第四節 人生とは常に戦いである。-⑪
感情がないなんて本当に嘘のようにミーシャは激昂していた。炎が感情を乗せてミーシャの頭上で渦を巻く。そして、褐色の腕が振りかざすと炎の渦はエドガーへ向けて飛んでいく。それを走ってよけるエドガー。ソフィアのように身軽ではないようだ。
「危ないっすよ!」
焦るエドガーにミーシャは問答無用に炎をぶつける。走ってそれをなんとかよける。連続で攻撃して攻撃する隙を与えないつもりのミーシャ。でも、それは安村さんに炎が直撃するかもしれない。
すさまじい熱に肌が喉が焼けそうだ。
「ミ、ミーシャ!」
その叫びはミーシャに届かない。
「やめるっす!」
苦し紛れにエドガーは熱カッター、ビームソードでミーシャを切りかかりために接近して切るが、それを幻魔の腕が受けた。
「は?」
拍子抜けたエドガー。それもそうだ。攻撃を受けることが出来るならなぜ最初からしてこなかったのか?その答えはすぐにわかった。
幻魔の腕は攻撃を受けると切り口からブシャっと赤い血が吹き出る。そして、見えない腕が赤い血で見えるようになった。何より驚いたのがミーシャは直接攻撃を受けたわけじゃないのに幻魔の腕と同じように切り傷が腕に入って血が吹き出た。
それでわかった。ミーシャが使う悪魔たちの腕はミーシャの体と直結している。幻魔の腕が傷を負えば同じ傷をミーシャも負う。
―――あの攻撃はボクにも防ぐことは出来ないな。
あの言葉の意味を僕は理解していなかった。
―――防ぐことは出来ない。宮本さんの体を傷つけることになるから。
エドガーは手のひらから高熱のビームを掃射して辺り一帯に黒い煙と灰が舞う。その中央をミーシャが傷ついた幻魔の腕を従えて突っ込んでいく。それを同じくビームで対抗するエドガー。それをかわすことなく幻魔の腕で受けると、腕の一部の肉が焼け落ちて飛び散る。同じ傷をミーシャも負う。
拳の攻撃がエドガーを襲うが、熱魔術で床を焼いて煙が上昇気流に乗ってミーシャの目を眩ませる。しかし、拳の攻撃を止めず床をえぐる。そこにはエドガーはいない。
エドガーは地面を這いながら逃げていた。それをゆっくりと追う。
「く、来るんじゃないっす!」
ビームをミーシャの頬をかすってはるか後方に当たる。
頬の皮が焼けてめくれて血が流れる。その血が涙で流れそうだった。それだけミーシャは悲しみ、怒っていた。でも、表情は変わらないことにエドガーの表情が恐怖で歪んでいく。
「や、やめるっすよ。じ、自分はただ仕事で仕方なくやっているだけで別にやりたくこんなことをやっているわけじゃないんっすよ!」
命乞いを始めるエドガーを見下すミーシャ。その背中からは褐色の燃魔の右腕が炎を纏っている。
無言で炎を纏った拳でエドガーに殴りかかる。そこに躊躇はない。
「ミーシャ!やめろ!」
気付けば僕はミーシャの正面に回って飛び込んでいた。ミーシャを押し倒したけど、振るった拳は止まらずエドガーを殴り炎が乱暴に飛び散る。
思わず振り返る。エドガーじゃない。安村さんが…。
「何を考えてるんだ!ミーシャ!」
ミーシャの腕を掴むと滑ってつかめなかった。僕の両手に血がべっとりとついた。よく見れば両手に負った傷から血が流れ出ているじゃないか。
「ミーシャ。僕と交わした約束を覚えてないの?」
誰も傷つけない。宮本さんも舞さんも。みんな。
「口約束で信じてもらえないかもって心配していたよね?」
それでも信じて欲しくてミーシャは自分のつらいことをたくさん僕に教えてくれた。
「君が誰かを幸せにしたいっていう気持ちも本物だってわかったから君の約束を信じた」
感情がない。いろいろなことがわからない。それは嘘じゃなかったかもしれない。でも、嘘だった。本人が自覚していないだけだった。
「ミーシャ。君は今どういう気持ちだい?」
その問いにミーシャは答えない。
「教えてあげるよ」
僕はミーシャの頬を包む。
ミーシャは両目から大粒の涙を流しかすかに眉間にシワがよっている。
「それは怒りだ」
「…怒り?」
「僕も前に同じ感情に襲われた」
いじめっこを返り討ちにしたあの瞬間。僕は怒っていた。いじめていた子を転校まで追い詰めてのうのうと平気な顔をして次のおもちゃを探しているあいつらが許せなかった。
「強さって言うのは弱いものを痛めつけるものじゃない。強さっているのは感情に任せて使うものじゃない。ミーシャは強い。僕が知ってるミーシャは!約束を守るために宮本さんを!みんなを傷つけないように戦っていた!エドガーをこれだけ圧倒できる力があった!ソフィアもその気になれば圧倒できた!でも、君はそれをしなかった!それは君が強かったからだ。感情のない君だから感情に任せず冷静だったんだ!僕はミーシャにそんな顔をして欲しくなかった!ミーシャにはもっと!」
ミーシャにはもっと、怒りじゃない別の―――。
「なんがた知らないっすけど、この隙逃すと思ったっすか!」
エドガーの両手のひらからビームが連続で飛んでくる。
ミーシャはそれに対抗しよう僕よりも前に出ようとするけど、それを僕は阻止する。
「ちょっと!佐藤くん!」
限界の体に鞭を打ってミーシャの腕を引っ張って攻撃をかわす。でも、衝撃で僕らふたりは飛ばされる。体を強く床に打ち付ける。痛みで体が言うことを利かない。でも、ミーシャはピクリとも動けない。
「やっと、おとなしくなったっすか」
僕を無視してミーシャの方へ歩みを進めていく。
「ま、待て。…待つんだ」
声が出ない。体が言うことを利かない。必死に手を伸ばすけど届かない。
嫌だよ。ミーシャが、宮本さんが目の前でいなくなるなんて嫌だよ。
結局、僕は弱いままだ。強くなりたくてたくさんもがいたのに全部が無駄だったのか?僕が弱いから早見さんがいなくなって、今度はミーシャと宮本さんまで。
そして、僕は心の底から思った。
「助けて…誰か、助けて」
僕のその悲痛な叫びに。
「うむ。よかろう。若者よ」
答える声が聞こえた。
手を伸ばした先に黒い影が出来てその中から浮上するように腕を組んで仁王立ち白いフリフリのスカートにピンクのシャツを着た杉山麦が現れた。違う。
「ジ、ジープ」
僕の呼びかけにかすかに笑みを浮かべる。
「待つのだ!そこの若者!」
「なんすか?」
エドガーが振り返った瞬間、ジープの足元からすさまじい勢いで白い冷気が吹き出たのと同時に氷の結晶が巨大な壁を作り出した。氷の結晶は体育館の天井まで達し、体育館を分断するように出来上がった。ジープの足元から絶えず氷が壁のほうへと成長していた。一瞬であのエドガーと離れることが出来た。その離れ業に言葉が出なかった。
「そ、そうだ!ミーシャ!」
「心配する必要はない」
その言葉通り氷の壁に突然両開きの扉が生成されて、その扉が開くとミーシャが滑ってやって来た。もちろん、怪我で体は自由に動かせない。氷が作った滑り台で滑ってここまでやって来たようだ。
「手のかかる若者たちだ」
そういうとジープは僕とミーシャに近づいてきて僕らの手を握ると黄緑色の光に包まれる。すると体の痛みがかすかに引いて行く。数秒、その光に包まれてジープが手を離すとその光は消えた。体が少し軽くなって言うことを利かなかった体が動くようになった。
「簡単な治療をした」
「あ、ありがとう」
立ち上がるとミーシャも立ち上がった。
「ジープ司令官?」
「この馬鹿者!」
怒鳴り声にミーシャは肩をびくつかせて驚く。
「我輩が出した指令にはこの世界の人間をなるべく傷つけることなく、穏便に転生してきた魔術師を強制送還せよであったはずだ。にもかかわらず、傷を負い、事態をここまで派手にし、協力者まで作って」
僕はミーシャの、宮本さんの血だらけの両腕と頬を見るとそれを隠すようにミーシャは両手を抱える。
「でも、ジープ司令官の指令はなるべくだ。これでもボクは努力したほうさ」
ジト目でミーシャを睨むジープ。視線を外すミーシャにため息をつく。
「処罰は後だ。今はあの魔術師をどうにかするとしよう」
「そうしよう」
とミーシャが一歩進んだ瞬間、倒れそうになる。それを僕が慌てて支える。
「おかしいな。足に力が入らないな」
「大丈夫?ミーシャ?」
そういえば、顔色がよくない。
「治療と言っても簡単なものだ。ミーシャの体の傷口を塞いで体力を少しも戻しただけに過ぎない。魔術は万能ではない。出血で流れ出た血までは回復できない」
つまり、ミーシャは貧血状態ってことか。
「ミーシャ。閻魔は使えるか?」
その問いにミーシャは動きで答えた。背後から鎚を持った痩せ細った腕がミーシャにおんぶされるように出てきた。
「うむ。では、若者。若者に頼みたいことがある」
「た、頼み?」
「このままあの魔術師を放置しておくわけには行かない」
「それは、もちろんだ」
「しかし、我輩にはあの魔術師の転生魔術を解く手段を持ち合わせていない。あの魔術師から転生先の器を開放させるにはミーシャの閻魔の審判が必要不可欠である。だが、ミーシャは素早く動けない。だから」
頭上の氷の結晶が轟音を立てて折れて壁の向こう側に落下していく。なくなった部分を補うように回りの氷が成長して再び壁を作り出す。
「正直言ってあの魔術師の熱系魔術と我輩の氷系魔術は相性最悪である。止められるとしても一瞬である。その一瞬を逃さないために、若者よ」
「大丈夫。ジープ」
何を頼まれるかはもうわかっている。
僕はミーシャをおんぶする。
「何をやればいいか僕にはわかる。僕がミーシャの足になる」
ジープは頷いた。
「では、簡単ではあるが作戦を立てるとしよう。よいか?我輩が―――」




