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千集院創作芸術学院  作者: 綾高 礼
第四章「名人戦」

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4-5「炎上」


 街の小さな本屋の一人娘は、物心がついた頃には既に本に囲まれていた。

 幼少期は母親に毎日絵本を読んでもらい、小学生になってからは、自分で小説を読むようになった。やがて本は彼女の中で溶けて肉体となっていった。


 友達と呼べる者はいなかったけど、彼女にとっては小説が友達だったので平気だった。

 そんな彼女を少し心配しつつも母親は、父親も亡くなった叔父も叔母も貴方に似ているとよく言っていた。


 母親は父親と結婚する際、両親と親戚に猛反対され駆け落ちるように縁を切って式も挙げずに籍を入れた。そう言った事情を、彼女はもっとずっと後に別の誰かから聞き知ることになる。


 今日は何を読もう。そうだ、あの小説を読もう。それを読み終わったらあれとこれも順番に読んでいこう。

 あ、でもあれは新品だから読んでは駄目と両親に言われていた、どうせ売れないのに、自分一人くらい読んでやっても良いではないか、そう思いランドセルを背負いながら家に帰ってきた。


 彼女はいつも店側から入って母屋に上がる。今日も古びた引き戸をがらがらと引いて「ただいま!」と元気な声で言った。


 いつも店は暇なのでたまにお客さんがいると驚いて彼女を見るのだが、実はそれが密かな楽しみだったりもする。


 今日は知らないスーツを着た男の人がいて両親と喋っていた。スーツの男は特に驚きもせず父親は難しい顔をしていた。母親が彼女に気づくと「二階に上がってなさい」と言った。


「はあい」と言って、均一棚から一冊の薄汚れた本をとって二階に上がる。父親はやはり難しい顔をしていて、母親は困った顔をしていた。


 翌日の昼休み。クラスで給食を食べていると知らない教師が慌てて担任の先生を呼び、それから彼女の名を読んだ。


 先生の車で家に行く途中、サイレンがよく聞こえた。

 近所の人たちが、いつもより多く外にいて、灰色の煙が青い空に流れていた。

 やがて彼女は家の近くに来たとき「え」と声を漏らした。なぜ「え」だったのかは今でも分からない。でも「え」しか出てこなかった。


 炎上。大炎上。


 火は赤々と本を燃やし、両親をも燃や尽くしていた。

 物心ついた時から、何度も見てきた書店であり家でもある肉体が、これでもかとばかりに盛んに燃えていた。


 そこからの記憶は曖昧で、気づけば彼女は豪華な屋敷の娘になっていた。

 屋敷ではとても小さな街の本屋では手に入らないような、珍しい蔵書で溢れていた。


 召使いのような人もいて、一つ年上の男の子もいた。年上の男の子は彼女を一瞥しただけで特に興味を示さない子だった。


 彼女は暫くして、創作塾に年上の男の子と通うようになった。通うと言っても広大な屋敷の庭の一部に建てられたものであり、そこには年の近い数人の生徒しかいなかった。誰も笑顔を見せる者はいなかった。


 そこでは今まで読んでいただけの小説を、自分で書くことを強要された。既に拒否権はなかった。

 どうやら数人の生徒たちも彼女と同じように違う場所から飼われた者達らしく、別館で暮らしているということを後に知った。


 創作塾に入って、小説の基礎から応用などのノウハウを徹底的に学び、講師には有名な小説家から出版社のお偉いさんなどその筋の人達がたくさんやって来た。


 小説を人よりたくさん読んできた彼女だったが、読むのと書くのは全然違った。


 そうして九歳の頃に、人生で初めて「炎上」という拙い小説を書きあげた。彼女は途中で何度も涙を流し、嗚咽を漏らしながら書いた。


「炎上」では、決して裕福ではなかったけれど、本と優しい両親に囲まれた日常をたくさん書いた。


 主人公の女の子には友達がたくさんいて、クラスの人気者で、書店は小さいけど色んな本が揃っていて、街でも大人気だと嘘もたくさん書いた。

 でも最後は、その時代に別れを告げるように何もかも全て焼き尽くした。


 隣近所のよく吠える犬も、家も、街も、学校も、そこで生きる人々も全て、地獄のように燃やし尽くした。皆が燃える途中に苦しみもがき、時には誰かを見捨てながら死んでいった。


 彼女は小説を書くことが、こんなにも悲しい気持ちになるとは知らなかった。

 人生がこんなにも辛いものだなんて思わなかった。


 この頃から何度も炎上する夢を見るようになった。眠るのが怖くて、ついに不眠症になり、頭痛が酷くなりだした。


 創作塾にいる間に、彼女が小説を書いて褒められたことは結局一度も無かった。全てが出来て当たり前だった。出来ない技術があるならば、出来るまで書かされた。


 だから一度だけ彼女は逃げ出した。炎上した日以来、彼女は創作塾に通うだけの日々で屋敷の外には出たことがなかった。

 お姫様みたいな服を着て、広大な庭を駆け抜けた。

 そこで子供たちの元気な声が聞こえてきて、慌てて木陰に身を隠した。

 子供たちは、片手に小説を持って楽しげに会話をしていた。


「今日の授業も楽しかったね」

「あの小説読んだ?」

「読んだ」

「え、私読んでない、今度貸して」

「いいよ、今度皆でその小説が原作になった映画見に行こうよ」

「いいね」

「賛成」


 彼女は、年上の男の子から一度だけ聞いたことを思い出した。

 自分たちが通う創作塾以外にも実は別の創作塾が存在し、どうやらそこには生徒も多く、さらに皆で楽しく小説を学んでいるとか。


 その時、召使いの一人が彼女を見つけ、鬼のような剣幕と大声で追いかけてきた。

 彼女はとっさに逃げた。走っても、走っても、出口が見えない庭の楽園は続く。


 澄んだ空は青く、雲が浮かび、地面には緑の芝生が生え、花壇には色鮮やかな花が咲き、蝶が蜜を吸っている。


 無限に続く楽園にもついに出口が見えた。何故か門が開いている。やった! と思った彼女は途端に足がもつれて倒れる。

 転んだ少女に気づく楽しげな子供たち。


「待ちなさいっ! 栞菜さん!」と金切り声で叫ぶ召使いに腕を抑え込まれ、彼女は額を強く地面に押し付けられた。


「誰だろ、塾の子かな」

「屋敷の子じゃないの」

「蓮さんって兄弟いないんじゃないの?」

「知ってるあーちゃん?」

「さあ。従兄弟とかじゃない?」

「それより早く帰って家でゲームしようよ」

「ぼくは帰るよ……」

「私行く」


 彼女を不思議そうに横目で見ながらも、出口へと歩いていく子供たち。

 彼女の瞳から大粒の涙が溢れ、頬を伝い、無様に鼻水が流れ、地面に溶けていく。

 奥歯を強く噛み締め、爪が皮膚にめり込むほど拳を強く握った。


 ――見るな、見るな、見るな、そんな目でアタシを見るな! まるで世界が平和みたいな面しやがって! 憐れむな、勝手に……憐れんでくれるな! 燃えろ、燃えろ、燃えろ! 全部燃えてよ! この楽園も、小説も、アタシも燃えて焼き尽くしてよ……どうして……どうしてこんな時だけ燃えてくれないの! クソ! クソ! クソッ! クソ……クソッ……どうして……どうしてよ……どうしてアタシを残して全部燃えたの? お父さん……お母さん……これからアタシはどうやって生きていけばいいの? 本なんて無かったら……小説なんて……嫌い嫌い嫌い! 大嫌いだ……こんなにも世界が残酷なら……生まれたくなかった……アタシ……アタシ、もう……死にたい……アタシに死ぬ勇気があれば……睡眠薬を大量に飲む勇気があれば……誰か……誰か、助けてよ……。


 家が炎上した理由は、先代から続く莫大な借金を両親が背負っていて最早破産するしかなく、だが愛する一人娘を巻き込むことに情けを覚えた母親が、ぎりぎりのところで父親を泣きながら説得しその後、二人は燃えた。


 後に代理人が全てを肩代わりしたことを彼女は、もっとずっと後になってから知ることになる。

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