第四節 人生とは常に戦いである。-⑬
気付くと僕は真っ暗な部屋で目が冷めた。その天井には見覚えがある。それは僕の家のリビングだ。そして、後頭部には柔らかい、クッションとは違うほのかに体温を感じた。頭だけを動かすと僕が今どういう状況なのかすぐにわかった。
僕はミーシャに膝枕されながら寝ていたようだ。
そのミーシャも目を閉じて静かに眠っている。その姿は昼休みにうたた寝する宮本さんそのものだった。
さて、なんで僕がここで寝ているのか記憶が曖昧だ。
確か僕はミーシャを背負ってエドガーに向かって突進をした。ジープが囮になっている間にエドガーに突進して動きを止めろというものだった。不安だった。失敗すれば僕もミーシャも宮本さんも早見さんのように消し炭になってしまう。隙なんて出来るのだろうか?
そんな不安で押しつぶされてしまいそうな僕をミーシャは優しく呟いた。
「大丈夫さ」
簡単な一言だ。余計な言葉はない単純な一言。それだけで僕の中の不安が軽くなった。
それから目の前の氷の壁が扉に変わって勢いよく開いたと同時に僕は飛び出したエドガーは背中を向けていた。すきだらけのエドガーの背中に突進。そのまま倒れたエドガーの動きを止めるために両手を掴んでのしかかった。そうやって動けなくなったエドガーに閻魔の腕がゆっくりと伸びた。軽く鎚で叩くとエドガーの抵抗する力が一気に弱くなった。
ああ、エドガーも元の世界に帰されたんだ。その安心した瞬間、意識がふっと飛んだ。
それから何が起きて僕はこんなところにいるんだ?
体を起こすと眠っていたミーシャも目を覚ます。
「やぁ、佐藤くん。体の調子はどうだい?」
「まだ、腕が少し痛む」
「君は両腕にひびが入っていて、肋骨は何本か折れていて、足の筋も何本か切れていたよ」
「さらっと言ってるけど、それ大怪我じゃない?」
あの時はミーシャを助けるのに必死だった。アドレナリンがドバドバに出ていたから怪我も痛みが感じなかった。戦いが終わってすぐに気絶したのは痛みが大きすぎたせいだろう。人間離れした魔術師と生身の体で戦ったんだ。生きているだけ儲けものだ。
「ジープが治してくれたのさ。君の怪我も、宮本さんの怪我も」
ミーシャは両手の怪我を見せてくれた。
「かすかに傷跡があるけど、これは時間がたてば消える。顔の傷を優先的に治してもらったから腕の傷は少し残ってしまったよ。でも、顔の傷のほうが重要さ。宮本さんは女の子だ」
宮本さんのことを第一に気にかけるミーシャはなんだから元気がないように聞こえた。表情は相変わらず変わらないのに。
「君に謝らないといけない」
「何を?」
君は僕の事を助けてくれたじゃないか。
しばらく、静寂が部屋を支配する。
「…早見さんをボクは守れなかった」
…それには僕も言葉が出てこなかった。
「君との約束も守れなかった。早見さんも守れず、宮本さんの体にも傷をつけてしまった」
悔しさからか、それとも悲しさからか、ミーシャの手は強く握って振るわせた。
「ボクは幸せとか何もわからないと君に教えた。それは事実だ。ボクにはわからない。わからないからわかる人に幸せを感じて欲しいって思った。そのためにボクは生きている。生きている理由なんだ。そのボクが他人の命の、他人の幸せの上に生きていることが…辛いんだ」
ミーシャは震える手で顔を覆う。
「ボクは嘘をついていたのかもしれないね。ボクはわからないとか言っておきながら知っていたんだ。この感情は悔しい、だ」
手の隙間から涙がこぼれた。
手のひらで顔を乱暴に拭くといつもの感情のないミーシャになった。
「ボクは向こうの世界に帰ったら何かしらの処罰を受けるだろう。任務は成功したけど、この世界に魔術の痕跡を残し過ぎた」
「処罰って何?」
思わず訊いてしまった。ミーシャはゆっくり答えた。
「わからない。最悪は、殺されるだろうね」
思わず立ち上がった。
「そ、それだけは絶対にダメだ!」
ミーシャは少しだけ表情が柔らかくなった。
「そう言ってくれるとうれしいよ。でも、これはボクの運命なのさ」
「運命って」
「何も感じないボクは生きているかどうかもわからない。ボクらしい最後じゃないか」
ミーシャは自分の死に何もためらいを感じなかった。
「自分らしい最後ってなんだよ!」
ミーシャを押し倒す。
「ミーシャは生きている。これからどれだけ不幸なことが起こるか僕にはわからないけど、ミーシャは生きている事実は変わらない。生きている以上、君は誰かの幸せのためにずっと戦うべきだ。もう、二度と早見さんのような犠牲を生まないために生きて努力しないといけない。それが生き残った僕たちの役目だ。…僕は正直言って抜け殻だった。過去の暴力事件のせいで誰とも関わらずに生きて行くんだって思っていた。けど、違った。ミーシャのおかげで僕は救われた。僕もミーシャみたいに誰かを助けたいって思った。助けられなかったものもあったけど、今度は何でも助けられるように強くなりたい。いや、強くならなければならない。早見さんに救ってくれた命はみんなを助けるために使う。僕のように苦しんでいる人をミーシャみたいに、早見さんのような犠牲者を出さないために、僕は強くなる。生きることがミーシャにとって辛いかもしれないけど、精一杯苦しむんだ!早見さんを忘れないために、早見さんの犠牲のために!」
一通り言いたいことを吐き出したらミーシャから離れる。
「ごめん。ミーシャ」
「…いいんだ。…生きて苦しめか」
難しそうな表情をしている。顔が強張っている。僕は思いきってミーシャの頬を手のひらで押さえて頬を押し上げた。
「にゃにをふるんだい?」
口がつぶれた状態でしゃべってくるのでなんていっているか聞き取れないけど、言いたいことはわかる。
「ミーシャ。笑うんだ」
「なぜだい?」
「早見さんの犠牲を無駄にするなって難しいことかもしれない。だからってそうやって下を向いて難しい顔をして考えることはしないで。これは僕からの願いだ。ミーシャの幸せは…僕の幸せだ。だから、その笑うんだよ!こうやって!」
頬を押し上げたり、引っ張ったりしてミーシャの表情を強制的に変える。ミーシャは抵抗しない。さすがに嫌がられて手で捌けられる。僕は抵抗せずすぐにやめた。
「まったく、君という人は本当に意地悪だ。ボクに難しいことばかり言う。―――でも、そうか」
それは錯覚かもしれない。確認しようにも眩しくて見えなかった。
「ボクの幸せが君の幸せか…」
ミーシャは僕が無理矢理表情を動かしたときのように笑っているように見えた。
「…ミーシャはこれからどうする?」
「そうだね。ボクは―――」
しかし、僕はその言葉の続きを聞くことは出来なかった。
「―――あれ?誠くん?」
「―――え?宮本さん?」
ミーシャはいなくなった。




