第18話:沈黙の追跡者、聖遺物の罠
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祝祭に沸く街の裏側で始まった、聖騎士カインによる冷徹な追跡。 カインが操る聖遺物『沈黙の天秤』は、レトの「翻訳」そのものを無効化し、思考すらも停止させる絶望の武具でした。
スキルが通じない、視界すら奪われる。 これまでにない最大の窮地において、レトは自身の能力の「真の深淵」へと手を伸ばします。 論理を超えた先にある、真実を暴く力――「逆翻訳」の真価が、今試される時です!
祝祭の篝火が遠ざかり、リ・デコードの裏路地は、建物の影が重なり合う不吉な迷宮と化していた。レトとアイリスは、街の喧騒を避けるように人気のない石畳を急いでいた。目指すは東の城門、そこから再び広大な荒野へと抜ける算段だ。
「……マスター。不自然な『静寂』を検知。路地裏にいたはずの野良猫や鼠の生体反応が、半径五十メートル以内から消失しました。これは――」
「ああ、分かっている。領域が書き換えられているんだな」
レトが足を止めると同時に、周囲の空間が微かに歪んだ。目の前の暗がりに、純白の外套を翻した男が音もなく降り立つ。聖騎士カイン。その手には、不気味に釣り合いを保つ黄金の天秤――聖遺物『沈黙の天秤』が握られていた。
「逃げ足だけは速いようだが、バグの反応は隠せんな。……翻訳家レト。聖女様の御名において、貴公の論理をここで凍結する」
カインが天秤を軽く揺らした。その瞬間、レトの視界がバグったテレビ画面のように激しく乱れた。
「……っ!? なんだ、これ。解析が……できない!?」
レトは驚愕した。これまでどんな強固な魔法であっても、その「理屈」さえ読み取れれば書き換えが可能だった。しかし、カインが発動した能力に対し、レトの網膜に表示されるのは、判読不能なノイズと「ERROR: ACCESS DENIED」という真っ赤な文字の羅列だけだった。
「無駄だ。この天秤が指し示すのは『絶対の均衡』。貴公がどれほど言葉を弄しようと、この天秤の領域内では、すべての理法が一時的に『未定義』へと固定される。……貴公のスキルは、定義されていなければ対象を認識すらできまい?」
「……マスター、警告! 視覚情報の同期に深刻なラグが発生。私の演算機能も、この天秤の影響で四十パーセントまで低下しています。……これは、世界の基底言語そのものに『沈黙』を強いる、上位権限の介入です!」
アイリスが守るようにレトの前に出るが、カインは冷笑を浮かべ、腰の細剣を引き抜いた。 「論理が通じない相手に、貴公は何ができる? さあ、バグらしく塵に帰るがいい」
カインが踏み込む。細剣が閃光となってレトの喉元に迫る。レトは咄嗟に地面を転がって回避したが、右腕を浅く裂かれた。傷口が焼けるように熱い。
「ぐっ……、あ、あああ!」
「マスター! 退避してください!」
アイリスが腕をキャノンに変形させようとするが、その動きも鈍い。カインの天秤が放つ「静寂」の波動が、彼女の機動プログラムをも蝕んでいるのだ。
「……待て。アイリス。……落ち着け」
レトは肩で息をしながら、激痛の中で必死に思考を回転させた。カインは言った。『沈黙の天秤』はすべてを「未定義」にすると。それはつまり、この空間にあるすべての「言葉」が消されている状態だ。
(……いや、違う。言葉が消されているなら、カインが喋ることも、アイリスが動くことも、俺が斬られて血を流すこともできないはずだ。……『沈黙』させられているのは、俺たちが読み取ろうとしている『表層』だけなんじゃないか?)
レトは目を閉じた。視覚に頼る「翻訳」を一度捨て、五感の奥底にある「事象の震え」に耳を澄ませる。 エルダから教わった「逆翻訳」の極意。相手が論理を隠すなら、その「隠そうとしている意志」そのものを翻訳すればいい。
「……カイン。あんたの天秤は、世界を『沈黙』させているんじゃない。……ただ、自分の都合の悪い真実に『耳を塞げ』と命じているだけだ」
「何だと……?」
「あんたの天秤の右側に乗っているのは、聖女が望む『正しい物語』。左側に乗っているのは、俺のような『不都合な事実』。……そのバランスが崩れるのが怖くて、あんたは両方を無理やり『ゼロ』として扱っているんだ!」
レトが黄金の瞳を再び開いた。ノイズだらけだった視界が、一瞬にして鮮明な「情報の糸」へと分解されていく。聖遺物による隠蔽を、レトの意志が無理やりこじ開けたのだ。
【再定義開始:聖遺物『沈黙の天秤』】 【隠蔽層を貫通……内部論理へのアクセス成功】 【真実:この空間の『意味』は消失していない。ただ、管理者によって『閲覧禁止』属性が付与されているだけである】
「……だったら、その権限を奪うまでだ! 逆翻訳――公開! 沈黙を破り、この空間の『真の文脈』を白日の下に晒せ!」
レトが叫び、天秤に手を向けた。カインの持つ天秤が激しく震え、黄金の輝きが鈍い黒色へと変色していく。空間を支配していた静寂が、ガラスが割れるような音と共に崩壊した。
「……私の、私の聖遺物が……上書きされた……!? 聖女様から賜った、絶対の定義が……!」
「カイン、あんたは『沈黙』を守るために、どれだけの人の声を無視してきたんだ? ……この天秤が指し示しているのは『均衡』じゃない。あんたの『臆病』だ!」
沈黙の呪縛が解けた瞬間、アイリスの機能がフル稼働した。
「全出力、解放。……ターゲットロック。マスター、トドメを」
「ああ! 翻訳――出力反転。天秤の重みを、すべて持ち主のカインへ転送しろ!」
レトの言葉と共に、カインの体がまるで見えない巨人に押し潰されるように、石畳へと叩きつけられた。彼が「沈黙」させてきた何千何万という情報の重みが、一気に彼自身の存在定義へと伸しかかったのだ。
「ぐ、ふ……っ、あ、あり……えない……。人間の分際で、世界の理を、変える……なんて……」
カインは吐血し、意識を失った。黄金の天秤は粉々に砕け散り、ただの鉄屑となって地面に転がった。
静寂の戻った路地裏。レトは膝をつき、激しい疲労感に襲われていた。上位権限である「聖遺物」を強引に上書きした反動は、想像以上に重い。
「……マスター。バイタルが危険域です。緊急の休息を推奨します」
「……分かってる。でも、これで……リ・デコードの街の人たちは、当分は安全だろうな」
レトは、碎けた天秤を見つめた。聖女の刺客を退けた。だが、それは同時に、王都が本腰を入れて「レトというバグ」を消去しに来ることを意味していた。
「行こう、アイリス。……俺たちの旅は、まだ始まったばかりだ」
夜明け前の冷たい風を浴びながら、二人は街を後にした。
その頃、王都。豪奢な大聖堂の奥深くで、聖女エレインは、自らの手元にある「世界地図」の一部が、黄金色から元の色へと「色褪せた」のを見て、細い眉を潜めた。
「……カインが、敗れた? ……ふふ、面白いわ。ただの『翻訳家』が、私の定義を書き換えるなんて」
彼女の瞳には、怒りよりも、狂気じみた愉悦が浮かんでいた。
「もっと抗いなさい、レト。あなたが世界を直そうとすればするほど、私の物語はより完璧な『悲劇』として完成するのだから」
第18話を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、聖女の支配を支える上位権限「聖遺物」との直接対決を描きました。 カインの「都合の悪いものを未定義にして隠蔽する」という戦法は、今の王国の縮図でもあります。それを真正面から「公開」して打ち破る展開は、レトが「隠された真実を暴く者」として完全に覚醒したことを象徴しています。
聖騎士を退けたカタルシスの一方で、聖女エレインの不気味な余裕も描きました。 彼女にとってレトの抵抗すらも「物語の一部」だという狂気。この二人の因縁が、今後どのように加速していくのか……。
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