第33話 氷の令嬢
王立学園、第1闘技場。観客席は、貴族の生徒や教師たちで埋め尽くされていた。今日行われるのは、単なる模擬戦ではない。名門エインズワース家の令嬢アリアナと、その婚約者であるクリフォード公爵家の嫡男ロイドによる、進退を賭けた『魔術決闘』である。
「ふん。無駄なあがきを……」
対戦相手のロイドが、優雅に杖を構え、嘲笑う。金髪碧眼、容姿端麗。だが、その瞳には他人を見下す傲慢な色が浮かんでいる。
「君の魔力量が僕に及ばないことは、入学以来の成績が証明しているだろう? 大人しく僕の妻になり、家で刺繍でもしていればいいものを」
「……お断りします」
アリアナは、静かに杖を構えた。以前なら、彼の挑発に顔を赤くして反論していただろう。だが、今の彼女の心は、師匠の教えの通り、氷のように冷たく、澄み渡っていた。
(魔力量の差? ……ええ、そうね。でも、あの日見た『奈落』の怪物たちに比べれば、あなたは……『止まって』見えるわ)
観客席の最前列では、シノン、エルザ、リリィが固唾を飲んで見守っていた。そして、会場の隅の『影』には、認識阻害をかけた氷の魔将グレイが、腕を組んで立っている。
「始め!」
審判の合図と共に、戦端が開かれた。
「消し炭になれ! 『爆炎球』!」
ロイドが、初手から最大級の攻撃魔術を放つ。巨大な炎の塊が、轟音と共にアリアナに迫る。威力は十分。だが、予備動作が大きく、魔力のロスも激しい。
(……無駄が多い)
アリアナは、その場から一歩も動かなかった。杖先を、わずかに動かすだけ。
「『氷鏡』・展開」
パキンッ! アリアナの前に、薄い氷の膜が斜めに展開される。炎の塊は、その鏡に触れた瞬間、滑るように軌道を逸らされ、アリアナの横を通り過ぎて壁に激突した。
「なっ……!?」
ロイドが目を見開く。
「防いだだと!? 僕の最大魔術を、あんな薄い氷で!?」
「『角度』と『表面硬度』さえ計算すれば、受け止める必要はありません」
アリアナは、淡々と事実を述べた。それは、師匠の口調に、どこか似ていた。
「なめるな! 『炎弾』乱れ撃ち!」
ロイドが、感情に任せて杖を振り回す。無数の炎の弾丸が、嵐のようにアリアナを襲う。
▶(アリアナ)◇
見える。魔力の『流れ』が、手に取るように。
グレイ先生は言った。『魔術とは、感情ではなく、数式です。解けない式などありません』
右から来る弾道、左から回り込む弾道。すべてが、計算式のように頭の中で処理されていく。
(……ここ!)
▶◇◇◇
アリアナは、嵐の中を舞うようにステップを踏んだ。
最小限の動き。紙一重で炎をかわし、時には杖で弾き、着実にロイドへと距離を詰めていく。
「なぜだ……! なぜ当たらない!」
ロイドが焦り始める。魔力の残量が、目に見えて減っていく。
「終わりですか?」
気づけば、アリアナはロイドの目の前に立っていた。息一つ乱していない。
「く、くそぉぉぉ! これで終わりにしてやる!」
ロイドは、残った全魔力を込め、自身の周囲を焼き尽くす『炎熱地獄』を発動しようとした。自爆覚悟の広範囲攻撃。
「させません」
アリアナが、ロイドの足元に杖を突き立てた。
「『氷棺』」
カッ! ロイドが術を発動するよりも速く、アリアナの魔力が、ロイドの足元から一気に噴き上がった。絶対的な冷気が、ロイドの全身を包み込む。
「が……、あ……」
一瞬だった。ロイドは、驚愕の表情を浮かべたまま、分厚い氷の柱の中に閉じ込められていた。首から下だけを凍らせ、意識は残す。完璧な『制圧』。
静まり返る闘技場。誰もが、その圧倒的な技術差に言葉を失っていた。
「……勝者、アリアナ・フォン・エインズワース!」
審判の声が響いた瞬間、ワァァァァッ! と歓声が爆発した。
「やったあぁぁぁ!」
エルザが手すりを乗り越えて飛び込んでくる。
「アリアナさん、素敵です!」
リリィも駆け寄る。
「すごいです、アリアナさん! 完勝です!」
シノンも、自分のことのように目を潤ませていた。
アリアナは、氷の中で悔しそうにしているロイドを一瞥し、静かに告げた。「約束通り、婚約は白紙に戻させていただきます。今の私には、貴方と遊んでいる暇はありませんので」
アリアナは、仲間たちの方へ振り返り、最高の笑顔を見せた。その視線の先、会場の隅の『影』に、グレイの姿を見つける。
グレイは、誰にも気づかれないように、指で眼鏡をクイと押し上げ、小さく頷いた。『(合格です)』そう言っているのが、アリアナには聞こえた気がした。
◇
その日の夕方。アリアナは、グレイと二人きりで特訓場所にいた。
「……見事でした」グレイが、珍しく素直に称賛の言葉を口にした。「魔力の運用、状況判断、そして最後の一手。……私の『理論』を、ここまで体現するとは」
「……先生のおかげです」
アリアナは、もじもじと杖を弄る。昼間の凛とした姿とは打って変わって、頬を赤く染めた乙女の顔だ。
「私……先生に出会えて、本当に良かった。魔術だけじゃなく、自分の足で立つ勇気を、教えていただきました」
アリアナは、グレイを見上げる。冷徹で、厳しくて、でも誰よりも自分を認めてくれた人。
「あの、先生。……これからも、私のご指導を、お願いできますか?」
「当然です」グレイは、即答した。「貴女の才能は、こんなものではない。……私が、世界の頂点まで引き上げてみせましょう」
「はい!」
アリアナは、満面の笑みで頷いた。師弟の絆は、より深く、強固なものになった。……その感情が、『尊敬』から『恋慕』へと変わりつつあることに、アリアナ自身も、まだ完全には気づいていなかった。
一人の少女が、自分の課題を解決し、新たな一歩を踏み出した。




