第10話:辺境の隠れ里、もう一人の管理者
お読みいただきありがとうございます!
国を追われ、雪山へと逃げ延びたレトとアイリス。 絶望的な状況の中で二人が辿り着いたのは、地図に載っていない異様な村でした。
そこで待ち受けていたのは、この世界の「始まりの言語」を知る謎の老婆、エルダ。 彼女はなぜレトを知っているのか? そして、聖女エレインが手にした恐るべき「権限」の正体とは……。
物語の解像度が一段と上がる新章の開幕です。
エリュシオンの街を脱出してから三日が経過した。降り続いていた雨はいつの間にか雪へと変わり、レトとアイリスは王国の追手から逃れるように、北方の険しい山脈へと足を踏み入れていた。
吐き出す息は白く、足元の雪を噛む音だけが静寂に響く。レトはボロボロになったマントを強く握りしめた。かつて勇者パーティで荷物持ちをしていた頃も過酷な旅はあったが、今は背負っているものの重さが違う。世界を敵に回した「真実」という名の重荷だ。
「……マスター。体温の低下を検知。これ以上の行軍は生命維持リソースに悪影響を及ぼします。三〇〇メートル先に、隠蔽された居住区の反応を捉えました。休息を提案します」
アイリスの瞳が青く点滅し、猛吹雪の向こう側を透視する。彼女の指し示す先には、地図にも載っていない、切り立った崖の隙間にひっそりと佇む集落があった。
辿り着いたその村――『ログ・ハイド』は、異様な光景だった。家々の壁には、レトが王立研究所の石柱で見たものと同じ、幾何学的な紋様が刻まれている。しかも、それらはただの彫刻ではない。
「……これ、全部『定義のノイズ』を中和するためのコードなのか?」
レトが驚愕して呟くと、村の広場の中央、焚き火を囲んでいた老人たちがゆっくりと立ち上がった。 彼らの身なりは貧しいが、その瞳には街の住民たちが失ってしまった「知性」と、世界のバグを正視する「強さ」が宿っていた。
「……異端の翻訳家、か。それとも、世界を壊しに来た新たなバグか」
老人たちの中から一人の老婆が進み出た。彼女の視線がレトに注がれた瞬間、レトの視界に激しい警告が走る。
【対象:村長エルダ】 【種族:人間(?)】 【状態:管理者権限・下位レベル保有】 【※警告:解析不能な隠蔽言語が使用されています】
「解析不能……? アイリス、お前でも読めないのか?」
「肯定します。彼女の存在定義は、この世界の既存の文法ではなく、さらに古い……初期開発言語で記述されています」
驚くレトを他所に、老婆――エルダは、レトの傍らに立つアイリスをじっと見つめた。
「ほう。そこの娘は、随分と懐かしい匂いがするのう。……塔の深層から来た『掃除屋』か。それとも、あの歪んだ世界を正そうとする『楔』か」
「私はマスターの剣であり、盾です。それ以上の定義は不要です」
アイリスがわずかに警戒を強め、レトの前に出る。エルダは小さく笑い、焚き火のそばの席を指した。
「そう警戒するな。我らは一千年前、聖女と勇者が歴史を書き換えた時に、その『嘘』に染まることを拒んだ者たちの末裔じゃ。……お主がエリュシオンで何をしたか、風の便りに、いや、空の歪みから伝わっておるよ」
焚き火の温もりに触れ、レトはようやく一息ついた。エルダから手渡されたスープの熱さが、凍りついた思考を少しずつ溶かしていく。
「……教えてくれ。聖女エレインは、あの時何を奪ったんだ。俺が真実を曝露した瞬間、彼女は何かを自分の宝珠に取り込んだ」
レトの問いに、エルダの顔から笑みが消えた。
「彼女が奪ったのは『世界の編集権限』の欠片じゃ。お主が真実への扉をこじ開けた際、システムの防御が一瞬だけ外れた。彼女はその隙を突き、本来なら神のみが触れるべき『文脈の固定権』を盗み取ったのよ」
「文脈の固定権……?」
「そう。真実が曝露されたとしても、彼女が『それは嘘である』という定義を世界に上書き固定し続ければ、真実はいつしか妄想へと翻訳される。……お主は今、世界中の人間から『世界を壊そうとした狂人』として定義され続けておる。それは彼女が放った、最も卑劣な翻訳じゃ」
レトは拳を震わせた。自分が救おうとした人々が、エレインの「翻訳」によって、自分を憎むように仕向けられている。そのロジックは、かつて勇者パーティの中で「無能」というレッテルを貼られ、周囲から疎外された構造と全く同じだった。
「……書き換えてやる」
レトは立ち上がった。
「彼女が『嘘』を固定するなら、俺はその根源を断ち切る。……俺にはアイリスがいる。そして、この世界のデバッグ言語が読める。……これ以上、あんな女の独演会を続けさせはしない」
「威勢がいいのう。だが、今のままでは返り討ちじゃ。彼女は今、王国の全魔力を使って『聖女の結界』という名の特大のバグを街中に展開しようとしておる」
エルダは火箸で地面に複雑な図形を描いた。
「お主がすべきは、そのバグを解析し、逆翻訳すること。……ここで修行していくがよい。我ら『古き翻訳者』の知恵を、お主に叩き込んでやろう」
吹雪に閉ざされた辺境の里で、レトの真の「翻訳術」の修行が始まろうとしていた。王国と勇者、そして偽りの聖女への反撃の牙は、この極寒の地で静かに研ぎ澄まされていく。
第10話を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回から一話あたりの描写をより細かく、世界の空気感が伝わるようにボリュームアップしてお届けしております! 雪山の冷たさや、エルダが放つ独特の威圧感を感じていただければ幸いです。
聖女エレインの「嘘を真実に固定する」という卑劣な戦法に対し、レトが選んだのは「逆翻訳」という新たな道。 しかし、これほどまでに親切なエルダにも、何やら深い事情がありそうです……。
「修行編ワクワクする!」「アイリスの正体が気になる!」という方は、ぜひ【ブックマーク】や【評価★】で応援いただけると、執筆の大きな力になります!




