第3話:脱出と、世界のバグ
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ついに塔の外へと足を踏み出すレトとアイリス。 「翻訳」スキルの使い道が、戦闘から日常の概念破壊(?)まで広がり始めます。
アイリスの冷静なツッコミと、レトのちょっと独特な翻訳センスの掛け合いにもご注目ください!
さっきまで自分を食い殺そうとしていたはずの魔獣が、足元で「きゅ〜ん」と甘えた声を上げている。 漆黒の毛並みはそのままに、手のひらサイズに縮小されたシャドウウルフの子犬。レトはその光景を信じられない思いで見つめていた。
「……本当に、俺がやったのか?」
「はい。マスターが定義を書き換えた結果です。対象の存在強度は著しく低下し、現在は『無害な愛玩動物』として再定義されています」
アイリスは感情の起伏がない声で淡々と答えた。だが、その瞳だけはレトの挙動をじっと観察している。
「これなら……。アイリス、このまま塔を降りられるか?」
「可能です。ですが、マスター。一つ報告が。この『神の塔』は現在、深刻なシステムの不一致――いわゆる『バグ』に侵食されています」
アイリスが指を鳴らすと、レトの視界に再びあの半透明のプレートが表示された。そこには塔全体の構造図のようなものが映し出されていたが、そのあちこちがノイズのように激しく歪んでいる。
「バグ……? それが、魔物が急に強くなったり、天変地異が起きたりする原因なのか?」
「肯定します。管理者が不在のまま数千年が経過したことで、世界の理が自己崩壊を始めています。この塔を下りる際にも、それらの異常個体……バグモンスターに遭遇する確率は極めて高いでしょう」
「……上等だ。放っておいてもここで死ぬだけなら、書き換えてでも突き進むさ」
レトは強く拳を握りしめた。これまでは、勇者たちの背中を追いかけ、彼らの戦いをただ見ていることしかできなかった。だが、今は違う。隣にはアイリスがいる。そして手の中には、世界を書き換える「力」がある。
「案内を頼む、アイリス。俺たちはここを出る」
「了解いたしました、マスター。最短ルートを算出し、ナビゲートを開始します」
塔を下りる道中、彼らは何度も魔物に遭遇した。以前のレトなら、一目散に逃げ出すしかなかったランクCやBの魔物たちだ。
だが、今のレトには彼らの「正体」が見える。
【個体名:アイアンゴーレム】 【状態:動作不良(関節の摩擦係数が増大)】 【※修正案:装甲の硬度を『豆腐』に翻訳しますか?】
「……豆腐って。翻訳、実行!」
レトが意識を集中させると、巨大な鉄の塊だったゴーレムが、自身の重みに耐えきれず「ぐしゃり」と形を崩した。アイリスがその横を無表情で通り過ぎながら、スカートを汚さないように優雅に歩く。
「マスターの語彙力は、時として非常に独創的ですね」
「……褒めてないだろ、それ」
少しずつ、この異常な力に慣れていく感覚があった。翻訳、書き換え、再定義。頭を使うたびに激しい疲労が襲うが、それ以上に「自分にできることがある」という実感が、レトの心を満たしていく。
数時間の強行軍の末、二人の前に眩い光が見えてきた。塔の第一階層。外の世界へと繋がる、巨大な正門だ。
「ようやく着いた……」
門をくぐり、一歩外へ踏み出したレトを待っていたのは、懐かしい草原の匂いと、沈みかけの夕日だった。
「アイリス、見てくれ。あれが俺たちの住んでいる――」
言いかけて、レトは言葉を失った。
夕日に照らされた街の景色。そこには、かつて見たような平穏な日常はなかった。
街の外壁の向こう側、空の一部がまるで鏡が割れたようにひび割れ、不気味な紫色のノイズが漏れ出している。そこから、見たこともない異形の影が、地上へと滴り落ちていた。
「あれは……何だ?」
「あれこそが、世界に蓄積したバグの漏出です。マスター、世界はあなたの想像以上に、すでに壊れかけています」
アイリスの言葉が重く響く。勇者シグルドたちが「魔王を倒せば解決する」と信じているこの世界の問題は、もっと根深く、もっと致命的なものだったのだ。
「……直してやる」
レトは眼下に広がる、歪んだ世界を見つめて言った。
「勇者でも聖女でもない、ただの翻訳家の俺が……全部まともな世界に訳し直してやる」
レトとアイリス。二人の本当の戦いは、ここから始まった。
第3話を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
最強の魔物も、レトの手に掛かれば「子犬」や「豆腐」に……。 ですが、塔の外に待っていたのは、想像以上に壊れかけた世界の姿でした。
物語はいよいよ、拠点となる街での活動編へと移ります! もし「豆腐ゴーレム、シュールで好き」と思っていただけましたら、評価やブックマークをいただけると嬉しいです!




