花束が常識だ』とうるさくてな」
「ふふ。ありがとうございます」
シノンは花束を受け取り胸に抱いた。花の香りと共に、彼の不器用な誠実さが伝わってくる。
「では、行こうか。今日は、貴様の『お礼』とやらに付き合ってやる」
二人が向かったのは、王都から少し離れた、静かな湖畔の公園だった。休日の公園は、家族連れやカップルで賑わっているが、広大な敷地のおかげで、二人きりの空間を保つことができた。
今日のデートは、いつものような『魔界』への転移や、『チンピラ』との乱闘騒ぎはない。ただ並んで歩き、景色を眺め、他愛のない話をする。シノンがずっと夢見ていた、『普通のデート』だ。
「平和だな」湖の水面を眺めながら、ディアブロがぽつりと呟く。 「ああ。人間界は、騒がしいが……悪くない」
「魔界は、もっと静かでしたね」
「静寂は退屈だ。……だが、貴様が隣にいれば、騒がしさも心地よいと感じるから不思議だ」
ディアブロの言葉に、シノンの頬が熱くなる。彼は時々、こうしてサラリと、心臓に悪いことを言う。
「あ、あの! お弁当、作ってきたんです!」
シノンは照れ隠しに、バスケットを広げた。中身は、サンドイッチと、簡単なサラダ。『魔界の食材』は一切使っていない、正真正銘の『人間界の家庭料理』だ。
「ほう。貴様の手料理か」
ディアブロが、興味深そうにサンドイッチをつまむ。
「……頂こう」
パクり。魔王が、サンドイッチを口にする。シノンは、固唾を飲んで見守った。
(口に合うかな……。じいちゃんは「味が薄い! ドラゴンの肉はないのか!」って文句ばっかりだったけど……)
「…………」
ディアブロは、ゆっくりと咀嚼し飲み込んだ。そして、シノンを見て、穏やかに微笑んだ。
「……美味いな」
「本当ですか!?」
「ああ。魔界の料理のような強烈な魔力はないが……。優しい味がする」
ディアブロは、もう一つ、サンドイッチを手に取った。その仕草が、何よりも雄弁な感想だった。シノンは、嬉しさで胸がいっぱいになり、自分もサンドイッチを頬張った。
食事の後、二人は湖畔のベンチに座り、並んでボートを眺めていた。
「……ねえ、ディアブロさん」
シノンは、ずっと言いたかったことを切り出した。
「本当に、ありがとうございます」
「ん?」
「アリアナさんたちのこと。師匠を紹介してくれて、特訓に付き合ってくれて……。 みんな、すごく強くなりました。自分の足で立って、未来を切り開けるくらいに」
シノンは、自分の手を、ディアブロの手に重ねた。
「全部、ディアブロさんがいてくれたおかげです。……私、ディアブロさんと出会えて、本当によかった」
それは、シノンの偽らざる本心だった。最初は怖かった。逃げ出したかった。でも今は、この最強の魔王が、誰よりも頼もしく、愛おしい。
ディアブロは、重ねられたシノンの手を見つめ、そして、優しく握り返した。
「……礼を言うのは、私の方だ」
ディアブロの声は、いつになく真剣だった。
「私は、長い間『頂点』にいた。力ある者は私にひれ伏し、弱き者は私を恐れる。対等など、この世に存在しないと諦めていた」
彼は、シノンの方を向いた。その赤い瞳に、シノンの姿が映る。
「だが、貴様が現れた。私と互角に渡り合い、私の『孤独』を理解し、……そして、私を『一人の男』として見てくれる。貴様といると、私は『魔王』である必要がなくなるのだ」
「ディアブロさん……」
「シノン。貴様の『日常』を守るためなら、私は何度でも力を貸そう。貴様の友も、貴様の住むこの街も、すべて私が守ってみせる。……それが、私の『幸福』だからだ」
シノンは、涙が溢れるのを止められなかった。魔王の愛。それは、世界を滅ぼすほど強大で、そして、世界で一番、温かいものだった。
「……はい。私も……あなたの隣に、ずっといます。あなたが『孤独』を感じないように。ずっと、一緒にいます」
二人は、自然と引き寄せられるように、距離を縮めた。周囲の喧騒が遠のき、世界には二人しかいないような感覚。ディアブロの顔が近づく。シノンは、ゆっくりと目を閉じた。
――パシャッ! その時、湖から大きな水しぶきが上がった。子供が投げた石が、水切りをして跳ねたのだ。
「「……!」」
二人は、ハッとして飛び離れた。顔が、沸騰しそうなほど赤い。
「コ、コホン!」
ディアブロが、わざとらしく咳払いをする。
「……水切りか。懐かしいな。昔、マグナスと競ったものだ」
「そ、そうなんですか? じいちゃんと?」
「ああ。あいつは魔力で石を操作するインチキをしたから、私が拳で岩盤ごと叩き割って勝ったがな」
「(どっちもどっちです……!)」
気まずい雰囲気は、笑い声と共に消え去った。キスは、お預け。でも、二人の絆は、言葉や接触以上の『何か』で、確かに結ばれていた。
◇
夕暮れ時。シノンの部屋の前まで、ディアブロが送ってくれた。
「……今日は、ありがとうございました。すごく、楽しかったです」
「うむ。私もだ」
ディアブロは、満足げに頷く。
「では、またな。……『恋人』」
「はい。……また、『恋人』」
ディアブロは、シノンの額に、軽く口づけを落とすと、音もなく姿を消した。残された温もりを感じながら、シノンはドアを開けた。
「おかえりなさい、シノン」
「おかえりー! 遅かったな!」
「ふふふ。お楽しみでしたね?」
部屋には、特訓を終えたアリアナ、エルザ、リリィが、当たり前のようにくつろいでいた。テーブルには、お茶とお菓子が用意されている。
「みんな……なんでここにいるんですか……」
「さあ、座って! 今日の『デート』の報告会よ!」
「何食べたんだ? 美味かったか?」
「『進展』はありましたか? 資産価値の変動は?」
「そんなことより……みんな特訓の後でしょ。早く帰って休んでください!」
シノンの言葉は空しくも宙に霧散した。矢継ぎ早に飛んでくる質問に苦笑しながらも、席に着いた。
「うん。……聞いて。 すっごく、幸せな一日だったよ」
シノンの『日常』は、魔王という『非日常』を受け入れ、さらに賑やかで、温かいものになっていた。この幸せが、いつまでも続けばいい。シノンは、心からそう願った。
だが。 運命の歯車は、止まらない。 『特訓』の成果を出した彼女たちに、学園から新たな『通達』が届こうとしていた。 それは、単なる学生の活動を超えた、国家規模の『任務』への入り口だった。




