第29話 令嬢の覚悟
シノンは、ディアブロからの魔力通信を受け、アリアナたちを連れて、王都の郊外にある人気のない『演習場跡地』へと来ていた。
「……シノンさん。本当に、来てくださるの?」
アリアナは、緊張した面持ちで、杖を握りしめていた。今日、彼女の運命を変えるかもしれない『師匠』が現れる。
「はい。ディアブロさんが、『最高の適任者を用意した』って」
シノンも、少し緊張していた。
(魔王軍の幹部が来るんだもんね……。大丈夫かな……)
「おおー! どんなヤツだ? 私より強いか?」
エルザは、相変わらずワクワクしながら大剣を素振りしている。
「ふふふ。ディアブロ様のご紹介なら、間違いなく『優良物件』でしょうね」
リリィは、手帳とペンを構えていた。その時。演習場の空気が、ふわりと冷たくなった。
「……来たか」
空間が凍りつくような感覚と共に、何もない空間から、一人の男が音もなく姿を現した。
白銀の長髪を、几帳面に後ろで束ねている。身に纏うのは、雪のように白い、儀礼用の軍服のようなローブ。その目元には、知性を感じさせる銀縁の眼鏡が光っていた。
総指揮・魔術統括、氷の魔術師『グレイ』。軍師ロンウェが、「人間との交流」のために選抜した、魔界きっての理論派幹部である。
「……お初にお目にかかる。ディアブロ様の命により、馳せ参じた」
グレイは、流麗な動作で一礼した。その所作は、王国の貴族以上に洗練されており、冷徹だが、品格を感じさせるものだった。
「「「…………」」」
三人は、息を飲んだ。
▶(アリアナ)◇
(……凄い)
一目で分かった。この人は、『本物』だ。纏っている魔力の質が、今まで会ったどの宮廷魔術師とも違う。静かで、冷たくて、でも、底が見えないほど深い。
(この人が……私の、先生……?)
▶◇◇◇
「シノン様ですね」
グレイは、シノンに向かって恭しく頭を下げた。
「我が主より、話は伺っております」
「あ、はい! よろしくお願いします!」
シノンは恐縮しながらも、アリアナを前に押し出した。
「こちらが、今回『特訓』をお願いしたい、アリアナさんです」
グレイの冷ややかな視線が、アリアナに向けられた。眼鏡の奥の瞳が、アリアナを値踏みするように細められる。
「君が。エインズワース家の令嬢か」
「! 私の家名を……」
「『教育対象』の素性を知るのは、教師として当然の務めです」
グレイは、アリアナの周りをゆっくりと歩きながら、観察を始めた。
「魔力量……中の上。魔力制御……未熟。身体能力……脆弱。……ふむ。これでは、今のままでは『天才』と呼ばれる婚約者には、万に一つも勝ち目はないでしょうな」
「なっ……!」
アリアナの顔が、カッと赤くなった。会っていきなりの酷評。プライドの高い彼女にとって、屈辱的だった。
「……失礼ね! 私だって、学園ではトップクラスの成績よ!」
「井の中の蛙、という言葉をご存じか?」
グレイは、表情一つ変えずに言った。
「では、試してみましょう。私に向かって、貴女の『最強』の魔術を放ちなさい。……一歩でも私を動かせたら、貴女の『才能』を認めてあげましょう」
「……いいわ。後悔しないで!」
アリアナは、杖を構えた。相手が格上なのは分かっている。だが、ここで引くわけにはいかない。
「『吹き荒れろ、氷雪の嵐! 氷結乱舞』!」
アリアナが得意とする、広範囲制圧用の氷魔術。無数の氷の礫が、暴風と共にグレイを襲う。
「おお! アリアナ、本気だ!」
エルザが歓声を上げる。
だが。グレイは、杖すら構えなかった。ただ、迫りくる嵐に向かって、静かに片手をかざしただけ。
「……『凍結』」
パキンッ。
乾いた音が響いた瞬間。アリアナが放った『氷結乱舞』は、その暴風ごと、空中で『凍りついた』。氷が、凍ったのだ。物理法則を無視した、概念的な『停止』。空中に、巨大な氷のオブジェが出来上がっていた。
「……え?」
アリアナは、自分の放った魔術が、空中で静止している光景を、呆然と見上げた。
「魔術構成が雑です」
グレイが、淡々と解説する。
「魔力のロスが多すぎる。感情に任せて放つ魔術など、ただの『八つ当たり』に過ぎない。……これでは、勝負にすらなりませんね」
グレイが指を鳴らすと、空中の氷塊は、サラサラと粉雪になって消滅した。
「…………」
アリアナは、膝から崩れ落ちそうになった。圧倒的な、絶望的なまでの、実力差。
(これが……世界の違い……)
「……帰りますか?」
グレイが、冷たく問いかける。
「お嬢様の『お遊戯』で満足なら、このままお帰りください。私は忙しいので」
グレイは、背を向けた。彼は、アリアナを試していた。ロンウェの計画である『親魔界派の育成』には、ただの貴族ではなく、困難に立ち向かう『芯の強さ』を持った人間が必要だからだ。
「……待って」
アリアナの声が、響いた。
「……待ってください!」
アリアナは、泥で汚れることも厭わず、その場に土下座した。貴族のプライドよりも、彼女は『未来』を選んだ。
「私が……未熟でした。お願いします……! 私に、ご指導を! どんな厳しい訓練にも耐えます! だから、私を……勝てるようにしてください!」
その目には、涙ではなく、強い『炎』が宿っていた。
「「アリアナ(さん)……」」
シノンとリリィが、息を飲む。エルザも、「アリアナ、かっけーぞ!」と拳を握る。
グレイは、振り返り、眼鏡の位置を直した。その口元に、わずかに笑みが浮かぶ。
「……悪くない目だ」
グレイは、アリアナの前に歩み寄り、手を差し出した。
「よろしい。私が、貴女を『最強』の魔術師に育て上げましょう。 ……ただし、私の指導は、私の流儀で行います。地獄を見ることになりますが、覚悟は?」
「望むところです!」
アリアナは、グレイの手を掴み、立ち上がった。
「契約成立ですね」
グレイは、満足げに頷いた。
(これで、王国貴族の娘一人、確保しました。……しっかりと魔界の『魔術』を叩き込み、将来の『友好大使』に仕立て上げましょう)
アリアナは、感動に打ち震えていた。
(なんて素晴らしい先生……! この人の指導を受ければ、私は変われる! ロイドを見返して、自由になれる!)
目的は決定的にズレていたが、二人の『師弟関係』は、ここに成立した。
「では、早速始めましょうか」
グレイは、懐から分厚い書物を取り出した。
「まずは、貴女の貧弱な魔力回路を、基礎から『改造』します」
「か、改造……?」
「ええ。効率的な魔術行使には、肉体の作り替えが必須です。……安心してください、死にはしません」
アリアナの顔が引きつったが、もう後戻りはできない。
「あ、あの……」
その様子を見ていたリリィが、遠慮がちに手を挙げた。
「つかぬことをお伺いしますが、そちらのグレイ様……。他にも、お知り合いに……例えば、『剣術』や『商売』に長けた方などは、いらっしゃいませんか?」
リリィの目は、すでに『次の商談』を見据えていた。エルザも、グレイの強さを見て、「私も師匠が欲しい!」と目を輝かせている。
グレイは、眼鏡をキラリと光らせた。
「……ふむ。我々には、他にも優秀な『人材』が揃っております。ご希望とあらば、ディアブロス様に話しを通しておきましょう」
(魔王様の計画通り……。武門の娘と、商会の娘も、『こちら側』に引き込む好機!)
こうして、アリアナに続き、エルザとリリィの『師匠探し』も、トントン拍子に進むこととなった。




