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閑話~数百年後の偉人伝~

 ジャンヌ・ミレニウス


 伯爵家出身者。独身。『当代最高峰の教育者』であり『初の女性旅行家』でもある。

 五十代半ばまでは、家業の『妃教育』の第一人者として、数多の妃を教育してきた。が、最後の教え子は何故か「一介の伯爵令嬢であった」という記載が残されている。王家に嫁ぐでもなく、王家に近しい家に嫁ぐ訳でもない伯爵令嬢を教育した背景は今もって謎に包まれている。

 ただ、この件に関しては時の国王の采配であったという記述もあるため、謎が謎を呼んでいる状態だ。


 その伯爵令嬢の教育課程修了後、世界一周の旅に出かける。

 数年後、無事に帰国を果たした彼女は、各国の文化や伝統・生活スタイルを記載した旅行記を出版した。

 この旅行記は後に、東方や南方の国々との交流の際に大変役立ち、今では、教科書の一環として用いられているほどだ。


 彼女が八十歳を超えた頃に『ジャンヌ女学院』を設立した。

 少人数制で、徹底した淑女教育に定評があり、礼儀作法だけでなく、学力、教養、社交術、人間性など考慮して厳しく躾けられる「淑女のための学校」であった。

『女学院』は特に外国語の教育に力を注ぎ、そのレベルは非常に高く、卒業生の多くは上流階級の夫人、または女性外交官として活躍した。


 その頃からだろうか『女学院』を設立する処が多くなったのは。

 成功例があった故か、恩恵にあやかろうと目論む者が増えた。もっとも、にわか「お嬢様学校」が上手くいくはずもなく、殆どの「お嬢様学校」は数年で消えていく定めであった。


 本物の淑女養成学校。

 現在でも生き残っている数少ない学校の一つに『ジャンヌ女学院』があげられる。今なお、上流階級の子女が多く入学している。この『女学院』が他校と違った独特の特徴がある。それは、一般的な入学試験はなく卒業生の『推薦状』によって入学が認められるシステムになっているところだ。そのため、身元が確かな令嬢ばかりである。昨今ではこの不平等に対して賛美両論があるものの「偉大な女性が残した古き良き伝統」として今なお受け継がれている。





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