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気ままに書き進めています。次回投稿も気まま。気長にお付き合いください。
むかしむかしあるところに、で始まる昔話は世の常だけど、これがいつの時代なのかはよくわからない。強いて言うなら、ざっくりと平安時代くらいだと思う。そもそも此処が日本なのかどうかもわからない。
ゴトトン、ゴトトンと揺れる牛車の中。わたしは後ろ髪が長めのオカッパ頭で、汗衫の下に五衣、濃色の袙に白の表袴を重ねるという典型的な女童の正装だ。
「あー帰りたい」
思わず口から出てしまった。
斜め前にいる、同い年でもっと簡素な服装の童女がちらりとこっちを見る。
「無理だから。覚悟決めてね」
「はぁーい」
「返事は、はい。笑顔で控えめに、それでいてはっきりと」
どないせぇちゅうんじゃ、と思いながらも精一杯笑顔を浮かべて「はい」と返事をする。それにも関わらず、向こうは、はぁ、と溜息を吐いた。
「顔引き攣ってるぞ。そんなんじゃ先が思いやられるよ。ちゃんとやらないと、父様の評判にも関わるんだからな」
「ひいてはわたし達の生活にも支障が出る、でしょ。わかってますよ」
正直、もう何百回も聞いてて耳にタコが出来そうだ。幼馴染のユキちゃんこと春澄友于が口うるさいのは昔からだけど、転生してもそれは変わらないらしい。
「僕が付いて来てるんだからね。失敗は許さない」
わぁ、目が笑ってない。口は三日月の形してるのに怖い。
思わず凝視してしまったら、スッと扇で口元を隠された。何なのその優雅な動作。どうせなら男女逆になっても良かったんじゃないかと思う。わたしにこの時代の男性が務まるかどうかは別にして。
そもそも生まれた直後から転生前の記憶があったユキちゃんに比べて、わたしはほんの一週間前に記憶を取り戻したばかりなのだ。しかも転生前の記憶を取り戻した事で、現世での記憶が朧気になってしまった。
右も左もわからない世界で救世主の如く現れてくれたのがユキちゃんだった。いや、別に神様っぽく空から語りかけてきたりした訳では無い。
一週間前、わたしは庭で雀を追いかけて木に激突、脳震盪を起こして気を失った。意識を取り戻したら、訳の分からない世界で、知らない人に囲まれていて、成人済みだった体もすっかり縮んでしまっていた。
どういう事なのかとパニックになったわたしの異常に気付いたお付きの女房が父様を呼びに走り、一緒に駆け付けてくれた腹違いの兄様がユキちゃんの転生後の姿だったというのが事の顛末である。
それだけなら良かった。自慢ではないが、順応性はそれなりに高い方だと自負している。記憶を無くしたのは良くはないけど、体の方は何とも無かったから、このままのんびりこの世界に馴染んで暮らして行ければそれでも良かったのだ。幸い食うには困らない、ほんの一握りの貴族階層に生まれていたみたいだったから。
問題は、一週間後にわたしが女童として内大臣家の一の姫様、つまり大君への出仕が決まっていた事だった。女童というのは、貴人の屋敷にいる裳着(成人の儀式)前の女の子の雑用係である。雑用と言っても身分とか能力とかによってやる事は幅広いらしい。わたしは主に姫君のお話相手をすると聞いている。
大君は今のわたしより三つ年上の十三歳。今年の秋に裳着が済んだら春宮様に輿入れする事が決まっていて、内大臣家ではその準備に余念が無い。春宮様はいわゆる皇太子だから、そのまま行けば次の帝だし、春宮の妃になった娘が男児を産めば、その子がまたその次の帝になる可能性が高い。そうなれば内大臣様は帝の外祖父として権力を振るうことができる。いわゆる摂関政治というやつだ。
父様は、そんな内大臣様からやや強引にわたしの出仕を求められたらしい。曰く、大君付きの女童が何人か成人してしまい、女房は増えたけど逆に女童は人手不足になってしまったのだとか。
数ヶ月前から決まっていた事で、今から断るのはどうしたって角が立つ。父様は中納言で決して身分が低い訳じゃないけど、大臣と納言では大臣の方が圧倒的に偉いし、春宮妃の父親に睨まれるなんて事になれば、父様だけでなく、わたしやユキちゃんの将来も真っ暗だ。
とりあえず一週間でこの世界での生活に慣れつつ、後はユキちゃんにフォローしてもらうという事で話は決まった。
「わたしはありがたいけど、女装して付いてくるなんて、ユキちゃんはそれでいいの?」
「ばれたら大変だけど、子供のうちはばれにくいから問題ない」
うん、それもあるけど、女装に抵抗は無いんだろうか。
「それより内大臣家に潜入できる方がメリットが大きいから気にならない」
「メリット?」
「僕の知識欲が満たされる」
フフフ、と笑った顔は欲望に忠実すぎてちょっと怖かった。そうだった。大学を卒業してどうにかフルタイムの派遣社員になったわたしと違って、ユキちゃんは日本の古典文学が専門の大学院生だったもんね。
小さい頃からクラスで真ん中辺りの成績を漂っていたわたしは、高校受験も大学受験も大学のレポートや卒業論文の校正まで、それはもうお世話になりました。本人がそれで良いと言うなら、わたしに否は無い。
そんな取り留めのない事を思い出しているうちに牛車が止まった。御簾の隙間から覗くと、お供の下男が門前の警備の人と話をしているのが見えた。
「今日から大君に仕える女童か。車寄せまで案内するようにと指示が出ている。付いて来い」
警備の人が言って、牛車を先導してくれる。変なトラブルとかにならずに何よりだ。
しばらくするとまた車輪の音が止まって、前の方が騒がしくなり始めた。牛車って乗るのは後ろからなのに、降りるのは前からなんだよね。不思議。
降りるために早速御簾を上げようとしたら、ユキちゃんに慌てて止められた。
「僕がやるから座ってろ。仮にもお前は姫で、僕がお付きなんだから」
仮にもって所がちょっと引っかかったけど、確かに今のわたしは中身がこうなんだから、仮の姫だ。言われた通り大人しく座っている事にした。
「顔隠せ」
言われて、手に持っている扇を顔の前に広げる。女童だからまだそんなに神経質にならなくても良いけど、未婚の姫君だから奥床しく見せておいた方が後々のためだそうだ。
ユキちゃんに先導されながら、車から降りて地面に敷かれた筵の上を歩く。階段の下から見上げれば、扇で顔を覆った女性が三人、立っていた。
「ようこそ内大臣様のお屋敷へ」
こうしてわたしの女童としての初出仕が始まった。