犯人なき殺人
いつの時代も謎は人々の心を引き付ける。
ゆえにテレビ局も「古代の超科学文明」だの「幻の怪獣伝説」だのといった企画を定期的に特集するのだが………
「ったく、担当番組の過去回くらいチェックしとけよな」
不可思議な事件にも限りがある。
番組が続けば使えるネタは減っていき、スタッフが探してくる事件のネタ被りも増えてくる。
近年は人手不足の深刻化が社会問題になっているが未だに花形産業として人気で
厳しい競争を勝ち抜いてきたはずのテレビ番組制作会社の人間ですら
ネットで検索して上位に表示されたものをそのまま引っ張ってくるような馬鹿が後を絶たない。
ネタの選別を任されているアシスタントディレクターの溝口にすれば迷惑この上ない話だ。
今回の特集は「誰も知らない殺人ミステリー」だが
スタッフが持ってきたネタの半分以上は過去にこの番組で使ったか、他局が既に放送したものだった。
誰も知らないが聞いて呆れる。
「おっ、こいつは………」
しかし腐っても花形産業。
中にはキラリと光るネタを持ち込む人間もいる。
提出したのは中島明、やはりベテランは頼りになる。
「秋山さん、この事件よくないですか!!」
溝口は向かいの机で作業していた番組ディレクターの秋山に声をかける。
「あん……犯人なき殺人だぁ?」
「えぇ、事件が起きたのは1948年のインド。
ヒンドゥー教の指導者であるモディという男の邸宅にいた人間全員が殺害されているんですが
何故か犯人が逮捕されないまま事件解決となっているんですよ。
犯人不在のまま解決された大量殺人、一級品のミステリーですよ」
「溝口、お前ならどうやって料理する」
「えっと、そうですね。
俺ならまず大量殺人なのに犯人が目撃されず逮捕もされないまま事件解決と記録された異常性を強調します。
次に可能性の提示。ヒンドゥー教内部の権力争いとか、インド独立に対するイギリスの報復説あたりが適当かな」
「真相はどうする」
「それは……ぼかすしかないでしょう。記録上は事件解決となってますけど実質的には未解決事件なんですから。
提出した中島さんは「真相を明らかにするのは視聴者の皆さんかもしれない」で締めようと書いてますけど」
「はっ、中島らしい仕掛けだな」
「仕掛け?どういうことです」
「この事件は未解決事件なんかじゃねぇ。ちゃんとした真相があるんだよ」
「えぇっ!?」
「お前にゃ分からんか溝口。大学時代はミステリー研究会に所属してたんだろ」
「はぁ……そうですね。普通に考えたら権力者による隠蔽じゃないですか?
政治家なり警察の上層部なりがモディを邪魔に思って殺し、圧力をかけて捜査を強引に終わらせた。
1940年代じゃいかにもありそうな話ですよね」
「まぁな。だが実際の真相はそれよりはるかに残酷だ。犯人はダリットだったんだよ」
「ダリット?」
「やれやれ、最近の若手は全然勉強してねぇな。カースト制度は分かるか?」
「それくらいは当然分かりますよ。インドの身分制度ですよね」
「そうだ。その中でダリットは最下級の不可触民。人間として見なされない身分の者たちだ」
「に、人間と見なされない!?」
「驚くこたぁねぇだろ。日本にだって穢多非人なんていう文字通り「人にあらず」って酷い身分制度があった。
インドにもまた同じようなシステムが存在したってだけだ。
1950年のインド憲法によって不可触民の差別用語、およびカースト制度による差別は禁止となったが事件が起きたのは1948年だ。
急速に高まる人権意識と平等主義に反発してダリットを「犯人」と認めなかった担当官がいても不思議じゃない。
モディはカースト制度堅持派、特に不可触民の解放を強行に反対してた男だ。
そいつがダリットたちに殺され、ダリットたちは警察の鎮圧部隊によって皆殺しにされたあげく「人間ではない者」として処理された。
それがこの事件の真相ってやつさ」
「秋山さん何でそんなにこの事件に詳しいんですか」
「中島がまだこのテレビ局の人間だった頃に報道で通そうとした企画の一部だからさ。
その時はインド社会の闇を暴くってガチガチに硬派なやつだったがな。
現代でも変わらず続くカースト差別について斬り込もうとしたんだ。
しかし企画は通らなかった。インド首相の訪日に水を差すって政治家からの横槍でな」
「それじゃあ……今回だって通るわけないじゃないですか」
「その通り。番組のメインスポンサーである小林製作所は1年前にインド企業に買収され系列子会社になってる。
スポンサー至上主義のテレビ局でこんな企画が通るわけがねぇ」
「……だったらどうして中島さんはこの企画をウチに?
そういうテレビ局のしがらみが分からない人じゃないですよね。秋山さんと同期のベテランですし」
「……溝口、お前も今はバラエティやってるが元は報道志望だよな。
だったらよく覚えておけ。ジャーナリストを名乗る人間っていうのはな。
通らないと分かっていてもやるべき企画なら通そうとあがき続けるヤツだけが名乗っていい肩書なんだよ。
物わかりよく会社の言いなりになる人間ばかりじゃ世界は変えられねぇんだ」
胸に小さな痛みを抱えながら秋山は後輩にそう告げる。
中島がこの事件を持ち込んだのは自分への試しと決意表明だろう。
俺は今も戦い続けているぞ、お前はどうなんだ。
無口な硬骨漢らしいやり口だ。
同時にそれは信頼でもあった。
お前ならきっとあの日潰された企画のことを忘れていないはずという戦友への信頼。
正義のためにテレビ局を去った男、保身のためにテレビ局に残った男。
選んだ道は違えども報道に配属された時に誓った志に変わりはないばすだという馬鹿げた信頼。
俺はいつかその信頼に応えられるのだろうか。
秋山は湧き上がる弱気を握りつぶすように拳を固めた。
応えて見せるさ。ジャーナリストになれなかった男でも出世してジャーナリストを守る男にはなれるはずだ。
果てなく遠い正義と真実の旅路。
けれどその終着点であいつと飲む酒は最高に美味いに違いない。
その日を夢見て男たちはこれからもあがき続ける。
いつか世界が良くなりますように。