それは坂を転がるように
日が昇り始めてきた。一晩寝ていない上に、これだけのことがあったのだ。身体からは徐々に興奮が抜け始め、次第に異常な程の疲労が襲ってくる。
村上は意識が遠のきそうになる中で、なんとか目を開けることに努めていた。
(よそ者の俺が、ここで眠りこけてしまうのも気が引けるからな)
村上はなんとか意識を保とうとルカに話しかける。
「そういえばイア……いや、姫様は?」
「姫様?ああ、怪我人のところを回っている。……こんな時でも立派な方だ」
ルカの言葉を聞き、村上は感心する。姫として、国家元首としての振るまいとしては立派なものである。甘い理想ばかり謳う世間知らずのようにも見えていたが、この点に関しては村上も同意見だった。
「……クソッ、これからどうすればいいんだ」
ルカが拳を握りしめながら呟く。
発言はもっともだ。領地を奪われ、敵に追われる。そんな状況にもなれば誰だって苛立ちは覚えるだろう。
だが村上が感じたのはルカにまた違った感情が見えるところであった。
(苛立ちのなかに……驚きや不安が混じっている?恐怖や強者への焦りというより、想定外の事実に戸惑いを感じているのか)
村上はルカ以外のその他の衛兵を観察する。彼等についてもこの状況に対して悲観というより、戸惑っているようであった。「あまりに予想外」、そう言わんばかりに。
「しかし、ルカ様。もう王都は完全に奪われました。ここまで逃げて来られた者も、全体の三分の一程度です」
ルカに対して、衛兵の一人が言う。ルカは大きく息をはいて、項垂れた。
(敗北が衝撃的……か。言い方は悪いが、相当“人間”のことを舐めていたのだろうな)
彼等の驚きはなんとなく察することができた。今まで信じてきた価値観は容易には捨てがたい。一度軍隊が敗北したとしても、この目で見るまでは信じられないのだろう。
しかしそれでもよく三分の一も逃げてこられたものだ。あれだけの劣勢、敵の装備、砲撃の嵐を考えると、もっと犠牲が出てもいい。村上は正直そう感じていた。おそらく村上の考えている以上に、獣人族というのはタフで強靱なのだ。
「……だが他の連中も死んだとは限らない。生き延びてさえいれば、いつか合流できる」
「そうですね」
「いずれにせよ、俺達は姫様を守るだけだ。……命に替えてでも」
ルカがそう言うと、少しだけ兵士達の表情が明るくなる。味方を引っ張っていく上で希望を見出させることは非常に重要だ。その意味ではルカもまた立派に近衛隊長の任を果たしている。例えその希望が儚く脆いものであったとしても。
丁度その時、遠くから声が聞こえてくる。
「……、……伝令ッ!」
声の方に目を向けると、遠くから一人の獣人が走ってきている。シルエットでしか分からないが、肩を揺らしながら駆けてくるその様子から、逃げてきた敗残兵であろうか。
「どうした!……怪我をしているじゃないか!早く手当を!」
ルカの言葉に何人かが駆け寄りその獣人に肩を貸す。衛兵の顔は既に覚えているので、王都の近衛兵ではないことは村上にも分かった。しかし身なりからして、普通の住民ではない。察するにどこかしらの兵士のようであった。
「それよりも……報告を」
敗残兵と思しき兵士は肩を借りるのをやめて、ルカに話しかける。
「どうした?何があった?」
傷ついた兵士が呼吸を少しだけ整えて、答える。
「北の拠点が、龍人族に突破された……」
「何っ!?」
「どういうことだ!」
兵士のその言葉に、周りの衛兵達も詰寄ってくる。傷ついた兵士は整わない呼吸の中、さらに話を続ける。
「攻めてきたんだ。龍人族が……山を越えて」
「馬鹿な。ありえない」
「そうだ。奴らは龍と共に生きる連中だ。だからこそ龍が好む高地に住んでいる。それなのに、なんだってこんな時に……」
衛兵達はそこまでいうと、悪化していく状況に口を閉ざしてしまう。ただ兵士の荒れた呼吸だけが耳に入ってきた。
「こんな時……だからだろうな」
「ルカ?どういうことだ?」
「今なら確実にこちらの領土が奪える。だから攻めてきたんだろう」
「そんな……」
兵士達の表情が再び暗くなる。
(泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目……。いや、弱い者から根こそぎ奪おうとするのは乱世のならい……か)
古今東西、いつだって落ち目の国は分割されたり、占領されたりしてきたのだ。それはある種の必然で、世界が変わろうと変わることはない。それが獣人だろうと異世界だろうと。
村上は大きく深呼吸をして空を見上げた。
(……そろそろ潮時かもしれないな)
村上はふとそんなことを考える。そして自分がそう考えていることが、どこかおかしくも感じた。
(……まいったな。こんな時にでも自分の保身のことは勝手に頭が計算してしまう。政治家生活が長すぎたな)
村上は政治人生の中で、二度ほど派閥替えをしている。一度は派閥の長が人権を侵害するような失言をしたとき、もう一つは加入していた派閥の力が大きく弱まったときだ。そのどちらのタイミングでも、村上は上手く立ち回ることができていた。
無論、それを批判する人間もいた。派閥と心中する人間も。端から見れば、村上のそれは男らしくもなければ、筋も通っていない部分もあったのは事実だ。実際に両派閥共に村上は良くしてもらっていたのだ。
しかし村上は情では流れなかった。
(必要と判断したら迷わないこと。短期的・局所的ではなく、大きな時間と空間の中で判断すること……。奇しくも親父が現役時代に武器にしていた技術だな)
村上はもう一度小さく笑う。朱に交われば朱くなる。自分も見た目は違えど、主君を売ったあの獣人の豪族達と同じなのだ。政治家の業は深い。
(生きる理由なんて、とうに無いだろうに。まだみっともなく生きながらえようというのか)
村上がそんなことを考えていると周りが騒がしくなってくる。おそらく、情報が広まって、皆が不安に駆られ始めたのだろう。落ち目の集団の初期症状だ。
「皆さん、落ち着いてください!」
気がつくとイアが戻ってきている。そしてイアはまっすぐな瞳で、周囲に語りかけた。とにかく怪我人を休ませる必要があります。南の村に移動しましょう。
イアの言葉に、当面の目的が決まる。皆の表情も少しだけ明るくなった。
(だが、現実は非情だ)
落ち目の時、そんなときは不思議と何をやってもうまくいかない。それはまるで、とことん下へ落とそうする重力が作用しているかのように。
村上はそれをよく知っていた。
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