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第25話:深層への鍵。ノアの夜明けと旅立ち

お読みいただきありがとうございます!


自由領ノアでの基盤構築、そしてアイリスとシルフィードの強化を終えたレト。 いよいよ物語は、世界の根源へと迫る新章へと突入します。


第2編の締めくくりとなる今回、レトが目にするのは、聖女の支配さえ届かない「世界の裏側」。 かつては無力だった少年が、自らの意志で世界の境界線を切り裂き、深淵へと足を踏み入れます。 「依存」から「自律」へ、そして「反撃」へ。 レトとアイリスの旅路が、新たな次元へと加速する瞬間をぜひ見届けてください。

 自由交易領ノアの地平が、汚濁した雲の隙間から差し込む、鈍色の朝焼けに照らされていた。かつて廃墟だった『デバッグ・ラボ』は今や、強固な防壁と自己修復コードに守られた、この街で最も安全な「聖域」へと作り変えられている。レトは工房のバルコニーに立ち、冷たい朝の空気を肺に吸い込んだ。


「……マスター。旅立ちの準備、すべて完了しました。ラボの自律防衛システムは『待機モード』へ移行。周辺に配置した労働ユニットたちには、我々の不在中も拠点の維持と隠蔽を継続するよう、論理階層の最深部に命令を刻み込んであります」


 背後から歩み寄るアイリスの声には、以前のような機械的な平坦さだけでなく、どこか凛とした響きが混じっていた。彼女の背中の光の翼は小さく折り畳まれ、その瞳にはノアの街を俯瞰する鋭い光が宿っている。


 レトは腰に帯びた『真説シルフィード』の柄に触れた。翠色の革が手に馴染む。この数日間、レトは自身の「翻訳」の力をこの剣とアイリス、そして自分自身の肉体に馴染ませることに費やしてきた。


「行こう、アイリス。……ここから先は、聖女が書き換えた『表層の歴史』を突き抜けて、この世界のソースコード……『神の遺言』に触れる戦いになる」


「肯定します。賢者ゼクスから提供された座標によれば、目指すべき『原初の遺跡』は、自由領のさらに西……かつて神々が言葉を紡いだとされる絶壁の深淵に存在します。そこには、現在の王国のシステムでは干渉不可能な、未定義の領域が広がっています」


 二人はラボを後にし、活気づき始めたノアの喧騒の中へと降りていった。昨夜の防衛戦で、レトの圧倒的な力を目の当たりにした住人たちは、彼らが通り過ぎるたびに畏怖の眼差しを向け、道を開ける。しかし、レトが求めているのは名声でも権力でもない。ただ、歪められた世界を正しい形に「翻訳」し直すことだけだった。


 街の出口へ向かう途中、ふと横道の影に、ボロ布を纏った一人の少女が座り込んでいるのが目に入った。その腕には、かつてレトが名もなき村で見たのと同じ、青紫色の斑点が微かに浮かんでいる。


(……聖女の『薬』の犠牲者が、ここにもいるのか)


 レトは立ち止まり、少女の前に跪いた。  アイリスが静かに制止しようとしたが、レトは首を振った。


「翻訳――因果の断絶クリーン・アップ


 レトが少女の額に指を触れると、黄金の文字が奔流となって少女の身体を駆け巡った。聖女エレインが仕掛けた「依存のバグ」が、レトの指先を通して虚空へと吸い出され、消滅していく。少女の頬に赤みが戻り、混濁していた瞳に生気が宿った。


「……あ、あれ? お兄ちゃん……、体が、あったかい……」


「……もう大丈夫だ。あんたの命は、あんただけのものだ」


 レトはそれだけ言うと、立ち上がって歩き出した。少女が呆然と見送る中、アイリスが歩調を合わせながら呟く。


「……マスター。今の行為により、我々の魔力反応が一時的に増大しました。王国の監視網に捕捉されるリスクが高まります。……合理的ではありません」


「分かっているよ、アイリス。でもな、こういう『小さなバグ』を見過ごしていたら、世界全体を直すなんて到底できないだろ。……それに、これが俺の『翻訳』の使い道だ」


 アイリスはしばし沈黙した後、小さく口角を上げた。


「……理解しました。その不合理こそが、マスターのコアを形作る独自の言語体系なのですね。……私も、その記述を尊重します」


 ノアの巨大な城門を抜け、二人は果てしなく広がる西の荒野へと足を踏み入れた。風が吹き荒れ、砂塵が舞う。その先には、空を突くような巨岩の列と、雲に隠れた未知の領域が待ち構えている。


 数時間の行軍の後、空の色が不自然な紫色へと変わり始めた。アイリスが警告音を鳴らし、レトの前に出る。


「マスター、空間密度に異常を検知。これより先、王国の物理定数が適用されない『未定義領域ワイルド・エリア』に突入します。……通常の魔法や理法は、ここから先では意味を成しません」


「……ああ。だからこそ、俺の出番だ」


 レトはシルフィードを引き抜き、前方の空間を一閃した。一見、何もない空間に刃が触れた瞬間、ガラスが割れるような音が響き、透明な「壁」が崩れ落ちた。それは、何百年もの間、人間を遠ざけてきた古代の「認知阻害」の結界だった。


 崩れ去った壁の向こう側。そこには、逆さまに浮かぶ巨大な神殿の残骸と、空中に浮かぶ輝く情報の糸――「世界の言語」が可視化された、幻想的かつおぞましい光景が広がっていた。


「……これが、世界の深層」


 レトの黄金の瞳が、その情報の奔流を激しく解析し始める。


 十年前、聖女エレインはここから何かを盗み出し、世界を塗り替えた。そして今、追放された荷物持ちだった少年は、失われた「原初の言葉」を取り戻すために、神話の深淵へと手を伸ばす。


 背後で、ノアの街が豆粒のように小さくなっていく。 二人の行く手に待ち受けるのは、王国の刺客よりも遥かに強大な、この世界そのものの「管理者」が残した試練。


 レトは一歩、踏み出した。その足跡が刻まれるたびに、周囲の空間が書き換えられ、新たな「道」が生まれていく。


 もう、振り返る必要はなかった。    


 暗い谷の底から、数千年の眠りを覚まされた古代のガーディアンが、重厚な音を立てて身を起こす。  それさえも、レトにとってはただの「修正すべきエラー」に過ぎない。


「……始めよう、アイリス。この世界の、本当のデバッグを」


 二人の姿が、輝く情報の霧の中へと消えていく。自由領での平穏な日々は終わり、物語はついに、世界の真実に肉薄する決戦の地へと移り変わっていった。


 西の空に、不気味なほど巨大な雷鳴が轟いた。それは、世界の終わりを告げる音か、あるいは、新しい夜明けへの産声か。答えを知るのは、ただ一人。運命という名の記述を、その手で書き換える「翻訳家」のみであった。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


第2編の延長戦もこれにて一段落。自由領ノアという拠点を手に入れたことで、レトの物語は「逃亡劇」から「世界への挑戦」へと明確にシフトしました。 今回、途中で少女を助けるシーンを入れましたが、これはレトがどれだけ強くなっても、その根底にある「弱き者を救いたい」という純粋な翻訳の意志を忘れていないことを描きたかったからです。


次回からは【第3編:深層へのアクセス編】。 空中に情報の糸が舞う、異質な古代遺跡を舞台に、レトの能力がさらに限界を超えて発揮されることになります。アイリスとの絆も、より深いレベルで試されることになるでしょう。

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