第四節 人生とは常に戦いである。-⑧
外でドーンと体の芯に響く音が聞こえたのと同時に倉庫全体が揺れて積もっていた埃が降ってくる。ミーシャがソフィアと戦っている。
「もう…もう、なんなのよ」
今にもつぶれそうな声で身を小さくして腕で頭を覆って怯える早見さんの姿はいつもとは真逆だ。威勢がよく、僕にはいつも強気だった彼女がここまで弱々しい姿を見せるのは初めてだ。それもそうだ。今起こっていることはあり得ないことで整理が追いつかない気持ちもよくわかる。不安なのはわかる。だから、こうして誰かがいることが、ひとりじゃないことがそれだけ安心するかも僕は知っている。
そう思って、早見さんの手を握ろうとすると。
「触るな!変態!」
ビンタを食らった。
…なんで。
泣きそうになった。
「なんであんたはそんなに冷静なわけ?」
「なんでって…」
宮本さんが宮本さんじゃないってことを知っていて、魔術師の存在を知っていて、魔術師の戦いを一度目の当たりにして経験しているから。なんて素直に教えていいものか悩むな。でも、こうなってしまったらもう早見さんも無関係ではいられない。
「えっと、落ち着いて聞いて」
と同時にドーンと胸に響く爆発音が響く。その音に怯える早見さんはすぐに涙目になりながら僕を睨む。いつもの鋭さはない。それが正直かわいいと思ってしまった。
「こ、こんなのおかしいわよ!普通じゃない!」
「普通じゃないのは僕だってわかってる」
「じゃあ、あれはなんなの!」
扉の向こう側を必死に指差す。
「魔術…なんだ」
「ま、魔術?」
こいつは何を言ってるんだって顔をしないで欲しい。真剣に答えてるんだから。
「さっきの舞さんは見た目は舞さんだけど、舞さんじゃない。舞さんの体を魔術師が乗っ取っているんだよ」
本来なら時空間転生魔術とかいう魔術で転生してきているとかいろいろ説明する必要があるんだけど、僕も全容を把握するのに時間が掛かった。早見さんの置かれた現状ではこの事実だけを伝えて後でミーシャ本人から説明してもらうとしよう。決して僕が全容を覚えていないわけじゃない。
「もしかして茜も?」
「…そうだね」
宮本さんが大好きな早見さんにとっては辛いかもしれないけど、事実はこれ以上隠せない。
「そうか。…そうよね」
「あれ?意外とあっさり?」
「あたしが気付いていないとでも思った?」
ですよね。
「最初から何か変だったのよ」
三度爆発音が倉庫中に響く。早見さんは怯えながら膝を抱えて体を小さく丸めながら不安そうに語る。
「茜がいなくなったとき、あたしは後悔したわよ。あたしのせいでいなくなったって。佐藤のことでもめてケンカして、誘拐犯に捕まって死んでるのならあたしも後を追うつもりだった。だって、あたしは茜のことが…」
「好きなんだよね」
「他の人とは少し違う好きよ」
僕が宮本さんと関わるのを毛嫌いする早見さんの態度は嫉妬だった。それは態度でわかった。
「大好きだった茜が戻ってきた日には違和感はあったわ。でも、目の前に茜がいる。生きている茜がいる。あたしはそれだけで満足だった。この際、あたしが覚えてる違和感なんてどうでも良かった。でも、ここ最近はその違和感がどんどん大きくなってきた。あたしの知ってる茜はそんなしゃべり方しない、そんな仕草はしない。でも、茜はどっからどう見ても茜だった。違和感が確信に変わらない。怖かった。戻ってきたのが本当は茜じゃないんじゃないかって認めるのが怖くて、違和感を確認に変えようとするのを途中でやめた」
だから、早見さんは宮本さんが宮本さんじゃないって気付かなかったのか。違う。知らないふりをしていたんだ。目の前の宮本さんが偽者で本物は今も行方不明だっていう事実に気付きたくなかった。
「そんなあたしの足掻きも無駄だった。茜の背中から変な腕が生えているのを見たわ」
幻魔の腕か閻魔の審判だろう。
「あたしの知ってる茜じゃない。あれは茜じゃないって確信に変わってしまった。人の形を、茜の形をした別のものだってわかってしまった」
不意に早見さんは立ち上がって僕の胸倉を掴みかかる。
「あたしはあんたが嫌い!」
それは知ってる。でも、この嫌悪は僕が思っているものとは違った。
「なんでそんなに冷静なわけ?あれは茜じゃないのよ!本物の茜はまだ行方不明なのに、あれが本物の茜じゃないって知っておきながらどうしてそんなに平気そうな顔をしているわけ!どうしてあんたはあんなに楽しそうだったのよ!」
息は荒く恐怖と怒りと悲しみと、たくさんの感情がぐちゃぐちゃになっている。
彼女に伝えないといけない。僕が知っていることを全部。
「あれは確かに宮本さんじゃないけど、体は宮本さん本人だ。中身が違うだけだ。宮本さんの中にはミーシャっていう魔術師が入っている。彼女は僕らの味方なんだ。事実、僕は彼女に一度命を救われている。ミーシャは舞さんの中に入っている魔術師を排除するのが目的で、それが達成できればミーシャは宮本さんの中から出て宮本さんは元に戻る。早見さんは宮本さんが戻る保障がどこにあるんだって思うだろうけど、大丈夫だ。ミーシャは信用できる魔術師だ。僕が保障する」
その保障するって言葉のどこに根拠があるんって言われたら正直何もない。でも、今はミーシャを信じる以外にすべきことは何もない。
早見さんはがっくりとうなだれるようにぺたんと座り込む。
「なんでよ?なんで茜はあたしじゃなくてあんたのところに行くのよ。行方不明になって遠いところに行って戻ってきたと思ったらまた遠くに茜は行っちゃう。茜の隣にはいつもあんたがいるのよ。目障りなのよ。なんでよ?暴力事件を起こしたあんたがどうしてよ?どうすれば、あんたみたいに茜の隣にいられるのよ?あんたが茜にとって特別だから?どうなのよ?」
僕は包み隠さずただ思ったことを早見さんに告げる。
「僕は特別じゃない。僕だって今、何も出来ずにこうやって震えているだけだ。でも、誰かを幸せにすることくらい僕にだってできる。暴力事件で不幸に僕はなったけど、その分誰かの救いにはなったはずだ。それさえあれば、僕も十分だ。」
それはミーシャの言葉でもある。ゆっくりと体育倉庫の戸のほうに目をやって一歩踏み出す。行けば僕は邪魔になる。でも、こんなところで震えているだけじゃダメだ。ミーシャは僕の力を欲してくれた。僕の強さを必要としてくれた。強くなりたいと思って始めたボクシング。少しでも役にたてるのなら。
「何をひとりで粋ってるのよ。キモいわ」
「き、キモいって」
そんなこと言わなくても。
「でも、茜があんたを悪い人じゃないっていう理由がなんとなくわかるわ。あんたみたいに身を犠牲にして他を守る奴に悪い奴なんていないわ。情けないけど、あんたみたいに扉の向こう側に行こうとは思わないし近づきたくもないわ。私はこうして震えることしかできない」
震える早見さんの手を優しく包むように握る。今度はビンタされなかった。
「宮本さんは僕に任せて。絶対に連れ戻ってみせるよ。それでいつも通りの日常に戻ろう!」
平気でケンカがしあえるような極ありふれた日常に。
その言葉に早見さんの震える手が止まってかすかに笑みを浮かべた。
「お願い。茜を頼んだわよ」
すると不意に早見さんが下を向いたときだ。
「そのついでに私の願いも聞いてくれるかしら?」
顔を上げた瞬間の眼光を見て一瞬でわかった。
「ソフィア!」
握っていた手を払ってすぐに離れた。逃げ腰の僕に向けて大幅に上がった筋力から放たれる拳は人間業ではない。だが、ソフィアの体勢が悪かったおかげか初撃は何とかかかわせたけど、二撃目はかわせず蹴り飛ばされて倉庫から蹴り飛ばされた。数回床をバウンドして何かぶつかって止まる。
咳き込みながら顔を上げてすぐに体育館の状況を見て驚愕した。
「え?」
それ以上言葉が出なかった。
僕がぶつかって止まったのはどこから出てきたのかわからないほど巨大な岩のような瓦礫。そして、体育館の床はほぼ原型をとどめていないほどぐちゃぐちゃになっていて二階の手すりは根こそぎ引き抜かれたりねじ切られたりしていて、体育の隅に転がっていたり、床に刺さっていたり、僕の知っている体育館ではもうなかった。
そんな荒れ果てた体育館のほぼ中央にミーシャはいた。
「おや?佐藤くんじゃないか?」
幻魔の腕で舞さんが強く押さえつけられている。気を失っていて意識はないけど、強く押さえつけられているから苦しそうに顔をしかめている。
「み、ミーシャ!それはソフィアじゃない!舞さんだ!ソフィアは今!」
次の瞬間、すさまじい轟音と砂埃が僕の背後で発生した。すぐに振り返ると体育倉庫の壁に大きな穴が開いていた。中からバレーボールで使われるポールを二本担いだ。早見さんが現れた。
「なんで早見さんが」
「すまない。佐藤くん」
「なんでミーシャが謝るんだよ」
ミーシャは舞さんを押さえつけるのとを辞めて僕の隣にやって来た。
「時空間転生魔術の転生先を作る魔術にはそれなりに時間が掛かるんだ。だから、この短時間で早見さんを転生先にすることはできないだろうと思っていたんだ。でも、それは間違いだったようだ。彼らはこの学校の中で時空間転生を繰り返していたようだ」
「こ、この学校で」
転生先を作っていたのか。ソフィアは。
「あの短時間で早見さんを転生先に出来たのは元々用意してあったものを使っただけだからさ。そうだろう?ソフィア」
早見さんに転生したソフィアはポールを地面に突き刺してそれにもたれかかりながら答える。
「正解よ。魔術師」
不敵な笑みを浮かべるソフィアはどこか余裕があるように見えた。それはミーシャも感じていた。
「すごく余裕そうじゃないか」
「まぁね。知ってるかしら?この子。そこでのびてる新海さんとは比べ物にならないほどの魔力をこの早見さんは有している。対してミーシャ。あなたの宮本さんもかなりの魔力を有していたみたいだけど、かなり消耗しているんじゃないの?」
ミーシャは何も言い返さない。荒い息は整う気配がない。たぶん、その通りじゃないのか?
「そんな状態で私に勝てるかしら!」
刺していないほうのポールを僕らに向けて投げ込んできた。それをミーシャは僕の正面に立って幻魔の腕で防いだ。しかし、ソフィアはポールを投げたのと同時に突き刺していたポールを引っこ抜いて飛び込んできてポールをバットみたいに振りかぶってきた。残りの幻魔の腕がそのポールの攻撃を防ぐ。防いだ瞬間、ソフィアが笑みを浮かべた。
何か狙っている!
本能的に察知した僕はミーシャの足元がほんの少し盛り上がっているのを見つけてすぐミーシャに飛びつくように突き飛ばした次の瞬間、ミーシャのいたところに鋭い岩の棘が勢いよくそびえ立った。
「ちっ」
と舌打ちを打つソフィア。
「また、君に助けられてしまったね」
「いいよ!別に!」
ミーシャはゆっくり立ち上がるが、僕はミーシャの、宮本さんの体に触れてぞっと恐怖と不安を覚えた。汗で全身びっしょりで手足が小刻みに震えていた。緊張や恐怖からなのか?いや、違う。限界なんじゃないのか?ソフィアの言うとおり。ミーシャはかなり消耗している。相手は元々ふたり組みだった。しかも、転生を繰り返している。対してミーシャは宮本さんの体のみで戦っている。実質二対一なんだけど、体の数からすれば早見さんも入れれば五対一。数的不利な状況で戦っている。対してソフィアは体力の有り余った早見さんの体に転生している。さらに早見さんは多量の魔力を有しているとか言っていた。それが本当なら体力も魔力も万全なソフィアに対して体力も魔力も消費して疲弊したミーシャ。有利不利は誰が見たってわかる。
「でも、次は逃さないわ」
勝利を確信したのかソフィアの笑みはまさに悪魔だったが、不意に右目から一滴の涙が流れた。
なんで片目だけ涙が流れたのか。
「早見さん?」
なんでそう思ってしまったのか僕自身もわからない。
でも、わかる。早見さんの体が大好きな宮本さんを傷つけたくないと拒んでいるんだ。彼女は早見さんは転生されてなお必死に戦っているんだ。
震える手を思い切り殴る。
怖がっている場合じゃない。早見さんと約束をしたじゃないか。このままじゃ宮本さんどころかミーシャも守れない。ふたりを守るために僕は僕の命や人生を投げ捨てる覚悟をしていたじゃないか。こんなところで怖気づいてどうする!
―――人生は常に戦いだよ。弱ければずっと弱いままだよ。
この言葉に背中を押されるのは何度目だろう。おばあちゃんにお礼を言わないとな。
僕はミーシャとソフィアの間に立つ。
「おや?」
「君は一体何をしているんだい?」
「決まってるよ」
両拳を構える。
「戦うんだ。誰かのためだったら、僕は何度だって悪役になってやる」
いじめっ子をぼこぼこにしたときのように。
「魔術師!今度はお前の番だ!」
「はぁ!威勢のいいこと!」
ソフィアはポールを投げ捨てて拳を構える。正々堂々と僕に挑んで心身ともにズタボロにする気なんだろう。でも、それは僕とっても好都合だ。
ソフィアは目にも止まらない速さで一気に僕との間合いを詰めて拳を振るってくる。
いくら速いとは言え拳の振り方は素人だ!そのスピードは目では追えない!彼女の行動を思い出せ!癖を思い出せ!ソフィアは僕を殺そうとしたときは首を掴んで絞め殺そうとした!
「首か!」
それはもはや野生の勘。ソフィアが僕の首を掴んでくる。拳を作っているのにそりゃないだろって後になれば思ったけど、今は違う。
「何!」
ソフィアは拳を途中で解いて僕の首を掴みかかってきた。それを紙一重でかわした。
この隙を逃すな!
いくら人間離れしたスピードを得ていても扱っているのは僕と同じ人間だ。そのスピードに魔術で体は動いてくれてもその思考までは早くなっているとは思えない。この瞬間、ソフィアは攻撃をかわされてしまった。次の行動は追撃をするか逃げるかの二択。動き出せばもう僕は追うことはできない。
この隙だ!次の行動を選択している最中のこの隙。すべてにこの隙をまるで狭いところをすり抜けるように貫け!右拳はもう構えてある。初撃をかわした後に何をやるか僕はもう決めてある。この隙は有効に生かすためだ。
ボクシングをやっていたからわかる。人を一撃で再起不能近くまでやれる方法を僕は知っている。それは!
「顎だぁぁぁぁ!!!」
大きく強く一歩踏み出して右拳を、空気を切るように振り上げた。
早見さんの顎にクリーンヒットして宙に体が浮いて背中から倒れる。
「き、貴様!」
すぐに立ち上がろうとするけど、ソフィアの足元はふらつく。
アッパーカットと呼ばれるボクシングのパンチの一種だ。顎にそのパンチを受けると脳が揺れるため、意識とは別に体がうまく動かなくなってふらついてしまう。軽い脳震盪を起こした状態になる。
いくら常人を超えた筋力を魔術で得ても体全体の特徴を変えることはできない。
「このぉぉぉぉ!!!」
僕はソフィアに抱きつくように飛びついて押し倒す。
「ちょっと!離れなさい!」
僕を引き剥がそうとする力は人間を超えていた。ビキビキと変な音が僕の体に響く。体が悲鳴をあげているけど、だからと言って離すわけにはいかない。
「ミィィィィシャァァァァァ!!!」
そう叫ぶと静かに僕らの背後にミーシャはやって来た。その背中から不気味な閻魔の審判の腕が伸びていた。
「君の敗因はボクではなく、彼の勇気だ。誰かのためにこんな必死な人をボクは知らないし、君も知らないだろう。なぜ、彼がここまでやるのか、元の世界に戻ってしっかり考えるんだ」
「ま、待て!いいのか!お前はこのままだとあの腐った世界で死ぬんだぞ!お前はそれで!」
「いいよ。ボクは」
ミーシャはソフィアの顔を手で包む。
「そんなに醜い姿になってまでボクは生きたくないね」
遅れて閻魔の審判の鎚が軽く早見さんのおでこを叩くと同時にパリンとガラスが割れたような音が聞こえた。すると早見さんの体から何かが勢いよく白い煙のようなものが飛び出してきて体育館の中をぐるぐるとさまようと煙のように消えた。
「終わったよ。佐藤くん」
とミーシャが言うので僕は早見さんから離れる。すると入れ替わるようにミーシャが早見さんに寄り添う。しばらくして早見さんが目を覚ます。
「あ、茜?」
そう早見さんが呼ぶと。
ミーシャの右目から涙が溢れ出て早見さんに抱きついた。
「良かった。良かったよ。薫ちゃん」
それがミーシャだったのか。宮本さんだったのか。僕にはわからない。
「茜。茜だ」
安心したのか早見さんも両目からいっぱい涙を流した。




