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森蘭丸伝を書き始めた当初は本能寺の変の原因を追求しようとも、光秀の心情表現なんて書く予定なかったんです。
蘭丸の人生には関わる人物だけど、二人の間の会話や関わりは薄そうなので、光秀自身の事は調べる必要ないと思って書いてました。
場面を変えて書くと、調べもの増えて面倒だからと蘭丸中心に話が進んで行くんですが、少しは光秀登場させなきゃなと思っていたら、光秀が蘭丸に近付いてきている事に気付いたんです。
これは創作ではなく、要は光秀が丹波平定後、戦に出ずに政にばかり携わっていたからです。
本能寺関連の本でも、光秀は暇してたと指摘してる人もいました。
社長と離れて出張ばかりの社員、或いは転勤していて本社に帰ってきて、社長の側でずっと仕事させられたら、さぞかし疲れるだろうなと思いました。
離れていれば我慢出来るけど、能力買われて入社したけど、元々そんなに社長と気が合う訳じゃないから、光秀は余計にストレス溜まってしまったのかもしれないと感じてしまいました。
蘭丸は信長の側にいないと寂しくなっちゃう子ですが。
深く考え過ぎかもしれないのですが、蘭丸が岐阜城に使いに行く話の事です。
1月28日に上洛予定なのに、式遷宮の費用の依頼があって、岐阜城の土蔵の銭を綴る縄を綴り直すようにと信忠にわざわざ伝えに行くのです。
26日に岐阜に行ったら、27日に安土に戻ってこれそうではありますし、都にいる信長の元に直行する気だったのかとも思えますが、このタイミングで側近中の側近の蘭丸を岐阜に行かせる?と思ってしまった訳です。
28日の上洛取り止めを決めたのは、当日ではないと思います。
武田の木曽義昌の寝返りは表向き、信忠の元に伝えられ、その後安土に報せが届いているようですが、28日の上洛を止めた理由は木曽義昌の寝返り以外の理由はないので、27日には遅くても信長の 耳には入っていると思います。
つまり、同じ情報が岐阜と安土に同時に発信されたとしても、岐阜の方が武田領地には近いので情報を入手するのは、早い事はあっても遅い事はないと思います。
信長が27日、ぎりぎり28日に知ったとしても岐阜の信忠の元には一日くらいは早くもたらされていそうです。
蘭丸が側近だからと始終ベッタリでなくても、蘭丸の仕事は側近なので信長の言葉を伝える、信長からの礼状、下賜品を届けに行く、終わったら信長の元に戻ってくるというのが彼の仕事です。
ベッタリじゃん.....。
はい、彼の言葉は信長の言葉であり、身体も信長の物です(ノ´∀`*)
なので、このタイミングでわざわざ岐阜に式遷宮の費用、いずれ使うかもしれない、いや使わないかもしれない費用を岐阜城から出す為に、銭を繋いでいる縄を綴り直せって使者に蘭丸を行かせるのが不思議です。
何らかの密命、武田攻めについての指示を言い含められて行ったように思えてならないのです。
表向きは式遷宮の費用の件の使者として記録に残っています。




