第24話 情熱的恋愛入門
『――シノン。会いに来たぞ』
教会の鐘楼から響く、シノンにしか聞こえない声。そして、村の反対側から感じる、あの魔人幹部の、禍々しい気配。
「(ひいいいいい!?)」
シノンの顔から、血の気が引いた。
(なんで!? 二人とも、こんな場所に!? ディアブロさんが、こっち見てる……! 幹部も、こっち見てる……!)
シノンの思考は、魔王と幹部の登場により、完全にフリーズしてしまった。その意識を逸らした一瞬。
「(……見つけたぞ、マグナスの子孫……!)」
村の反対側に潜んでいた魔人幹部は、鐘楼の上のディアブロには気づかないまま、絶好の好機と判断した。雑魚の群れと戦うアリアナたちを無視し、その影から、一直線に、シノンめがけて影の槍を放った。
「シノンさん!」
アリアナが、その第三者の気配に気づき、絶叫した。
「しまっ……!」
シノンも、我に返り、基礎の防御姿勢から流れるように、迎撃態勢へと移行した瞬間——
「――愚か者が」
鐘楼の上にいたはずのディアブロが、音もなく、シノンの前に転移していた。彼は、迫り来る影の槍を、まるで埃でも払うかのように、片手で掴み霧散させた。
「「「…………え!?」」」
アリアナ、エルザ、リリィの三人が、突如現れた、あの規格外男を見て、息を飲んだ。
「な……!?」
魔人幹部も、自分の必殺が、いとも簡単に防がれたことに驚愕する……そして、目の前に立つ男の背中を見て、全身が凍りついた。
「(……ま、まさか…………なぜ、ここに……!?)」
ディアブロは、ゆっくりと、魔人幹部の方を振り返った。その赤い目には、演技ではない、本気の殺意が宿っていた。
「誰の嫁に、手を上げようとしている?」
「ひ……っ!?」
幹部は、それが魔王ディアブロ本人であると確信し、声にならない悲鳴を上げた。
「下がれ。二度と、私の遊びを、邪魔するな」
「は、はい! も、申し訳……!」
幹部は、王の本気の圧に恐怖し、即座に影となって、その場から逃走していった。
◇
幹部が去り、戦場には、雑魚を掃討し終えたアリアナたちと、シノン、そして、シノンを庇うように立つ魔王ディアブロだけが残された。 一瞬の静寂。
「あ、あの……ありがとうございます……?」
シノンが、ディアブロのローブの裾を、おずおずと引いた。
「嫁の危機を助けるのは夫の役目だ。助けなんて必要はなかろうが、つい体が動いてしまってな」
魔王は、一瞬の、デレを見せた。
「むー! あいつ! また来たぞ!」
エルザが、ディアブロに向かって大剣を構え直す。
「シノン! あいつ、今、嫁って言ったぞ! やっぱり、お前をさらいに来たんだな!」
「そ、そうよ!」
アリアナも、我に返り、シノンを引き離そうと駆け寄る。
「シノンさんから離れなさい! あなたのような規格外に、シノンさんは渡しませんわ!」
「……ほう?」
ディアブロは、自分に敵意を向けるアリアナとエルザ、そして、冷静に素材を査定しているリリィを一瞥した。
「……騒がしい友達だな」
ディアブロは、仲間たちには一切答えず、シノンに向き直った。
「シノン。会いに来たぞ」
「へ?」
「先日、『魔力石』を渡したはずだ。 ……なぜ、私を、呼ばん? 私の方から逢引にきたぞ」
「あ、あ、あの……!」
シノンは、仲間たちの「逢引!?」)という言葉に対しての、突き刺さるような視線と、ディアブロからの圧力の、板挟みになった。
(どうしよう……!)
「……そうか」
ディアブロは、シノンが答えられないのを見て 「貴様らがいると、騒がしくて逢引もできん」と、アリアナたちが反応するより早く、シノンの腕を掴んだ。
「きゃっ!?」
「少し、場所を変えるぞ。嫁よ」
「ま、待って……!」
シノンの抵抗も虚しく、二人の姿が影に包まれ、その場から消え去った。
「「「…………あ!」」」
アリアナ、エルザ、リリィの三人が呆然と取り残された。
「あ! シノン(さん)が、また連れ去られたー!?」
「むー! あいつ、やっぱりシノンを嫁にする気だ! 追いかけるぞ!」
「どこへ!?……はぁ。これは、交渉のテーブルにすら、つけませんでしたね……」
三人の言葉が、空しく響き渡った。
◇
再び、あの闘技場の荒野。ディアブロは、シノンをそっと地面に降ろした。
「な、何するんですか! いきなり! みんな、まだ戦いの後で……!」
「騒がしい邪魔者がいたからな。……ここなら、誰にも邪魔されん」
ディアブロは、シノンの抗議を一蹴すると更に続けた。
「それに、結婚の返事を保留にしただろう」
「う……。は、はい。だから、まだ……」
「ああ、分かっている」
ディアブロは、意外にも素直に頷いた。 そして、懐から、一冊の情熱的恋愛入門を取り出した。
「……この数日、これを熟読してな。私の論理に、一部欠落があることに気づいた」
「え……?」
ディアブロは、本をパラパラとめくり、あるページを開いてシノンに見せた。
「ここだ。結婚とは、ゴールである。そこに至るまでには、友達、恋人といった、互いを知るための期間が必要不可欠である……とな」
「あ……」(この人、真面目に読んでたんだ……!)
シノンは、ポカンと口を開けた。
「貴様が先日、返事を保留にした理由も、これだろう? いきなり結婚と言われても、貴様は私のことを『魔王ディアブロ』としか知らん。 ……手順が、間違っていたのだ」
ディアブロは、本を閉じ、真剣な顔でシノンを見つめた。そして話しを続ける。
「そもそも、貴様は嫁や結婚の意味を、正しく理解しているのか?」
「う……。そ、それは……」
「『人生を共にする』……『生涯の相棒』のことだ」ディアブロが、はっきりと言った。 「ただ強いだけでなく、互いの孤独を埋め、背中を預けられる、唯一無二の存在。……それが、私の定義する嫁だ」
「(相棒……)」
シノンは、その言葉に、胸がドキリとした。戦いの中で感じた、あの全能感と安心感。彼になら、私の背中を預けられるかもしれない。そんな予感が、確かにあった。
「だが、貴様には、まだその覚悟がないのだろう。 ……ならば、シノン」
ディアブロは、シノンに手を差し伸べた。
「私と、恋人になれ」
シノンが、固まった。なんとか言葉を絞り出す。
「こ、恋人……?」
「そうだ。友達という段階も考えたが……」
ディアブロは、ふっ、と笑った。
「私と貴様は互角だ。すでに命のやり取りをした仲だ。友達などという生温い関係は、とうに越えているだろう?」
「(えええ!?)」
「だから、次は恋人だ。……手順通りだろう?」
ディアブロの論理は、相変わらずズレていたが、妙な説得力があった。友達を知らない彼にとって、戦友の次は、恋人しかないのだ。
「(ど、どうしよう……!)」
シノンは、混乱した。でも、嫌ではなかった。いきなり結婚と言われるより、ずっと、現実的で……そして、少しだけ嬉しいと思ってしまう自分がいた。
「……あの」
シノンは、おずおずと尋ねた。
「恋人って、何をするんですか……?」
「知らん」
ディアブロは、即答した。
「だから、それをこれから二人で知っていくのだろう? ……この本によれば、な」
ディアブロは、少しだけ悪戯っぽく、本を振ってみせた。その顔は、魔王ではなく、一人の青年の顔だった。
「……分かり、ました」
シノンは、真っ赤な顔で、頷いた。平凡な日常からは、かけ離れているけれど。この人と一緒にいると、退屈だけはしなさそうだと、そう思ったから。
「……じゃあ、恋人……からで、お願いします」
「おお、それでは、今からお前と私は恋人同士だな」
ディアブロは、満足そうに頷くと、シノンの肩に手を置いた。
「では、恋人として、送ってやろう。……友達が、心配しているだろうからな」
転移の光に包まれながら、シノンは思った。
(……アリアナさんたちに、なんて説明しよう……!)
胃痛の原因は、まだ去っていなかったが、その痛みの中には、ほんの少しの甘酸っぱさが混じっていた。
一人残されたディアブロは、「……恋人、か」と、数百年ぶりに、楽しそうに笑うのだった。




