廃墟の死闘と、歪んだ光
続きでやんす
雨がケンのコートを叩き、廃墟のコンクリートから立ち上る冷たい湿気が肌にまとわりつく。
セキュリテックの警備員たちは訓練されている。
ケンが身を隠した柱への一斉射撃は威嚇であり、同時に彼の移動を封じるためのものだった。
ビームがコンクリートを削り取り、白い煙と焦げ臭さが雨の中に混じる。
「標的、一人。武装、旧式実弾火器と推定。排除許可、下りている!」
無線越しに聞こえる声は、人間の命をゴミ同然に扱う企業の論理そのものだった。
排除許可…? クソ、こいつら本気だ。
ケンのサイバネティック・アイが高速で周囲をスキャンする。
敵は四名。二名がトラックの陰から射線を張り、
残り二名が廃材の山を迂回して左右から包囲しようとしている。
プロの動きだ。そして何より厄介なのは、
彼らが恐らく最低限のサイバネティック強化を受けている可能性だ。
反応速度、射撃精度…全てがケンのそれを上回るかもしれない。
その時、ケンの視界の端に、さっきの少女の姿が映る。
警備員に無造作にコンテナの脇に放り出され、虚ろな目を空に向け、痙攣している。
彼女の口元から泡のようなよだれが垂れているのが見えた。
あの状態…まるで… エレナが遺体で見つかった時、
報告書に「神経系に未知の薬物反応の痕跡」とあったことを、ケンの脳裏がかすめる。
繋がっているのか? それとも…?
思考は一瞬で遮られた。
右側から廃材の陰を縫って迫る気配! ケンはほぼ反射的に身をひるがえし、旧式ハンドガンを構える。
バン!
実弾が炸裂する鈍い音。
廃材の隙間から現れた警備員の肩をかすめた。
男は苦悶の声を上げるが、動きは止まらない。強化服か、痛覚抑制が効いているのか。
男の企業制式ビームガンがケンの頭を狙う。
ズザッ!
灼熱のビームがケンのすぐ横のコンクリートを溶かす。
熱風が頬を焼く。
ケンは次の瞬間、低い姿勢で前方へ転がり込む。
雨で濡れた地面が冷たい。
転がりながら二発、三発と素早く撃つ。
一発は警備員の足元を跳ね、男のバランスを崩させる。
「ターゲット、機動中! 左翼、封鎖を!」
無線の声が焦りを帯びる。
ケンの狙いは明確だった。
トラックと、その脇に放置された少女に近づくことだ。
彼女をこの場から連れ出さなければ、何が目的かはともかく、確実に「始末」されてしまう。
左側からも気配が迫る。
もう一人の包囲兵だ。
ケンは咄嗟にコートのポケットから
小型の電子妨害グレネード(ダウンタウンで闇ルートで手に入れた代物)を掴み、投げつけた。
プシュン!
低い爆発音とともに、青白い電磁パルスが広がる。
瞬間、近くの警備員のサイバネティック・アイが火花を散らし、男は視界を失ったようによろめく。
企業の最新装備は電子妨害に弱いこともある。
ケンはその隙を突いて、廃墟の陰から飛び出し、トラックの荷台に向かって一直線に駆け出す。
「止めろ!」
トラックの陰にいた警備員が叫ぶ。
ビームがケンの足元を焼く。
雨が蒸発する。距離はあと十メートル…五メートル…
ドカン!
突然、ケンの背中に衝撃が走った。
トラックの陰から現れた、もう一人の警備員の放った衝撃波グレネードだ。
強化服を着た大柄な男だった。
ケンは吹き飛ばされ、冷たくぬかるんだ地面に叩きつけられる。
息が詰まる。サイバネティック・アイの視界が一瞬乱れる。警告表示が点滅する。
『衝撃吸収限界超過。左肋骨にひびの可能性。推奨行動:退避』
退避? そんな選択肢はない。
ケンがうつ伏せの状態から顔を上げると、目の前には少女がいた。
虚ろな目が、何も見ていないのに、ケンの方を向いている。
そして、そのすぐ横には、防水シートが剥がれた医療用冷凍コンテナ。
中には、少女と同じように無気力で痙攣する状態の、複数の子供たちの姿が見えた。
みな十代前半かそれ以下だ。
彼らの体には、電極のようなものが貼られ、複雑なチューブが繋がっている。
コンテナの側面には、先ほどスキャンしたものと同じロゴが光る。
G-Project / Active Phase / Neural Re-Wiring Test #7
「…神経…書き換え?」
ケンが呻くように呟く。
ジェノサイエンスのやつら、子供を使って何をしているんだ?
「見るんじゃねえ、野良犬が!」
衝撃波グレネードを撃った大柄な警備員が、
ケンの頭めがけて巨大な金属製の警棒を振り下ろそうとする。
ケンは間一髪で横に転がり、警棒が泥水を跳ね上げる。
その反動で、ケンの手に持っていた旧式ハンドガンが、少女のすぐ脇に落ちてしまう。
終わりか? その瞬間、ケンの脳裏にエレナの笑顔がよぎった。
守れなかったあの日の無力感が、怒りに変わる。
「…まだ…終わらんぞ…!」
ケンは腰に隠し持っていた、警察時代の近接戦闘用の電撃ナイフを抜き放つ。
短い刃に青白い電撃が走る。
大柄な警備員が警棒を再び振りかぶる。
その動きは力強いが、ケンのサイバネティック・アイには「予測線」が浮かぶ。
強化された反応速度が、生死を分ける。
ケンは警棒の軌道をかわすように低く潜り込み、
電撃ナイフを男の強化服の脇腹、関節部の隙間へと突き立てた。
バチッ! バチバチッ!
高電圧の放電音。
男の体が痙攣し、うめき声を上げて崩れ落ちる。
強化服は物理的な防御は高くても、継ぎ目の内部は脆弱だ。
「隊長!?」
他の警備員が動揺する。
その隙にケンは、落としたハンドガンではなく、コンテナの操作パネルに目を向けた。
複雑なロックがかかっているが、接続端子がある。
ケンは素早くポケットから多機能ツールを取り出し、サイバネティック・アイとワイヤレスで接続する。
かつて警察のハッキングツールとして使っていた古いソフトウェアを起動する。
ジェノサイエンスのセキュリティは強固だが、この現場作業用の簡易パネルなら…
『解読中… 3%… 15%…』
警告音と共に、残りの警備員がケンに銃口を向ける。
「データを抜かれる! コンテナもろとも始末しろ!」
ビームが飛び交う。
ケンはコンテナを盾にしながらも、パネルに集中する。指が高速で動く。
『解読完了。緊急解放プロトコル、起動。バイオハザード封鎖は解除されません』
シューッ!
コンテナのハッチが一つ、油圧で開いた。
中から冷たい白い蒸気が噴き出す。痙攣していた子供たちの何人かが、かすかに動いた。
「お前…何をした!?」
警備員の一人が絶叫する。
彼らの任務は「証拠隠滅」と「サンプル回収」だったはずだ。
ケンの行動はその両方を台無しにした。
その混乱の中、ケンは開いたハッチの陰から、目覚めかけた少女の腕を掴んだ。
「…行くぞ!」
声をかけるが、少女の目は依然として虚ろだ。
しかし、奇妙なことに、ケンに引かれると、よろめきながらも立ち上がろうとする。
何かが、本能的なレベルで反応しているのか?
「残った全員! 絶対に逃がすな! あのサンプルは特に重要だ!」
警備員たちの殺意が高まる。
銃声が激しくなる。
ケンは少女を庇いながら、開いたハッチを盾に、廃墟のさらに奥深く、
巨大な排水管がむき出しになった崩れた壁の方へと後退していく。
背後には絶体絶命の敵。そして、サイバネティック・アイが警告を発する。
『敵増援、接近中。推定3分後接触。車両エンジン音、二台。武装強化型』
追い詰められた…。
しかし、ケンの目は冷たく燃えていた。
目の前の少女、そしてコンテナの中の子供たち。
彼らは「サンプル」ではない。エレナと同じく、企業の闇に飲み込まれた生きた証拠だ。
ケンは後ろ手に、崩れた壁の鉄骨を伝う太いケーブル(おそらく昔の電力線の残骸)を触った。
腐食しているが、まだ通電しているかもしれない。
危険な賭けだ。しかし、選択肢はない。
「…覚えておけ、お前たちの所業をな」
ケンが警備員たちを睨みつけ、低く唸る。
「この街の闇は、いつか必ず…」
次の瞬間、ケンは電撃ナイフの刃を、その錆びたケーブルに思い切り突き立てた。
バチバチッ! ゴオオオッ!
青白い火花と共に、廃墟全体を揺るがすほどの大規模な短絡が発生した。
天井から崩れ落ちるコンクリート片。
各所で爆発する配電盤。警備員たちはパニックに陥り、身を守るために退避を余儀なくされる。
その煙と混乱の隙に、ケンはほとんど無意識に動く少女の腕を強く引っ張り、
壁際の巨大な排水管の割れ目へと飛び込んだ。
管の中は暗く、濁った水が流れ、異臭が立ち込めている。
出口はどこか? 追手はすぐに整列する。
ケンはサイバネティック・アイの暗視モードを最大限に駆使し、
流れに逆らって上流の方へ、真っ暗な管の奥へと少女を導いた。
足を取られる冷たい水。背中と肋骨の痛み。
それらを無視して進む。
後ろから警備員たちの怒声と、排水管の入り口を照らすサーチライトの光が迫ってくる。
「…絶対に見つけ出せ! 生きたサンプルと、あの男は『G-プロジェクト』の存在そのものを危険に晒す! 上層部が激怒している!」
プロジェクト名が明確に叫ばれる。
ケンはその言葉を、逃げながらも脳裏に刻みつけた。
G-プロジェクト…。そして、エレナの時と同じ臭い…。
少女はよろめきながらも、必死にケンについてくる。
その虚ろな目に、ほんの一瞬、人間らしい恐怖のようなものが走ったように見えた。
ケンの手を握る力が、わずかに強まった。
「…大丈夫だ」
ケンは喘ぎながら、少女に言った。
それは自分自身への誓いでもあった。
「お前を…ここから連れ出す。約束する」
真っ暗な排水管の奥深く、二人の逃亡はまだ始まったばかりだった。
ネオ・アメリカンシティの深い闇は、
ケンが掴んだ小さな証拠と生きた被害者を、決して簡単には手放そうとはしない。
ジェノサイエンス、そしてそれを背後で操る企業連盟の巨大な力が、
今、本格的にケンという「害虫」の排除に動き出そうとしていた。
もしよろしければ評価のほうお願いいたします