うっかり異世界召喚された結果、責任を取る形でツンで過保護な騎士様のお飾りの妻になりました
十四の時、憧れだった異世界召喚されました。
漫画の様に何もない空から落っこちた私を受け止めてくれたのは、淡い金髪にアイスブルーの瞳、そして抜けるように白い肌と色素薄目な、まるで王子様のような外見の見目麗しい騎士様でした。
どうやら、私を呼んだのは敬虔に神に祈りを捧げていた騎士様その人の様です。
騎士様が呼んだという事は、魔王を倒す旅に出発ってところでしょうか?!
イイですね!
ずっとそういうの憧れていました!!
と、そう思ったのですが……。
騎士様に案内されて訪れたお城で聞かされた話によると、意外にも世界は平和そのものとの事。
ほぇ?
いや、別に血に飢えたバーサーカーではないので、平和であることにケチをつけるつもりはないのですが……。
じゃあ何故呼んだし?
え?
特に意味もなくいつもの習慣で魔力の強い騎士様が祈っていたら、偶然好条件が重なってうっかり召喚しちゃった可能性が高いと??
「…………」
獅子の鬣のような髪をした三十半ばと思しき若き国王陛下と、深緑のローブを羽織り銀縁の眼鏡をかけたキツネ目の神官さんと私のそんなやり取りを聞いていた騎士様は、途端に真っ青な顔をして私の前に膝を突き深く深く首を垂れました。
日本なら土下座ってところでしょうかね?
結局、うっかり召喚してしまっただけとは言え、異世界人である私をおいそれと捨て置くわけにもいかないとの事で……。
王様達は散々悩んだ末、責任を取らせる形で、私の事をうっかり召喚してしまった若き騎士様自身に、妻として押し付ける事に決めたようでした。
私があまりに幼い為、後日開かれた結婚式はごく少数の関係者の前で互いに誓の言葉を交わすのみ、そして私が十八で成人するまで寝室も別という事になりました。
騎士様改め旦那様のお名前はイエルハルド様とおっしゃって、私より六つ年上でいらっしゃいました。
そして旦那様は伯爵家の三男とのことでお城にお部屋を賜っていらっしゃった為、新居を用意するまでの間、私も一緒にお城で暮らす事になりました。
お城で、旦那様は時折『白鳥』と呼ばれていました。
確かに、そのスラリと美しい立ち姿と白い肌がその優雅な鳥を、そしてアイスブルーの瞳は白鳥が羽を休める冷たく澄んだ冬の湖を思わせます。
普段は口数も少ない旦那様は、その美しさが相まって一見冷たげに見える為か、周囲からは孤高を保っていた様でした。
しかし、旦那様は私の事を年の離れた妹のように思ってくれたのでしょう。
顔を合わせる度に
「何か不自由はないか?」
そう気遣ってくださいました。
そして事ある毎に、綺麗なリボンの掛かったお菓子や挿絵の美しい本を贈ってくださるのでした。
美しく、そして私にだけとても甘い旦那様。
そんな旦那様を私が心から好きになるまで、大した時間はかかりませんでした。
******
十八になり成人と認められた私は社交界デビューも果たしました。
エスコートしてくださったのはもちろん大好きな旦那様です。
初めての舞踏会は本当に素敵でした。
デビュタントのドレスの色に決まりは無いとのことだったので、私は純白のドレスを選びました。
高いヒールを履いて、旦那様にリードされるままクルクルと回れば、真っ白なドレスの裾がまるで白鳥の羽のようにフワフワと揺れます。
その様を見て、
「まぁ、なんて可愛らしい」
「本当に良くお似合いで」
そんな風に色々な人が優しく目を細めながら言葉をかけてくださいました。
国王陛下も
「馬子にも衣装というが、これはこれは。猪突猛進な猪娘にもドレスだな」
となんか褒めていらっしゃいましたが、絡まれるだけ時間の無駄なので華麗にスルーしておきました。
そして肝心の旦那様ですが、旦那様は舞踏会の間
「疲れてはいないか?」
「寒くはないか?」
「喉が渇いてはいないか?」
と、甲斐甲斐しく世話を焼いて下さったのでした。
でも……。
その夜もまたその次の夜も、旦那様が私の待つ部屋にいらっしゃる事はありませんでした。
******
その次の舞踏会に、旦那様が贈って下さったドレスは、彼の瞳の色と同じ美しいアイスブルーのドレスでした。
まるで恋人にするようなその贈り物が嬉しくて、思わず子供のように駆け寄り抱き着けば、旦那様は一瞬驚いた様にその目を丸くされましたが、やはり小さな子供にするように私の髪を優しく撫でてくださいました。
揃いの色を纏い踊る私達を、またしても多くの人が微笑ましく見守ってくれました。
しかしやはりその夜も、私の方から意を決してお願いしたにも関わらず、旦那様が私の寝室を訪れる事はありませんでした。
次の舞踏会のドレスは旦那様の髪の色と同じ淡い黄色。
そしてその次は旦那様が私の髪と瞳に合わせたジャケットを……。
しかしどれだけ恋人同士のような衣装を着てみても、私達の夫婦関係は相変わらず白いおままごとのまま。
きっと旦那様は私を召喚してしまった事に責任を感じて、私の夫と言う立場に形式上甘んじてくださっているだけなのでしょう。
冷静に旦那様の舞踏会での振舞を思い出してみれば、それは恋人というより、まるで保護者の様でした。
馬鹿ですね、私。
こんなに綺麗な人が私なんかを本気で妻だと思ってくれる筈が無い事くらい、考えてみればすぐに気づいたはずなのに。
旦那様があまりに優しいから。
その優しさに甘えて、酷い勘違いをしたまま何年も旦那様の貴重な時間を無駄にさせてしまいました。
後日、また侍女を通じて次の舞踏会に来ていくドレスの色を尋ねられたので、もう必要ありませんとお断りしました。
私の返事を聞いた旦那様は
「何か気に障るような事をしたか?」
そんな風に心配してくださいましたが、理由を話せばみっともなく泣いてしまいそうで、ただ一言
「もういいんです」
とだけお答えました。
******
ドレスをお断りした翌日、旦那様から贈り物が届きました。
箱の色形からして恐らく首飾りでしょう。
その青いベルベットの箱を、私は開ける事もないままお返ししました。
どの道着けて行く場所等無いのです。
その翌日贈られたのは、ため息が出てしまいそうなくらい華奢なヒールが美しい靴、そしてその次は刺繡の見事なストール、そしてその次は煌めく耳飾り。
チョコレートも流行りの小説も、全て手に取る事もないままお返ししていたら、その次に届けられたのは真っ白な百合の切り花でした。
盛りの時を手折られたそれを枯らしてしまうのが何故か妙に忍びなく、思わずそれは侍女のシーラさんに活けてもらえば、旦那様は私が花が好きなのだと勘違いされたのでしょう。
その翌日からはまた沢山の花が贈られてくるようになったので、結局それ以降はお花も全てそのままお返しすることにしました。
そうするうちに、旦那様は夜お屋敷に帰っていらっしゃらなくなりました。
風の噂によると、こちらにお戻りにならない日は恋人の元に通っていらっしゃるとのこと。
こちらに来たばかりの頃、旦那様には想う方がいらしたのだと聞いたことがありました。
きっと噂の恋人とはその方のことでしょう。
見の程知らずな子供だった故に四年もの間、旦那様だけでなくお相手の方にも辛い思いをさせてしまいました。
よかった。
これでこれまで良くして下さった大好きな旦那様に幸せになっていただける。
そうホッとしているはずなのに。
気を抜けば涙が止まらなくなってしまうのは何故でしょう。
******
さて、これからどうしましょう。
そう思った時です。
気晴らしにシーラさんと街にお出かけした先で、うっかり迷子になってしまいました。
「どうしたものですかねぇ……」
独り言を漏らしながらぼんやり空を見上げしばらく考えた後、私はお屋敷とは反対方向に向けてフラフラと歩き始めました。
何食わぬ顔で道に沿い歩いた後、人目を避ける為森の中に踏み入り、さてどのくらい歩いたでしょうか。
気が付けば周囲はすっかり真っ暗になっていました。
どこか遠くで狼の遠吠えが聞こえます。
いくら平和な世界とは言え、知らない森を一人で歩くなんて自殺行為に等しかったでしょうか。
靴だってスニーカーの様に長い距離を歩く為にデザインされたものではありませんからね、足も痛くてたまりません。
でも、それでも……。
勝手は承知で、私はもう旦那様がいらっしゃらない、あのお屋敷には帰りたくなんてなかったのです。
疲れと、心細さからついにその場に蹲った時でした。
「リナ!!!」
遠くから私を呼ぶ、大好きでたまらない旦那様の声が聞こえました。
自分でもどこをどうして歩いて来たかすら分からないというのに。
どうして旦那様にはここが分かってしまったのでしょう。
そして、何故……。
何故旦那様は私の事を探しになどいらしてしまったのでしょう。
このまま、事故で死んだものとして捨て置いて下さればよかったのに。
そうすれば、誰に煩わされる事も無く旦那様は思う方と結ばれる事が出来たのに。
「心配した。一緒に帰ろう」
旦那様にそう言われ、観念してその手を取る代わりに私から離縁を申し出ました。
実は既に国王陛下からは
『アレが本当に承知するのなら……』
と離縁の許可はいただいています。
見ての通り初めてこの国に来た日と違い、私はもう大人です。
旦那様に色々教えていただきましたからこの国でも、もう一人で十分生きていけます。
「だから……」
そう言いかけた時です。
不意にポタッ、ポタッと上から水滴が降って来ました。
雨かと思ったそれは、旦那様の零した涙でした。
年上の男の人が、ましていつも凛とされている旦那様がこんな風に涙を零すのを見るのは初めてで、驚きのあまり旦那様の俯くその綺麗な顔をぼんやり眺めれば
「分かった、離縁は受け入れる。だから一緒に帰ろう」
旦那様は私の手を強く握ったまま、そんな矛盾した事をおっしゃったのでした。
帰り道、馬の背の上で私を抱きすくめる様にしながら
「君が、元の世界に帰ってしまったのではないかと思って心臓が止まるかと思った。……もし……もし君が元の世界に本当に帰ってしまう日が来るなら。その時にはオレを殺して欲しい。君がいない世界に意味なんてない」
旦那様が瞳を不安げに揺らしながらそんな事をおっしゃいました。
それは……。
一体どういう意味でしょう。
まるで愛の告白の様な言葉に、もしかして今度こそずっと求めていた言葉をもらえるのではないかと、
『愛してる』
そう言ってもらえるのではないかと、最後の祈りを込めてアイスブルーの瞳を見上げたのですが、旦那様はやはり夜私の元を訪れる事を拒絶した時と同じ様に、フッとその瞳を逸らしてしまわれたのでした。
「……しませんよ、そんなこと」
そうボソリと呟けば
「そんなこと?」
旦那様がまたその瞳を不安げに揺らしながら私の方をご覧になりました。
きっと過保護で心配症な優しい旦那様は、私に
『どこにも勝手には行かない』
と約束させたいのでしょう。
でも、それはお約束しかねます。
異世界人の私にだって、お飾りの妻にだって心はあるんですよ?
だから
「大好きな旦那様を殺すなんて、この先どんな理由があってもあり得ません!」
そうはぐらかすような事を言って以前のように精一杯笑って見せれば、私を抱きすくめる旦那様の腕にギュッと力が籠るのがわかりました。
******
旦那様は……。
間違えました、離縁が成立したので元旦那様改めイエルハルド様ですね。
イエルハルド様は何故か離縁が成立した後も、私が屋敷を出て行くことを許しては下さいませんでした。
そしてイエルハルド様が通われていたという、ご令嬢と再婚に向けての準備を始められているご様子もありません。
まぁ、そうですよね。
いくら離縁が成立したと言え、自分が異世界から召喚してしまった私を早々にほっぽり出す訳にもいかないのでしょう。
少し待てば状況が変わるかと思い待ちましたが……。
一週間が経っても、一月が経っても状況は何一つ変わることはありませんでした。
ダメです。
私はイエルハルド様に幸せになっていただきたいのに。
このままではきっと優しいイエルハルド様は私の為だけを思い、何年経ってもこのまま私の事をここに留め置いて下さろうとするでしょう。
『今度こそ、ここを出ていこう』
そう思いドアノブを回そうとした時でした。
何故かノブが回らない事に気づきました。
何気ない風を装って、隣の部屋に控えてくれていた新しくこのお屋敷にやって来た侍女さんを呼べば、あちらからはあっさりドアが開きます。
侍女さんはさりげなくドアを開けたまま用事を済ますと、下がる際にゆっくりドアを閉めました。
耳を澄ませば、カチャリと小さく錠の落ちる音がします。
屋敷に連れ戻されて以来自分からは何もする気力が湧いてこず部屋に引き籠っていたので、こんな事になっていたなんてちっとも気づきもしませんでした。
窓を開けようとすれば、こちらも少ししか開かないよういつの間にか細工が施されています。
再度侍女さんを呼び、街ではぐれて以来会えていない私のお世話をずっとしてくれていた前任の侍女シーラさんの事を聞けば、彼女は別のお屋敷で元気にはたらいているとのこと。
私とはあまり口を利かぬよう言われているのでしょうか。
この屋敷に新しく来た侍女さんは言葉少なにそう言うと、すぐに目を伏せ黙ってしまいました。
外出したいと伝えれば、
「それは旦那様が戻られましたら、ご相談されて下さい」
そう素気無く断られてしまいます。
そして当然ながらイエルハルド様から外出の許可が下りることはありませんでした。
国王陛下に、何気ない時候の挨拶を装った手紙を出した翌日です。
何やらドアの外が騒がしいと思えばいきなりドアが開き、陛下御本人が姿を現されました。
「よう、猪娘。ちっとも城に顔を出さないと思えば、お前アレに監禁されてたんだって?」
陛下の動向を聞きつけ、大慌てで外出先から戻っていらしたのでしょう。
蹴破らんばかりにドアが乱暴に開かれる音がした後、息を切らせたイエルハルド様は部屋に飛び込んでいらっしゃると、私をその大きな背に隠すように王様の前に立ちはだかられました。
「いくら陛下とは言え、家臣の妻の寝室を訪れるなんて許されません!!! お引き取りください!」
妻?
「離縁は成立した筈では?」
まさか、陛下の都合で却下したのかと責める様に陛下を見れば
「イエルハルドが離縁を承知したなんて知らなかった。だが、双方ともにそれを望むなら今ここで認めよう」
陛下はそう言ってどこか面白そうに肩を竦めて見せました。
陛下のそんな言葉に態度にイエルハルド様がカーッと肩を怒らせます。
そしてイエルハルド様は叫ぶようにおっしゃいました。
「お帰り下さい!!」
こんなに取り乱す旦那様など、初めてご覧になったのでしょう。
陛下はしばらく面白そうにニヤニヤされた後、しかし私の方を見た後フッと真面目な顔をされ、静かな声で旦那様におっしゃいました。
「望まぬ妻なら、閉じ込めたりせず自由にしてやれ。それにも心がある。もし、お前が責任を感じて心配だと言い張るなら俺がもらってやろう。それももう大人だ。もはやオレとの年の差もそう問題にもならん。それに同じお飾りの妻なら俺の側妃の方が何かと自由に暮らせるだろう」
そう言って王様が、イエルハルド様を無視し、私にその手を伸べました。
側妃、ですか。
口の悪い陛下のお妃様の地位に何の魅力も感じませんし、それくらいならいっそ自由の身にしていただきたいのですが、イエルハルド様を納得させるにはそういう事にするのが一番いいのでしょう。
陛下に向けて伸ばそうとした腕を、イエルハルド様に強く強く掴まれ阻まれました。
そのせいで、腕よりもまた心がズキッと痛みます。
腕が伸ばせないので仕方なく、
「どうぞ陛下のお傍に」
そう言って礼の形に小さく膝を折れば
「そんな事認めない!!」
イエルハルド様が私よりも、もっともっと痛そうな声を上げられました。
どうして。
どうして他に想う方がいらっしゃるのに、聞いている私の方が胸を抉られるような、そんな悲痛な声を上げられるのでしょう……。
「これまでお世話になりました」
そう言って、イエルハルド様が罪悪感にこれ以上苦しめられなくていいように、精一杯笑ってその手を解こうとしたときでした。
思いもかけず、深く深くイエルハルド様のその腕の中に強く強く抱きしめられてしまいました。
「既にその者は予の側妃ぞ。離せ」
王様が低い声を出されました。
しかし、イエルハルド様は私を抱くその腕の力を緩める気配はありません。
「無礼にも予の妃に触れるなら、この場で切り捨てられても文句は言わせんぞ」
陛下が周囲の人が止める間もなくスッと剣を抜かれました。
剣が抜かれるその音を聞き、イエルハルド様は一瞬真っ青な顔をされました。
しかし、すぐにどこか観念したように笑うと、何を思われたのか突然そっと私の頬、唇同士が触れてしまうのではないかと思うくらいすぐ傍にキスをされたのでした。
「……どうぞ、そうなさって下さい」
挑発ともとれるイエルハルド様の言葉に、陛下の後ろに控え心配そうにこちらの様子をうかがっていた兵士の皆さんがやむをえないとばかりに剣の柄に手をかけた時です。
「愛してる。生涯、僕の妻は君だけだ」
場違いなまでに甘く甘く微笑みながら、イエルハルド様が私に向かい、そんな事をおっしゃいました。
「皆は僕の事を白鳥だなんて言うが、僕の正体はきっとそんな綺麗なものではなく悪しき竜だ。偶然だったとは言え、まるでおとぎ話の竜のように君を君が住んでいた世界から無理矢理攫った。家族や友人から引き離した。君の夢を粉々に砕いて狭い屋敷に閉じ込めた」
イエルハルド様が苦し気に無理矢理その目を弧の形に微笑ませるから、そのはずみで涙がつぅとイエルハルド様の白い頬を汚します。
「そんな僕に、どうして君に愛してるなど言える資格があろうか。四年も経った今でも僕は未だに、君にどう償えばいいのかが分からない。せめて……せめて君がこの世界で不自由の無いように、君の思う人と寄り添えるようにとは何度も何度も思ったけれど、どれだけ君に疎まれても自分では愛する君の手の放し方がどうしても分からなかった」
疎まれて?
私……私、イエルハルド様を傷つけるつもりなんて……。
「あぁ、でもよかった。陛下が助けて下さる。これで君は自由だ」
初めて見るイエルハルド様の安心し切ったような笑顔に、そして全てを諦めきってしまったようなその佇まいに茫然とした時でした。
カチャンと音を立てて、陛下が剣を収められました。
「ようやく言ったか、この頑固者め」
陛下の言葉はもうイエルハルド様には聞こえていないのでしょう。
「愛してる……愛してる……」
イエルハルド様は私に口付けながら、壊れたレコードのようにそう繰り返すばかりでした。
******
『離縁の事は聞かなかった事にしてやる。二人で良く話し合え』
そうおっしゃって陛下は帰って行かれました。
長い事二人で黙りこくった後。
腰が抜けずっと床に座り込んでいた私の事を、イエルハルド様がそっと抱き上げゆっくりベッドの上に降ろしました。
そう言えば、私の寝室にイエルハルド様がいらっしゃるのは初めてだなと、どこかぼんやり思った時です。
イエルハルド様にゆっくり肩を押され、ポフンとベッドの上にあお向けに倒れました。
ずっとイエルハルド様の事をお慕いしてきたので、怖くはありません。
こちらに来たのは十四歳の時だったので少女漫画や少年漫画に描かれる朝チュン程度の知識もあります。
でも裏を返せばその程度の知識しかなく、イエルハルド様が本当にそのつもりなのかさえ分からなくて。
思わずキョトンとイエルハルド様の顔を見上げてしまえば、またいつものようにイエルハルド様が痛々し気にその綺麗な顔を歪めました。
「殺せ。これ以上君を傷つける前に」
突然、イエルハルド様は持っていた短剣を私に握らせ、また思いもかけない事を言い出しました。
十字の様な形をし先端が鋭くとがったそれは、確かミセリコルデといいましたっけ?
ミセリの意味は慈悲で、瀕死の重傷を負った騎士にとどめを刺す為の剣と聞いたことがあります。
「…………」
私の事を陛下は猪突猛進とよく揶揄されますが、旦那様もその綺麗な見目に反して意外と激しい所がおありのようです。
でも考えてみれば、白鳥って繁殖期に巣に近寄ろうものなら割と凶暴になって人に襲い掛かる事もあるんですよね。
ずっとイエルハルド様の幸せだけを祈ってきた私ですが、残念ながらイエルハルド様を殺す事を『慈悲』と言うのなら、慈悲なんてそんなくだらない物、生憎全く欠片も持ち合わせていないのですよ。
なので。
剣で刺す代わりに、痛い所を言葉でご希望通りチクチク突いてとどめを刺して差し上げる事にしました。
「自分だけ死んで楽になろうって言うんですか? 私の事を呼んでおいて無責任に私一人をここに置き去するつもりですか? イエルハルド様ってホント勝手ですよね」
こんな手痛い攻撃を喰らうとは思ってもみられなかったのでしょう。
イエルハルド様は辛そうに、その美しい顔を歪め俯かれました。
「それにレディーからの誘いを、それも何度も断るなんて最低です。デリカシーの欠片もありません! 贈り物をお断りしたときだって、どうして……どうして直接私の思いを聞きに来て下さらなかったんです?私から逃げつつ、物でご機嫌を取ろうとするなんて。イエルハルド様の臆病者!」
私の攻撃は続きます。
「確かに時々元の世界の事を恋しく思う時もありますが、でもそれ以上にイエルハルド様の事をお慕いしているとずっと何度も申し上げてきたのに。どうして、どうして私の言葉を信じてくれなかったんですか」
イエルハルド様はもはや言葉を返す気力も無いようで、更に深く深く項垂れてしまわれました。
ずっとずっと。
私の本当の思いや願いを拒絶され苦しくて仕方がなかったはずなのに。
『初めて会った日も旦那様はこうして項垂れていたな』
と、そう思ってしまったが最後。
言葉は下さらなかったけれど、出会って以降旦那様に心から確かに愛され幸せだった日々が瞬時に脳裏に蘇ってきてしまい、もうそれ以上は旦那様を責める言葉が思いつかなくなってしまいました。
だから。
「旦那様、愛しています。どうかこれからもお傍に」
短剣をベッドの下に落とし彼に向けて手を伸ばしました。
するとイエルハルド様がギュッと強く強く私の事を抱きしめてださったから、
『あぁ、やっぱり初めてこちらの世界にやって来た日みたい』
と、私は愛して止まない旦那様の温かい腕の中でそんな事を思ったのでした。
******
後日、陛下より呼び出しがかかりました。
先日の御迷惑をおかけしたお詫びをと思い参上したのですが……。
なぜか陛下ではなく普段あまり公に姿をお見せになる事の無い正妃様が、陛下の傍で何故かその猫の様な大きな目を吊り上げて怒っていらっしゃいました。
「私、愛する人を他の方と共有する気なんてありませんの!」
開口一番、王妃様からそんな事を言われ驚いて陛下を見れば、陛下は嬉し気に一度お妃様の方を見た後でコッソリこちらに目くばせをされました。
どうやら、側妃の話が一瞬で立ち消えになった事はしばらく黙っていろと言う意味の様です。
陛下と王妃様は政略結婚故、お二人の間は冷めきった間柄との噂を聞いたことがありましたが。
なんだ、陛下、お妃様にベタぼれじゃないですか。
陛下の事、
『私の何気ない挨拶の手紙に見せかけた救助要請の手紙に応え、颯爽と助けにいらして下さった』
と少し見直していたのですが……。
どうやら王妃様の気を引く為のダシにされただけのようです。
陛下、第一印象では凛々しい獅子でしたが、その中身はホントとんだタヌキ親父です。
その夜、久しぶりに旦那様にエスコートされ、お城のパーティーに出席することになりました。
ドレスを用意するにあたり旦那様にずっとずっと気になっていた、以前すげなくお返ししてしまった宝飾品の事を尋ねれば、屋敷に仕舞い込んだままになっているとのこと。
旦那様は
「気に入らない物を無理して身に纏う事はない。新しい物を用意する」
と言ってくださったのですが、思い切って
「あれがどうしても欲しいのです」
とおねだりしたところ、旦那様は少し気まずげな顔をした後
「間違っても古い菓子には手を付けないように」
そう言って、再びそれらを贈ってくださったのでした。
シャンデリアの光を受けキラキラ輝くイヤリングと美しい刺繍が施されたストール、華奢なヒールに眩い宝石があしらわれた首飾り。
そのどれにもさりげなく旦那様の瞳の色が仕込まれたそれらを見た陛下は、
「これだけ執着しておきながら、よくもまぁ今まで……」
と頬を引きつらせていらっしゃいましたが、旦那様と一緒に改めてご挨拶させていただいたお妃様も、陛下が贈られたのであろう金糸がこれでもかと使われた豪華なドレスをお召しになっていらっしゃるので、陛下にとやかく言われる筋合いは無いかと思います。
******
「君の為に、僕は何が出来るだろう?」
クルクルとダンスをしながら、旦那様がまた愁いを帯びた顔でそんな事をおっしゃいました。
どれだけ私が言葉を尽くそうと、未だ旦那様の中にある罪悪感は消えないようです。
「では次の春には必要になる子守に、侍女のシーラさんを呼び戻しつけて下さい」
私のおねだりに、旦那様は小さく微笑み
「分かった」
と頷いてくださいました。
ラストダンスの音楽に合わせながら、ゆっくり旦那様の胸に抱かれ踊っていた時でした。
「もし君が元の世界に本当に帰ってしまう日が来るなら。その時にはオレを殺して欲しい。君がいない世界に意味なんてない」
旦那様が瞳を不安げに揺らしながら、またそのセリフをおっしゃいました。
「……しませんよ、そんなこと」
私も、あの時と同じセリフを呟けば
「そんなこと?」
旦那様がまたその瞳を不安げに揺らしながら私の事をご覧になります。
ますます大好きになってしまった旦那様を殺すなんて、この先どんな理由があってもあり得ません。
だから
「はい」
とだけ曖昧に答えました。
そして音楽が続く中突如足を止め、最初に出会った時のように再度旦那様に向かって精一杯腕を伸ばせば、やはり旦那様はギュッと力強く私の事をその胸に抱きしめて下さったのでした。
◆◇◆◇◆◇◆
【side イエルハルド】
四年前、まだ第三王子だった陛下に付いて初めて戦場に出た。
陛下は
「子どもなんぞ死地に連れて行けるか」
と言って僕の事は何とか置いて行こうと苦心していたけれど、僕は僕と同じで帰るべき場所を持たず、また大した味方もいないあの人を一人で死地に行かせるのはどうにも目覚めが悪い気がして、誰の許可を得る事も無く勝手に付いて行った。
陛下には
「お前はその見た目に似合わず、本当に頑固だ」
と散々呆れられたけど、守るべき物も何も無い僕は別に命などさして惜しいとも思わなかったから、何も怖くも無かった。
危険を掻い潜り、囚われの姫に陛下からの伝言を伝えに行った時だった。
後に陛下の正妃となったノーラ様の、初めて見るそのあまりの美しさに思わず息を呑んだ。
そして同時に、
『どうりであの怠け者の陛下が俄然やる気をだした訳だ』
と、納得しつつも陛下のその短絡さというか、一途さに呆れた。
無実の罪で幽閉され、明日をも知れない命であった敵国の元公爵令嬢であったノーラ様に
「今陛下がこちらに向かっています。どうか最後まで希望をお捨てにならないよう」
そう伝えれば、彼女も陛下と同じように
「危ないから貴方はもうここに来るべきではありません」
と、僕を子ども扱いしてそんな事ばかりを言った。
ノーラ様の忠告を無視して
「戻りました」
と繰り返し足を運ぶ僕に、何の興が乗ったのか。
たった一度だけノーラ様が
「お帰りなさい」
そう言って小さく微笑んでくれた事があった。
『お帰りなさい』
たった七つの、取るに足りない音の並び。
帰る場所を持たない僕は、僕とは違いこの先はその言葉をこの先ずっと貰える事になるのであろう陛下を、その時初めて無性に羨ましく思った。
◆◇◆◇◆◇◆
陛下がノーラ様を救い出し、腹違いの兄達を抑え自国の王座に就いたのが二年前。
王の直属の部下として沢山の褒賞を与えられた僕の元には、同じく沢山の見合い話が舞い込んできた。
そして、僕はその全てを強く拒絶した。
『お帰りなさい』
その言葉をくれる『誰か』を僕は確かに強く求めながら、しかし苦しいまでに誰にも関心を持て無いままでいた。
そんな僕を見て
「貴方はまるで、番を失って以降頑なに他を拒絶したまま、毎年お城の湖に一羽でやって来るあの孤独で美しい白鳥ね」
ノーラ様はポツリとそんな言葉を零した。
番……か。
僕にもそんな存在があればよかったのに。
いつもの習慣で神に祈りを捧げながら、ぼんやりとそんな事を思った時だった。
突然、空から一人の女の子が降って来た。
◆◇◆◇◆◇◆
式を挙げた翌日。
仕事を終え自室のドアを開ければ、僕の形ばかりの妻となったリナが子猫の様に走り寄ってきた。
さて、どうしたものか。
まだあどけなさが残る少女を見て途方に暮れた時だ。
「お帰りなさい」
リナがそう言って微笑むと、何の躊躇もなく僕にその白く細い腕を伸べた。
思いもかけず突然叶えられてしまった望みに、驚きのあまり思わず心臓が止まるかと思った。
どうするのがいいのかは分からなかった。
しかし、リナのその愛らしい仕草に、甘い香りにどうしようもなく惹かれて思わず背をかがめれば、リナは僕をギュッと抱きしめ、頬に小さくキスをくれた。
リナのそのあまりに無防備で甘やかな行為に、根雪の様に心の中に高く堆積していた寂しさや孤独が、あっさり溶けて消えて無くなるのを感じる。
番と言うより、まるで兄が年の離れた妹にするように、まだ幼い彼女の髪を撫でながら
『あぁ陛下達が言っていたように、どうしようもない孤独感から彼女を呼んだのは、本当に僕だったんだろうな』
と、素直に彼女を愛おしく思った。
しかし……。
そうやってリナを愛しく思い、リナの喜びこそが僕の喜びに、リナの哀しみが僕の哀しみになれば成る程。
彼女の元に帰る喜びを知れば知る程。
僕が呼んだせいでリナ自身は彼女の帰る場所を失ってしまったのだという事実に、胸が潰れそうになった。
だから彼女に償いたい一心で。
叶うなら一生涯ともにありたいと願ってやまないリナの為に、矛盾だらけの僕はリナを元の世界に返す方法を探すことを決めた。
◆◇◆◇◆◇◆
四年が経って彼女が成人を迎えても、彼女を戻す術は分からなかった。
しかし皮肉にも彼女をこの世界に繋ぎとめる術だけは分かった。
純潔を奪ってしまえば……。
汚された体では、どうやら異界渡りは出来ないらしい。
帰してやりたい気持ちと帰したくなどない気持ちで千々に乱れる僕の思いなど露知らず、大人になった彼女は残酷なまでに綺麗に笑って、甘く甘く僕を誘った。
分かっていた。
『リナを元の世界に帰す為に、それは決して許されないのだ』
そう一言告げれば、彼女の心を無駄に傷つけずに済むのだと言う事など。
でも、それを告げる事でこの先彼女に拒まれる事が怖くて。
卑劣にも僕は彼女にそれを言う事がどうしても出来なかった。
屋敷に帰れば彼女をこの世界に永遠に繋ぎとめる為、何も告げぬまま、そのままその無垢な体を汚してしまいそうで……。
そうする事が怖くて何日も城に泊まり込んでいた、そんなある日の事。
リナがいなくなったと家令から連絡が来た。
リナは侍女のシーラと出かけた先でフッとその姿を消してしまったのだという。
恐らく道に迷ったのだろうと家令は言った。
しかし不思議な事にどこをどう探してもその姿が見えず、目撃情報も無いのだとの報告を聞いて、リナがついに元の世界に帰ってしまったのではないかと思った僕は、突然息の仕方が思い出せなくなった。
幸い、リナは街道を少し逸れた森の中で見つかった。
離縁など受け入れるつもりなど毛頭ない癖に。
ただリナをどこにもやりたくない一心で彼女に平気で嘘をついて、攫うように連れ帰り、狭い部屋の中に閉じ込めた。
そしてそこでようやく、僕はまた息の仕方を思い出した。
僕がリナの部屋に外から鍵を掛けた事に気づいたシーラは、リナを籠の鳥として飼い殺しにする気かと僕を責めた。
だからシーラは本家に帰して、僕は何も気づかない振りをして葛藤から目を背けた。
しかし、そんな生活にも限界はあって……。
ある日突然、陛下が彼女を連れにやって来た。
「自由にしてやれ」
そう言われて血の味がする程強く唇を噛み、それは出来ないと拒絶すれば陛下が剣を抜いた。
ずっと自分が抱えて来た矛盾をどうすれば解消出来るのか、ずっと分からなかった。
でも陛下が来てくれてようやく分かった。
そうだ、僕が消えればよかったのだ。
あぁ、よかった。
これで、リナの帰還を邪魔する者はいなくなる。
これでリナはきっといつか家に帰れる。
そう心からホッとしたのに。
何故か、陛下は剣を収めてしまい、僕から彼女を助けてくれなかった。
だから僕は卑怯そのままに、結ばれることで彼女がもう二度と家に帰れなくなる事など一言も告げぬまま、伸ばされたリナの真白な手に縋るようにして彼女を汚した。
◆◇◆◇◆◇◆
「僕はどうしたら君に償えるだろう」
彼女を胸に抱きラストダンスを踊りながら、ずっと言えないままでいた罪を告白しそう呟いた。
泣かれると思った。
繋いだ手を振り解かれると思った。
しかし驚いたことにリナは、その顔を少しも曇らせることは無く何やら楽しげに考えるような素振りをした後で、
「じゃあ会えなくなってしまった家族に代わって、これからは旦那様がいっぱい『お帰り』って言って下さいね」
そう幸せそうに笑ったのだった。
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