第8話「決戦はディナーで。メニューは『逆転』です」
翌日の夜。宰相の屋敷に、梓は一人で乗り込んだ。もちろん、それは見せかけだ。ジークフリートは影のように気配を消し、屋敷の周囲に潜んでいた。
出迎えたヴァルター宰相に、梓は怯えるどころか、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「リリィちゃんを返す前に、お食事はいかがですか? あなた様のためだけに、最高のディナーを振る舞いましょう。私の力の、真髄をお見せします」
あまりに大胆な提案に、ヴァルターは一瞬呆気にとられたが、すぐに傲慢な笑みを浮かべた。どうせ何をしようと、この小娘は自分の手の中だ、と。
「よかろう。せいぜい我を楽しませてみろ」
彼の警戒心を解く作戦は、成功した。
梓は宰相の屋敷の厨房で、腕を振るい始める。
一皿目は、食欲を増進させるハーブを使ったオードブル。しかし、そのハーブには、ほんのわずかに集中力を散漫にさせる効果があった。
二皿目は、心を落ち着かせる香りのスープ。だが、これもまた、思考を少しだけ鈍らせる成分が含まれている。
ヴァルターは、出される料理のあまりの美味しさに夢中になり、自分の五感が少しずつ狂わされていることには気づかない。
***
その隙に、ジークフリートは動いていた。
屋敷の衛兵たちを音もなく無力化し、まるで闇に溶け込むように邸内を進む。騎士団長としての圧倒的な実力が、面白いように発揮されていく。リリィの匂いを頼りに、彼は地下牢へとたどり着いた。
「リリィ、迎えに来た」
「ジーク様!」
リリィを救出したジークが、ヴァルターのいるダイニングルームに突入したのは、梓が食後のデザートをサーブしたのと、ほぼ同時だった。
「宰相閣下。食後のデザート、『特製安眠クッキー』ですわ」
にっこりと微笑む梓。その背後に、リリィを抱えたジークフリートが音もなく現れる。
「なっ……ジークフリート! なぜここに!?」
驚愕するヴァルターだが、時すでに遅し。梓の料理によって判断力が鈍り、ジークの気配に全く気づけなかったのだ。食後の甘い香りに誘われてクッキーを口にしたヴァルターは、そこに練り込まれた、竜すら眠らせる強力な睡眠薬草の効果に抗えなかった。一口かじっただけで、彼の意識は急速に遠のいていく。
「チェックメイトだ、宰相」
ジークフリートの冷徹な声が響く。
眠りと混乱で抵抗すらできないヴァルターの悪事は、全て国王の密命を受け、ジークフリートと共に潜入していた騎士たちによって記録されていた。屋敷に隠されていた不正の証拠も、全て押さえられた。
「そんな……馬鹿な……」
それが、宰相が最後に発した言葉だった。彼は食べかけのクッキーを床に取り落とし、テーブルに突っ伏して深い眠りに落ちていった。
梓の料理とジークフリートの剣。二人の力が合わさって成し遂げた、鮮やかな逆転劇だった。




