第9話:反逆の翻訳家、追われる者の行進
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真実を曝露すれば、世界は救われる……そう信じていたレトを待っていたのは、残酷な現実でした。 民衆の混乱、そして聖女エレインによる狡猾な情報操作。
「翻訳家」から「大罪人」へ。 立場が逆転したレトと、彼を逃がそうとするアイリス。雨の降る街での、孤独な脱出劇が始まります。
空に走った銀色の亀裂が、人々の「視界」を塗り替えてから数時間が経過した。エリュシオンの街は、静まり返っていた。恐怖による沈黙ではない。自分たちが信じてきた歴史が、教会の教えが、すべて「偽り」であったという事実を突きつけられ、思考が停止しているのだ。
「……マスター。王宮守護騎士団、および教会直属の処刑部隊がこちらに向かっています。推測される罪状は『国家反逆』および『広域認識災害の誘発』です」
降りしきる雨の中、レトは路地裏の影でアイリスに支えられていた。石柱を強制的に再同期させた反動は凄まじく、レトの視界は今も細かなノイズでチカチカと点滅している。
「はは……認識災害か。真実を伝えることが、この国じゃ『災害』扱いなんだな」
「皮肉ですね。ですがマスター、先ほどの曝露には不可解な点があります」
アイリスが周囲を警戒しながら、冷静なトーンで告げた。
「マスターが開放したログの一部が、外部からの干渉を受けて『暗号化』されました。……あの場にいた聖女エレインです。彼女、あの一瞬で世界の管理権限の一部を、自身の宝珠に吸い上げました」
レトは目を見開いた。あの時、腰を抜かして震えているように見えたエレインは、その裏で着実に「次」の準備を進めていたというのか。
「……やっぱり、タダじゃ転ばない女だな。俺に扉を開けさせて、その隙に美味しいところを盗んでいったわけか」
レトの曝露によって教会の権威は失墜した。しかし、エレインは「真実の一部」を隠蔽し、自分に都合よく再翻訳する権利をまだ手放していない。彼女は今、混乱する民衆に対し、「レトが世界を狂わせ、偽りの記憶を植え付けた」というプロパガンダを仕掛ける準備をしているはずだ。
「おい! そこにいるのはレトだろう!」
怒声と共に、数人の冒険者たちが路地裏に現れた。かつてレトとギルドで顔を合わせていた者たちだ。だが、その瞳には信頼も感謝もなく、ただ困惑と敵意が混じり合っていた。
「お前、なんてことをしてくれたんだ! 教会の騎士様が言ってたぞ、お前が古代の呪いを解いたせいで、俺たちの記憶がめちゃくちゃにされたって!」
「違う、俺がやったのは……!」
言いかけて、レトは言葉を飲み込んだ。信じていた世界が壊れた時、人は真実を教えてくれた者に感謝するのではなく、平穏を壊した者を憎むことがある。エレインは、その大衆心理を完璧に理解しているのだ。
「……アイリス。ここは退くぞ」
「了解。物理障壁を展開。撤退ルートを固定します」
アイリスが指先から不可視の力場を放ち、詰め寄る冒険者たちを優しく、だが抗いがたい力で押し返した。レトは雨に打たれながら、街の門へと走り出した。
「レトォォォ! 逃がすかよ!」
背後から響くのは、聞き慣れた、そして今は憎悪に満ちた勇者シグルドの声だった。塔の攻略を中断し、転移門を使って急行してきたのだろう。彼の聖剣が、雨夜を切り裂くような金色の光を放っている。
「……シグルド。お前も、あの聖女の片棒を担ぐのか?」
「黙れ、裏切り者が! 聖女様を泣かせ、世界を汚した罪……その首で贖ってもらうぞ!」
対話の余地はない。レトは走る。自分を蔑んでいた者、自分を捨てた者、そして自分に縋りついた者。そのすべてを背に、真実を抱えたまま、彼は夜の荒野へと駆け出した。
この日から、レトの肩書きは「翻訳家」から「世界で最も危険な指名手配犯」へと書き換えられた。 だが、アイリスと交わした視線だけは、かつてないほど強く結ばれていた。
第9話を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
良かれと思ってやったことが裏目に出る。Web小説の醍醐味(?)でもある、もどかしい展開となりました。 エレインの恐ろしさは、力よりも「人心の掌握」にありますね。シグルドも完全に彼女の言葉を信じ込み、レトへの敵意を剥き出しにしています。
しかし、アイリスだけはレトの真意を理解し、エレインの「次なる一手」にも気づいています。 逃亡者となった二人は、これからどこへ向かうのか。
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