松島の秘密
栗原と多賀城の2人に尾行されているとも知らない松島は、一緒に歩いていた女性とショッピングモール内を散策していた。
そして、2人はとあるコスメショップに入っていくと、そのまま女性のリップやアクセサリーなどのグッズを見て回っていく。その様子に、栗原は殺気が滲み出るほどの視線を向けていく。多賀城はいつ松島に見つかるか冷や冷やしながらも、好奇心に打ち勝つことは出来ず、結局栗原と行動を共にしていた。
「うーん……こっちとこっちならどっちが似合うかな?尚くんはどう思う?」
「どっちでも似合うと思うけどな。試しに着けてみるか?」
「うん、ありがとう尚くん」
「なっ、尚くんって……! あの女、副会長のこと尚くんって呼んでるわ!?」
「ありゃあ……あれは私たちが思ってる以上の関係かもよ? だってあの距離感、どう見たって普通の友達とかっていう関係じゃないもん。あっ、松島くんがネックレスを女の人に着けた! しかも、めちゃくちゃ笑顔だし!? あんな松島くんの笑顔、見たことないんだけど!? いっつも捻くれたような顔してるくせに!」
「まっ、間違いよ!? 何かの間違いだと言って!?何なのあの女!? さっきから副会長に身を委ねるような格好で……許さないわよ!?」
「美琴ちゃん……さすがにあれは諦めるしかないよ……あんな笑顔、大切な人にしか見せないと思うよ?」
「っ……」
松島に後ろからネックレスを着けてもらった女性は、満面の笑みを浮かべていく。そして、松島の顔も自然も綻んでいた。
女性が松島の腕に身を絡ませ、松島は女性の体を引き寄せる。そのままレジへと向かう2人を、栗原は追いかけることが出来ないでいた。あのような光景を見せられては、多賀城の言う通り疑いようのない関係であるということを突きつけられていた。
「美琴ちゃん……」
(私は……私は今まで副会長の何を見てきたんだろう。所詮私は、副会長のことを学校でしか見たことがない。きっとそれは副会長のほんの一部分だけに過ぎないし、私が知らない副会長があって当たり前だと思っていた。それでも私は……ある程度は貴方のことを知っていて、それなりに近くで見てきた筈なのに……どうしようもない差を見せ付けられてしまった。多賀城さんの言う通り、あの女性は私たちより年上だし、とても大人びてる。でも……それならそうと最初から言って欲しかった。貴方があの女性と逢瀬を重ねている間に、私がどれだけ貴方のことを想っていたか、知らないでしょう? それでも、私は貴方に自分の気持ちを伝えることが出来なかった。私に気があるという傲慢さから、貴方が告白するのをずっと待っていた。多賀城さんに何度も言われていたけれど、私は自分のプライドが邪魔をして行動に移すことが出来なかった)
その場で立ち尽くす栗原を、多賀城が心配そうな目で見ている。いつも自信満々に振る舞っていた栗原美琴が、まるで何かに打ちひしがれたように絶望感に包まれている。それは、中学からの付き合いである多賀城でも見たことのない表情であった。
レジに向かった2人を追わなかったため、次に多賀城が2人の背中を追ったときには、既に2人はレジの前から姿を消していた。そして、油断していた2人の背後から、聞き慣れた声が耳に入ってくる。
「2人とも、こんなとこで買い物か?」
『っ!?』
「あら、この人たちは尚くんのお友達?」
いきなり背後から声をかけられ、栗原と多賀城は驚いて振り返る。するとそこには、松島の腕に寄り添って歩く女性が立っていた。
尾行していたことはバレていないようであったが、正気が失われていた栗原を見て、松島は首を傾げる。このような栗原を見たのは、松島とて初めてのことであった。
「あっ、あの……はい、そうです。私は多賀城深雪で、こっちは栗原美琴さん。私たちは2人とも、松島くんの同級生です」
「あぁ、貴女が栗原さん!? いつも尚くんが話してる!」
「えっ、あっ……」
多賀城が自己紹介をすると、その女性は瞳を輝かせて栗原の手を取る。予想外のことに、俯いていた栗原はその視線を上げる。その女性の顔を正面から見た栗原は、その美しさに吸い込まれるような錯覚に陥っていく。
(綺麗な瞳……まるで誰かを疑うことを知らずに生きてきたような、生きる力に満ちた瞳だわ。とても綺麗で、汚れない輝きを放っている。汚れた道を歩んできた私とは、雲泥の差だわ。両親からの愛情を受けず、ただ孤独に生きてきた私と比べれば、この人の生きてきたであろう道は……あまりに眩しくて嫌になる)
自己嫌悪すら感じてしまうほどの感覚に包まれていく栗原。しかし、次の瞬間に栗原は耳を疑った。
「私は松島永遠。尚くんの姉です、よろしくね」
「えっ……?」
「ま、松島くんのお姉さん……?」
「おい、姉さん! 変なこと会長に言わなくて良いから!」
「姉さんって……この方は、副会長のお姉様なのですか?」
「うん? ああ、そうだ。正真正銘、オレの姉だ」
栗原と多賀城は、思わず瞳を丸くしてお互いに視線を交わす。多賀城が小さく頷いていた辺り、栗原は2人が言っていることが嘘ではないということを理解した。
しかし、それでも栗原の絶望感が完全に拭われたわけではない。そのあまりにも近い距離感に、栗原は勝手に完全敗北を感じてしまっていたからだ。
「そ、その割にはすごく仲良さそうな感じに見えましたけど……てっきり恋人同士なのかと思っちゃいました」
「私と尚くんが? ふふ、大丈夫よ。貴女たちが心配しているようなことは、何も無いから安心して。私の足が悪いから、こうして尚くんに買い物を付き合ってもらってたの」
「色々事情があってな。姉さんは1人だと長い距離を歩くことは難しいんだ。だからこうして、たまにオレが一緒に買い物に来てるんだ。じゃなければ、こんな人混みにわざわざ出向いたりしない」
「ほ、本当なのですか?」
「オレが今まで、会長に嘘をついたことがあったか?」
「そ、それはないですけど……」
「まさか会長、姉さんがオレの彼女だと思ってガッカリしてたか?」
「そ、そんなことありません! ただ貴方が見知らぬ女性と歩いていたから驚いただけです! このような清楚な女性が、副会長と釣り合うはずがないでしょう!?」
「なっ、なんだってぇ!?」
ようやく自分の早合点であることに納得がいったのか、栗原はほっとしたように胸を撫で下ろす。その隙を松島に突かれてしまった栗原は、ついいつものように憎まれ口を叩いてしまう。
そんな2人の様子を、松島の姉が微笑ましそうに見つめていた。
「ふふ、尚くんがこんなに楽しそうに話しているのを見るのは久しぶりだわ。いつも家では栗原さんに負けないように勉強していたから、一体どんな方なのかと思っていたの」
「えっ……副会長がですか?」
「おい、姉さん! あまり変なことは、もがっ……!?」
ありのままを話す姉を止めようとした松島だったが、その姉に手で口を塞がれてしまい、松島はモゴモゴと何かを言うのみであった。
松島の姉は、栗原に信頼の眼差しを向けている。それは、弟が今まで栗原とどのような関わりをしてきたのか、姉なりに理解していたつもりだったからである。
「この子、中学のときに色々あったせいか、高校では孤立しているんじゃないかって心配していたの。でも、家ではやたら栗原さんの名前を出すようになっていて、最初はどんな人なんだろうって思っていたの。そうしたら、栗原さんは自分にとっての目標で、絶対に越えなきゃならないライバルなんだって、そう言ってたわ。勉強でも部活でも負けたくなくて、尚くんは少しずつ変わっていった。私のためじゃなくて……自分のために頑張っている姿を見て、私はすごく嬉しかった。そして、尚くんを変えてくれた栗原さんに、もしも会えたらお礼を言いたいなと思っていたのよ」
「へぇ、松島くんが家ではそんなことを……」
「い、いえっ……私はそんな……」
ニヤニヤしていた多賀城が、肘で軽く松島の脇腹を小突く。暴れようとしていた松島を、多賀城が宥める構図になっていた。
まさかの姉からのカミングアウトに、栗原も面を食らったようになり、思うように言葉を返すことが出来ない。少し気になることを姉が言っていたような気がしたが、今の栗原にはそれを指摘する余裕はなかった。
「尚くんがこうして今の生活を送っているのは、貴女のおかげよ栗原さん。本当にありがとう。これからも尚くんのことをよろしくね」
「は、はい。お、お義理姉様」
「ふふん、美琴ちゃん? 今の言葉、何か漢字違うくない? お姉さまじゃなくて、お義理姉さまになってたよ?」
「ち、違うわよ! お姉様ってちゃんと言ったわよ!」
「イントネーションが違う気がしたなぁ……ねぇ、松島くん?」
「ね、姉さん! あまり変なこと言うなって! ああもう、早く帰るぞ!」
これ以上一緒にいると何を言い出すか分からない姉の手を取り、松島は足早に去っていく。どことなくというか、確実にその顔は紅潮してしまっていた。
残された2人は、その背中が見えなくなるまで見つめていた。不敵な笑みを浮かべる多賀城に対して、栗原はどこか浮かない表情をしていた。
「良かったね、美琴ちゃん。彼女疑惑が晴れてさ」
「……そうね」
「美琴ちゃん? あんまり嬉しそうじゃないね? なんか考え事?」
「ええ……少しだけ」
2人でショッピングに戻りながら、栗原は少しずつ冷静さを取り戻していた。そして、頭の片隅程にしかなかった疑問が、少しずつその中心へと移動する。
(お姉様の言い方だと、まるで副会長はお姉様のために勉強を頑張っていたという意味になる。もしかして、それは以前私が副会長に投げかけた疑問と何か関係が?)
疑念と不安が入り混じる中、栗原は松島と初めて出会った日のことを思い返していた。
定期考査の結果発表が張り出された紙の前で泣き崩れていた松島。そして、それを見た栗原が抱いていた疑念。それが果たして松島の姉と少なからず関係があるのではないかと、栗原はその感の鋭さから仮説を導き出していた。




