第26話 尾行
『月光の闇薔薇』の騒動から数日後。シノンの元に、ディアブロから一通の魔力通信が届いた。
『次の日曜。王都の中央広場で、デートというやつを行う』
相変わらずの上から目線だが、その文面からは、彼が例の本を読み込み、真面目に恋人としての手順を踏もうとしていることが伝わってくる。シノンは、呆れつつも、口元が緩むのを止められなかった。
◇
日曜日。作戦会議室は、早朝から戦場のような忙しさだった。
「シノンさん! 背筋を伸ばして!」
アリアナが、何着もの服を抱えて叫ぶ。
「初デートは第一印象が命よ! 相手があの男だろうと、エインズワース家の友人が、恥ずかしい格好で歩くなんて許しませんわ!」
彼女は、シノンの護衛からコーディネーターへと、華麗にジョブチェンジしていた。
「おおー! シノン、これなんか強そうだぞ!」
エルザが、動きやすそうな革鎧を持ってくる。
「エルザ、今日は戦闘じゃなくてデートなのよ。却下」
「むー! 残念だ!」
「ふふふ。デートコースの相場と予算は、こちらでリストアップしておきました」
リリィが、完璧なデートプランと予想出費表を手渡す。
「相手は世間知らずのようですから、シノンさんがしっかりと財布の紐を握ってくださいね」
「あ、ありがとうございます……」
仲間たちの全力のサポートを受け、シノンは、清楚な白のワンピースに、薄手のカーディガンを羽織った姿に仕上がった。
「……よし。完璧よ」
アリアナが、満足げに頷く。
「行ってらっしゃい、シノンさん。……あ、私たちは気にしないでね?」
「え?」
「今日は別行動ですから」
リリィが、意味深な笑みを浮かべる。
シノンは、一抹の不安を覚えつつも、待ち合わせ場所へと向かった。
◇
王都、中央広場。待ち合わせの噴水前に、ディアブロはすでに到着していた。いつもの漆黒のローブではない。黒のシャツに、スラックス。シンプルだが、仕立ての良さが一目で分かる、洗練された市井の服を纏っている。その圧倒的な美貌と相まって、周囲の女性たちが、頬を染めて遠巻きに彼を眺めていた。
「……来たか」
シノンが近づくと、ディアブロが顔を上げる。彼は、シノンの姿を頭からつま先までじっくりと見て、少しだけ目を見開いた。
「……悪くない」
短い言葉だったが、その声色は優しかった。
「い、急ぎましょう! 人が集まってきちゃいました!」
シノンは、周囲の視線に耐えきれず、ディアブロの袖を引いて歩き出した。
二人の初デートが始まった。ディアブロのデートは、驚くほど本に忠実だった。王都のメインストリートを並んで歩き、屋台を冷やかし、ウィンドウショッピングをする。だが、やはり魔王の感覚は、決定的にズレていた。
「……ほう。これが串焼きか」
香ばしい匂いを漂わせる屋台の前で、ディアブロが足を止める。
「店主。ここにあるもの、すべて貰おう」
「ええ!?」
店主が仰天する中、ディアブロは懐から金貨を取り出した。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
シノンが慌てて止める。
「全部なんて食べられません! それに、金貨なんて出したらお釣りがありませんよ!」
「む? 釣りはいらんが……」
「ダメです! 普通のデートは、こうするんです!」
シノンは、自分の財布から銅貨を数枚出し、二本分の串焼きを買った。
「はい。これを、二人で食べるんです」
「……なるほど。共有か。本にも書いてあったな」
ディアブロは、串焼きを一本受け取り、珍しそうに口に運ぶ。
「……悪くない味だ」
人混みが激しくなってきた時も、そうだった。
「……邪魔だな」
ディアブロが、眉をひそめ、無意識に威圧を放とうとする。
「ダメです!」
シノンが、慌てて彼の手を握った。
「人を払わないでください! 目立っちゃいます!」
「だが、これでは歩きにくいだろう」
「そういう時は……こうするんです!」
シノンは、握った手を、ぎゅっと強く握り返した。
「……はぐれないように、手を繋ぐんです」
顔が熱い。だが、ディアブロは、繋がれた手を見て、ふっ、と笑った。
「……よかろう。案内しろ、シノン」
二人は、手を繋ぎ、人混みの中を歩いていく。シノンは、彼が自分の歩幅に合わせて、ゆっくりと歩いてくれていることに気づき、胸が温かくなった。
▶(シノン)◇
(……普通だ)
魔王とか、勇者とか、規格外とか。そういうのを忘れて、ただの恋人同士みたいに、街を歩いている。彼が、私のために普通を学ぼうとしてくれているのが、伝わってくる。
(……嬉しいな)
▶◇◇◇
そんな二人の様子を、物陰から鋭い視線で見つめる三つの影があった。
「……な、なによあの男!」
伊達メガネで変装をしたアリアナが、ハンカチを噛んでいる。
「串焼きの食べ方も知らないなんて! でも……シノンさんを車道側から守る位置取りだけは、完璧ね……」
「おおー! 隙だらけだぞ!」
フードを被ったエルザが、身を乗り出す。
「今なら斬りかかれる! でも、シノンが楽しそうだから、我慢してやるか!」
「……ふふふ」
リリィが、手帳にメモを取る。
「あの服……一見するとただの黒いシャツですが、あれは国宝級の『竜の革』ですね。しかも、最高級の『黒竜』……。 推定価格、王都の屋敷三軒分……。 やはり、とんでもない優良物件です」
三人は、文句を言いながらも、シノンが心から笑っているのを見て、手出しはせずに見守っていた。 品定めの評価は、今のところ保留といったところだ。
デートも終盤。夕暮れ時の広場に差し掛かった時だった。
「おいおい、兄ちゃん。随分といい女を連れてるじゃねえか」
「俺たちとも遊ばないか?」
柄の悪い数人の男たちが、二人の行く手を塞いだ。チンピラだ。シノンが『基礎』を使えば一瞬で片付く相手だが、せっかくのデートの雰囲気が台無しになる。
「……」
シノンが、どうしようかと身構えた、その時。ディアブロが、無言でシノンの前に立った。
「あ? なんだテメェ。やる気か?」
男の一人が、ナイフを取り出す。ディアブロは、魔法を使うこともなく、威圧も放たず、ただ、一歩、前に踏み出し、男の腕を掴んだ。
「――失せろ」
それだけだった。だが、男は、掴まれた腕から伝わる、生物としての格の違いに、本能的な恐怖を感じ取った。蛇に睨まれた蛙のように、男たちはガタガタと震え出し、「ひ、ひぃっ! 悪かった!」と、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「……大丈夫か、シノン」
ディアブロが、振り返る。その手は、シノンを背に庇うように、優しく差し伸べられていた。
「……私の恋人に、傷一つ付けるわけにはいかんからな」
その姿を見て、物陰のアリアナたちが、顔を見合わせた。
「……冷静に追い払ったわね」
「おお! やるな! 今のは、ちょっとカッコよかったぞ!」
「……ふふふ。万が一の時は、身を挺してシノンさんを守る気概があるようです」
「……まぁ、及第点はあげていいかしら」
アリアナが、少しだけ悔しそうに、しかし安堵したように呟いた。
夕日が、二人を照らす。 シノンは、ディアブロの手を握り返した。
「……ありがとうございます、ディアブロさん」
「礼には及ばん。……さて、送ろう」
初めてのデートは、大きな事件もなく穏やかに幕を閉じた。シノンとディアブロの距離は、確実に縮まっていた。そして、それを影から見守る仲間たちの信頼も、ほんの少しだけ、勝ち取ることができたようだった。




